<Day 4 デリー >


                1月9日

 9時頃に起床し、ホテルのテラスに出た。
 空は曇っていた。その空とメインバザールの通りを眺めながら、そういえばデリーに来てから日本人の旅行者と一度も遭遇していないなとふと思った。

 今日でデリーとはお別れなので、ホテルをチェックアウトし、昨晩エアコンが使えなかった悔しさから敬遠した屋上レストランに行ってみた。吹きさらしなので少し冷えるが、なかなか雰囲気は悪くない。感じのよい店員のお兄さんにチョコバナナパンケーキとチャイを注文して朝食とした。
 食べながら新聞を読んだ。記事によるとここ最近のデリーはとても冷え込み、霧がひどいせいで多くの飛行機が遅れたり欠航したりしているらしい。確かに自分が到着した際もかなり曇っていたから、予定通り到着できたのはあるいは幸運だったのかもしれない。
 レストランの客を見る限り、ホテルには西洋人のグループがいくつか泊まっているようだった。談笑している彼らを見ながら、そういえば自分はひとりだなあと思う。インドに着いて以来いろんなインド人に話しかけられ、人との交流がなかったわけではない。むしろ通常の旅よりも誰かと会話している時間は長いくらいだった。ただ、同じように旅をしている旅行者との接触というものはなかった。
 もちろんメインバザールには多くの旅行者がおり、路上のカフェやレストランはそうした旅行者、特に西洋人のバックパッカーで溢れていたが、彼らと会話する機会はほとんどなかった。いや、むしろ自分はバックパッカーで溢れているようなカフェなどは入るのを避けていたところがあった。その理由ははっきりとはわからないが、あるいはいかにも旅慣れていそうな彼らの中に溶け込む自信がなかったのかもしれない。
 もともと旅はひとりのほうが気楽でいいと思っていたが、デリーに来てからは自分の常識を揺さぶられるような光景を次々と目にしていたので、異国人の視点でその興奮を語り合える相手がいないのは少し寂しくもあった。

  ジャイサルメールへの列車は夕方発なので時間があったが、とりあえず駅のあるオールドデリーの方向に向かって歩くことにした。
 ニューデリー駅の周辺ではサイクルリクシャーの姿が目につき、そのうちのひとりがモーニングタイムだから安くするよと声をかけてきたが、大丈夫と言って歩き続けた。昨日までと違って今日はバックパックを背負っていたが、快適なホテルで休めたせいか足の疲れは回復していた。

 オールドデリー地区に入り、ガンジーが火葬されたというラージガートや、レッドフォートと呼ばれる大きな砦を見物したりしていると時間が少しずつ過ぎていき、やがて列車の出発時間が近づいてきた。

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(レッドフォート)

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(デリー駅の前)

 駅に行き、出発の1時間前に改札口を通って中に入った。駅の中は人でかなり混み合っており、そうした人々と押し合いへしあいしながら進み、荷物チェックの機械にバックパックを通過させた。インドでは鉄道に乗る際もこうして荷物チェックが行われるようだった。
 そのあとはもうやることはなく、ひたすら待つこととなった。そして5時10分くらいにジャイサルメール行の列車に関するアナウンスがされたので、チケットや電光掲示板の表示を見て「PF8」、つまり 8番プラットホームへと降りていった。
 ほどなくして青い色をした列車がホームに到着したため、それに乗り込んだ。

 列車の中は通路を挟んで両サイドに席が設置されていた。
 僕が購入したチケットは「A/C 3段寝台」、略して3Aと呼ばれるもので、つまりA/C(空調)がついた3段ベッドの車両だった。寝台車両にはこのほかに「1A(A/C付き1等寝台)」、「2A(A/C付き2段寝台)」、「SL(A/Cなし3段寝台」という種類があり、一番安いのがSLで、その次が3Aだった。
 席はベッドとしても使える横長のマットレスに複数で腰かけるような形となっていた。そして座席の頭上には2段ベッドのような形で同じようなマットレスが設置されており、1段目の座席の背もたれを引き上げて鎖で固定することで、上の段との間にもうひとつベッドを作ることができる仕組みだった。
 ただ僕が座席にたどり着いたときはまだ夕方だったこともあり、2段目のベッドはまだ起こされておらず、3段目の客も1段目のシートに座っていた。僕のシートもまた3段目だったが、とりあえずは他の乗客たちと共に並んで1段目のシートに座ることとなった。

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 シートは前のシートと正対する形になっていたので、いわゆる6人がけのボックス席のようになっていた。
 向かいの席に2人のインド人が座っていたので簡単な挨拶をかわすと、そのうちの比較的若そうな男と会話が始まった。サラムという名で、空軍で働いているらしい。フィアンセの趣味がコインの収集だというので、たまたま財布に残っていた1円玉を3枚あげた。

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 その後もしばらくサラムと話を続けていると、数人の旅行者らしき女性が笑い声をあげながら近づいてきた。彼女たちは僕たちのシートの目の前で止まると、その内のひとりが僕にカメラを渡し、自分たちの写真を撮ってくれないかと言った。僕は了承し、ピースサインをしてこっちを向く彼女たちの写真を何枚か撮った。
 写真を撮り終わると、カメラを渡してきた女性だけがその場に残り、残りは来た方向へ引き返していった。
 ひとりになった彼女が僕らに挨拶をした。どうやら彼女もこのボックス席の乗客のひとりのようだった。彼女もまたデリーから列車に乗っていたようだが、今まではデリーで知り合った友人たちの席にいたらしい。ただしその友人たちとは今後の行き先が異なるため、先ほど記念撮影と別れの挨拶をし、それぞれの席に着いたということのようだった。彼女はドイツ人で、名前をリンダと言った。
 どこまで行くの、と聞くと、
ジャイサルメールよ」
 とリンダは答えた。
「あ、そうなんだ。俺もジャイサルメールだよ」
 そんなやり取りをし、それからは向かいに座った彼女と話し始めた。

 リンダは随分長い間旅をしているようだった。インドに着いたのは僕と同じくらいの時期だったが、それまでは中米、南米、アジアを周ってきたらしい。年齢は自分と同じくらいに見えた。
 そしてふいに彼女が言った。
「あなたダライ・ラマを見た?」
ダライ・ラマ?」
 ダライ・ラマの率いる亡命チベット政府がインド北部のダラムシャーラーにあることは知っていた。ただ唐突の質問に意味を測りかねていると、
「さっきダライ・ラマがデリーの駅前で演説をしていたのよ。私はそれを聞いていたから列車に遅れそうになっちゃって」
 とリンダは言った。そんなことがあったとは知らなかった。僕は発車の1時間前には駅構内に入っていたから気がつかなかったのだろう。まさかそんな近くにチベット仏教の指導者が来ていたとは……見てみたかったなと思った。リンダはヨガや仏教に興味があるようだった。

 夜になるとどこからか食事の注文を聞きにくる男があらわれ、彼に頼んで金を払うとインド式の夜食が届けられた。そして9時くらいになると、まわりのインド人が2段目のシートを起こしてベッドを作り始めたので、僕も側面についている梯子を使って3段目のベッドに上がり、横になった。

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 静かになった車内で横になり、列車がたてるガタンゴトンという音を聞いていると、旅に目覚めてしまったかな、という思いが湧き上がってくる。この移動の感覚。リンダの旅の話。忘れていた感覚だった。そして僕はこの移動しているという感覚が好きなようだった。
 車内は暖房が効いているのか暖かく、そのせいか空気が乾燥しているようで、やたらとのどが乾いた。買ってきたジュースも飲み切ってしまったので、渇きを癒すすべもない。やがて明らかにのどが痛くなり始めたが、どうすることもできないので、もっと水を買っておけばよかったと後悔しながらどうにか眠りにつこうとした。