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<あとがき>

このインド旅行記は2011年の1月に、僕が34歳の時にした旅の記録です。旅に行く前、僕は恋愛や自分の現状に悩みを抱え、精神的に弱っていました。いわばその辛い状態から逃げ出すように向かったのがインドという国でした。そんなある種不純な動機で向かったイ…

<Final Day コルカタ >

1月31日 目が覚めると、部屋の中には自分を含めて2人しか残っていなかった。 腹の調子もすっかりよくなり、身体は快調だった。やはり一昨日からたくさん寝たのがよかったのかもしれない。 朝食を食べにサダル・ストリートに出た。 この旅最後となる朝食…

<Day 25 コルカタ >

1月30日 結局朝の10時頃まで眠り続けた。 眠りは浅かったが、15時間くらい寝たせいか起きると身体がすっきりしていた。バラナシの最後の日々が慌ただしかった上に移動が重なったことで、昨日は疲労が高まっていたのかもしれない。腹が少し下り気味だ…

<Day 24 列車 ~ コルカタ >

1月29日 7時頃に目が覚め、下段のシートに下りた。 車両にやって来たチャイ売りから5ルピーでチャイを買い、それを飲みながら窓の外の景色を眺めた。 今日も晴れていたが、空気が少し白く霞んでいる。考えてみればバラナシではこうしたスモッグがほとん…

<Day 23 バラナシ >

1月28日 朝方になるとようやく病室への人の出入りが途絶えた。 2時間ほどゆっくり眠って目覚めたトーコちゃんはかなり元気になり、身体の寒気もすっかり消えたようだった。 普通に病院内を歩き回ることもでき、昼過ぎになっても容態は相変わらずよかった…

<Day 22 バラナシ >

1月27日 朝9時頃に目が覚め、ベッドに横たわりながら昨夜の出来事を考えた。 オートバイに乗って夜のバラナシを疾走したり、ここ数日いろいろなことが起きているように思えた。自分が何か大きな流れに乗っていて、かつては非日常と呼んでいた出来事の連…

<Day 21 バラナシ >

1月26日 朝になるとトーコちゃんの容態は大分よくなっていた。 まだ起き上がることはできなかったが、真っ青だった顔に生気が戻り、話す言葉もはっきりしていた。とりあえず最悪の状態は脱したようだと安心した僕は、また少し病室で仮眠を取り、昼頃まで…

<Day 20 バラナシ >

1月25日 6時過ぎに起床した。 依然として重い感触は続いていたが、僕はロバートとの待ち合わせ場所に行ってみることにした。 ガートに出てアルカ・ホテルのほうに向かって歩いていくと、ボートの交渉をしているロバートの姿が目に入った。近づいて朝の挨…

<Day 19 バラナシ >

1月24日 朝起きて、部屋のテラスから朝陽が昇るのを眺めた。 ロード・ビシュヌ・ゲストハウスから河までは数十メートルの距離があるので、シータの屋上のようにすぐ目の前が河というわけではなかったが、自分の部屋からガンジス河と朝陽が見られるのはや…

<Day 18 バラナシ >

1月25日 6時15分にコジマ君が部屋のドアをノックした。 ボートに乗って朝陽を見ることになっていた僕らは、そのまま宿を出て河に下りていった。太陽はまだ昇っていなかったが、空はうっすらと明るくなり始めていた。 コジマ君の知り合いの女性とも落ち…

<Day 17 バラナシ >

1月22日 朝7時に起きて屋上に行くと、ガンジス河の向こうからすでに朝陽が昇っていた。 河の上には何隻かのボートが浮かび、陽の光に照らされながらゆっくりと水上にその軌跡を描いている。ホテルやガートがあるこちらの岸とは対照的に、対岸には建造物…

<Day 16 バラナシ >

1月21日 当初の予定であれば今日、日本に帰国していたはずだった。 8時半に起床して屋上に上がり、椅子に座って過去2日分の日記を書き、コジマ君の宿をキャンセルするための戦略を考えた。 妥協しない姿勢を見せることは大事だが、ケンカ腰でいっていた…

<Day 15 バラナシ >

1月20日 8時半に起き、階段を下りてガンジス河に出ると、人々が沐浴をしていた。 河の中に腰まで浸かり、上半身に水をかけ、祈るような動作を行う。プシュカルと同じように、いやそれ以上の聖地とされているバラナシでは、このように沐浴をする人々も町…

<Day 14 列車 ~ バラナシ>

1月19日 朝になり、下段のシートに下りて窓の外を眺めているとコジマ君がやって来た。 車内はかなり空いていて、ガランとしていた。僕たちはバラナシに到着するまでしばし話をした。 列車は1時間遅れでバラナシの駅に到着した。 外に出るとリクシャーの…

<Day 13 アーグラ >

1月18日(アーグラ) 6時に起きて支度をして、一階に下りた。 リクシャー運転手のおやじはロビーで待っていた。おはようと挨拶をしてさっそく外に出ると、あたりはまだ暗く、凍えるような寒さを感じた。オートリクシャーは普通の乗用車などと違い両サイ…

<Day 12 プシュカル >

1月17日(プシュカル~) 8時に起床し、テラスに出た。 ひんやりとした朝の空気を味わいながらタバコをふかしていると、宿の前の通りを一頭の牛がのんびりと歩いているのが見えた。 朝食を取るため、もはや行きつけとなりつつある湖畔の屋上レストランに…

<Day 11 プシュカル >

1月16日 (プシュカル) 7時過ぎに起きて部屋の外に出ると、隣の部屋からロバートも出てきたので、僕らは2人でホテルの外に出た。 まだ外は薄暗く、吐き出す息が白かった。 そのまま10分ほど歩いて湖に行き、ガートに出ると、そこにはすでに数人のイ…

<Day 10 ジャイプル >

1月15日 (ジャイプル~) 朝起きて、パールパレスの屋上に行った。 しばらくするとロバートもやってきて、僕たちは朝食を食べながら話をした。昨晩見たインド映画の観客の熱狂ぶりなどについてしばし話が盛り上がったのち、僕は話題を変えて言った。 「…

<Day 9 ジャイプル >

1月14日 (ジャイプル) 7時半に起き、ホテルの屋上に上がった。 昨日ホテルのオーナーと話した際に、朝から屋上で凧を上げるから見に来るといいと言われていたのだ。 屋上にはミシェルがいたのでまた少し話をし、ホテルのスタッフらしき男性2人が凧を…

<Day 8 ジャイプル >

1月13日 目が覚めたとき、バスはどこかのバス停に停車中だった。 寒さのせいでなかなか寝つけなかったが、それでも2、3時間は眠りに入っていたような気がする。そうすると今は午前3時くらいだろうか? まだ外は暗く、トイレに行こうと思ってバスを降り…

<Day 7 ジャイサルメール >

1月12日 (ジャイサルメール~) 寝袋の中で浅い眠りを繰り返すうちに、やがて空が少しずつ白み始めた。 僕は寝袋から這い出ると、すでに起きていたディナが作ってくれたチャイを飲み、同じように起きてきたロバートと一緒に砂丘に登った。 しばらくする…

<Day 6 ジャイサルメール >

1月11日 朝になり、荷物をまとめてレヌーカに向かうと、ホテルの前の石段にリンダが腰かけていた。 なにやら元気がなさそうな顔しているのでどうかしたのかと訊ねると、朝からお腹の調子が悪いのだという。インドではほとんどの旅行者が1度はひどい下痢…

<Day 5 列車 ~ ジャイサルメール >

1月10日 目が覚めてからもしばらく横になっていると、下のほうでベッドをたたみ始める音がしたので、自分も下に降りることにした。 昨日最初に話をしたサラムはいなくなっていた。彼はジャイサルメールよりも手前の町で降りると言っていたから、僕が眠っ…

<Day 4 デリー >

1月9日 9時頃に起床し、ホテルのテラスに出た。 空は曇っていた。その空とメインバザールの通りを眺めながら、そういえばデリーに来てから日本人の旅行者と一度も遭遇していないなとふと思った。 今日でデリーとはお別れなので、ホテルをチェックアウトし…

<Day 3 デリー >

1月8日 9時過ぎに起き、泊まっていた宿のチェックアウトをした。 宿に大きな不満があるわけではなかったが、初日にとにかく荷物が置きたくて選んだ場所だったので、デリー最後の夜はせっかくだから別の場所に泊まってみようと思ったのだ。 2日間歩き回っ…

<Day 2 デリー >

1月7日 デリーから先どこに向かうかは決めていなかった。 昨日メインバザールを歩きながら、ふらりと旅行案内所に入ってみたのも、この先のルートを決めたいという思いがあったからだった。 帰りの便はデリーではなく、コルカタ発にしていた。1月21日の…

<Day 1 デリー >

1月6日 成田からシンガポールを経由した飛行機は、現地時間の午前11時頃にデリーの空港に着陸した。 デリーは曇っていた。滑走路に停止した飛行機の窓から見る風景は、全体がなにやらうっすらと煙に包まれているように白っぽかった。インドに着いたのだ……