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<Day 5 列車 ~ ジャイサルメール >


                1月10日

 目が覚めてからもしばらく横になっていると、下のほうでベッドをたたみ始める音がしたので、自分も下に降りることにした。
 昨日最初に話をしたサラムはいなくなっていた。彼はジャイサルメールよりも手前の町で降りると言っていたから、僕が眠っている間にその駅に着いたのだろう。
 窓の外はすっかり明るくなっており、まるでサバンナのような荒涼とした風景が続いていた。

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  リンダにジャイサルメールの宿でどこかいい場所を知っているかと聞かれたので、なにも知らないと答えると、彼女は「レヌーカ」という宿の評判がよく、自分はそこに行くつもりなので一緒に来たらどうだと言われた。バックパッカーのリンダが選ぶ宿だから値段も妥当なのだろうと思い、そうすることにした。

 列車は午後1時頃、予定より1時間ほど遅れてジャイサルメールの駅に到着した。
 駅にはリンダの言っていたレヌーカという宿のスタッフが、到着する旅行者を宿に誘うためにやって来ていたので、レヌーカに泊まりたい旨を伝え、その彼の車に乗り込んだ。

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 走り出した車の窓から町の景色を眺めた。
 確かに砂漠の町、といった感じがする。ほとんどの建物が砂と同じような色の石で作られているため、色調は主に空の青色と地上の黄色の2色によって構成されていた。雰囲気もデリーより大分のんびりしているように見える。またデリーはジャンパーを着てニット帽をかぶるような寒い気候だったのに対し、こちらは陽射しが強く、日中はTシャツでも問題なさそうなくらい暖かい。

 ジャイサルメールは小さな町のようで、すぐに「ホテル・レヌーカ」に到着した。
 小ぶりでいかにも安宿っぽい雰囲気の建物だが、どこか清潔感があり、スタッフの対応も洗練されていて、人気があるのもわかるような気がした。
 宿の男性が2階にある部屋を見せてくれた。値段を聞くと一泊250ルピー、500円ほどだと言う。ただしトイレもシャワーもついていない。まあ、安いしこんなものかと承諾してフロントに降りていくと、ちょうど1階の部屋に案内されて泊まることを決めたらしいリンダと会った。
 そっちはどんな部屋なの、と中を見せてもらうと、彼女の部屋にはトイレもシャワーもついていて、値段もそれほど高くはなかった。そこで僕はもう一度宿の男性をつかまえて訊ねた。
「トイレつきの部屋はある?」
「このホテルではもう空いていないが、この近くにもう一軒ホテルがあって、そこならトイレとシャワーつきで450ルピーの部屋がある」
 そう彼は言った。なるほど、どういう関係なのかわからないが、そういう場所があるならそっちに行ってみるのもよいような気がした。
 250ルピーでレヌーカの部屋にするか、450ルピーを払ってもうひとつのホテルの部屋にするか……
 悩んでいると、その様子を見たリンダが言った。
「だったら私の部屋に泊まったら?」
「?」
「そうすればトイレもシャワーもついてるし」
「ああ……なるほど」
「部屋代もシェアできるし」
 彼女はごくあたりまえのことを言っている、といった口調だった。
 いや、実際彼女にとっては特別なことではないのかもしれなかった。一瞬昨日からの短い期間で 自分に対する特別な好意でも芽生えたのだろうかとバカなことを考えたが、彼女の表情を見るにそういうわけでもなさそうだった。バックパッカー生活を1年以上も続けているという彼女は、これまでもそうして旅行者と部屋をシェアしてきたのだろう。まあ、少なくとも僕のことを部屋をシェアしてもいいくらいには怪しい人間ではないと判断してくれたのかもしれないが。
 うーん、と1分ほど考え、やはり別のホテルに部屋を取ることにした。部屋代は安くなるし、それはそれで面白い滞在になりそうだが、会ったばかりの女性とひとつの部屋でシャワーなどを共有するというのは、さすがに気を使って落ち着かなそうに思えたからだ。
 教えられたもうひとつのホテル「ラタン・パレス」はレヌーカから100メートルも歩かないほどの場所にあり、行ってみると部屋もなかなかいい感じだったので、料金を払ってそこに泊まることにした。

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 部屋に荷物を置いたあとはレヌーカに戻り、ホテルの屋上にあるレストランでリンダと昼食を食べた。
 地図で見るとジャイサルメールは町全体が城壁のようなものに囲まれており、端から端まで歩いてもせいぜい1キロほどしかない小さな町だった。自分がいるレヌーカは町の北西部に位置しており、南部にはこの町のシンボルともいえる大きな砦のようなものが立っている。
 レヌーカの屋上レストランからはこの砦がよく見えた。

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  お互いに予定もなかったので、食事を終えたあとは2人でこの砦に向かって歩いていった。リンダは昨日足をくじいたとかで速く歩くことができなかったので、のんびりと砦の中にあるジャイナ教の寺院や土産物屋などを見てまわったが、それでも1時間もするとまわりきってしまった。

 その後は町の正門と思わしき場所から城壁をくぐって外に出て、近くにある丘に向かって歩いた。この丘は出かける際にレヌーカのスタッフから夕陽がきれいに見れるから行ってみるといいと勧められていた場所だった。少しずつ日も傾き始めていたので、丘に着く頃にはちょうどいい時間になりそうだった。

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 町の外はさらにのんびりした雰囲気で、バラックのような建物や、その周辺で遊ぶ子供たちの姿などが目についた。やがて丘に至る坂道に入ると、その坂道に沿うように建てられていたバラックからたくさんの子供たちが駆け寄ってきた。
 きっとこの坂道を、夕陽目当ての観光客がよく通るのだろう。そしてそのたびに彼らから何かをねだっているのだろう。10ルピーがほしいと手を差し出してくる子、チョコレートをほしがる子、なぜか蛍光のサインペンを持っていて、それで手のひらに何かを書き始める子もいた。
 僕はちょうどチョコレートを持っていたので、横について歩いていた4、5歳くらいの男の子に渡そうとした。するとそれを遠くで見ていた年上の子がすぐに僕の手からチョコレートをひったくり、走って逃げてしまった。悲しそうな顔をする男の子に、やられちゃったな、ごめんな、と言いながら、なおもついてくるその子と一緒に坂を登り続けた。
 頂上に着く頃には、僕もリンダもすっかり子供たちの集団に囲まれていた。

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 丘の上には旅行者らしき者たち数人と、民族楽器を演奏するインド人のおじさんがいた。おじさんは英語を話したので、演奏の合間に少し話をした。彼はこの近くのテントに住んでいて、奥さんは亡くなり4人の子供がいるのだと言った。 そして自分の持っている楽器は伝統楽器で演奏者が少なくなっているが、ある町では日本人がその伝統を継承したいといって学んでいる、しかもその彼はすごく腕がいいんだ、などといったことを教えてくれた。
 写真を撮ってもいいかと聞くと、自分の子供を呼び寄せ、一緒にカメラに収まってくれた。一瞬お金を請求されるかなと思ったが、そんなことはなかった。
 リンダのほうを見ると、すっかり小さな女の子たちに囲まれていた。そのうちのひとりからアクセサリーのようなものを買ったらしく、そのお礼という意味なのか、ひたいに蛍光のサインペンで小さな点のようなものを書かれていた。

 やがて太陽が沈み始めた。ホテルのスタッフが言った通り、その丘からの夕陽は美しかった。そしてその光景に合わせるかのように、おじさんが楽器を持って立ち上がり、演奏を始めた。
 子供たちの相手が忙しく、正直僕もリンダもじっくりとこの美しい夕陽を堪能できる状況ではなかったのだが、それでもジャイサルメールの町の向こうに落ちていく太陽と、それをバックに楽器を奏でるおじさんの姿は、何か心に残った。

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 夕陽も見たしそろそろホテルに帰ろうかと歩き始めたとき、演奏を終えたおじさんに呼び止められた。
「私のテントに来て、一緒にチャイを飲まないか? そこでまた演奏を聴かせてあげよう」
 どうしようかと思い、リンダを見た。
「でも、もう暗くなってきてるし……」
 やや困惑した表情を浮かべながら彼女は言った。
 確かに日も落ちてあたりは薄暗くなり、夜が始まろうとしていた。
 テントは近くだと言ったが、正確にどのあたりにあるのかはわからない。またそこで時間を過ごせば、町に戻る際は完全に夜になっているだろう。街灯もほとんどないような道だ。ほんの15分ほどの道中とはいえ、何が起きるかわからない。
 おじさんが悪い人間だとは思えなかった。しかし初めての土地で、日が暮れる中で知らない場所についていく。その判断に対する確信が持てなかった。
 僕は彼の誘いを断り、演奏のお礼に25ルピーを渡すと、さようならと言って坂を下りた。
 お金を受け取るとき、彼は少し悲しげな表情をしたように見えた。
 
 町に戻ったあとは、8時半に待ち合わせて食事をしようということになり、2人とも一旦お互いの部屋へと戻った。
 一休みして時計を見るとまだ7時前だったので、薬局に行ってのどの薬を買い、ついでに足を痛めているリンダのために軟膏のようなものを買った。さらによさそうなレストランを物色したりしていると、ふいに辺りが真っ暗になった。
 停電のようだった。
 通りは突然闇に包まれたが、町のひとは特に慌てている感じでもない。よくあることなのかなと思っていたら、しばらくして再び明かりが灯った。
 
 8時半近くになったのでレヌーカに行くと、リンダがフロントでスタッフと話をしていた。何を話しているのかと聞くと、「キャメルサファリ」というものに申し込もうとしているのだという。
「キャメルサファリ? なにそれ?」
 そうリンダに訊ねると、それを見たスタッフが今度は僕に声をかけてきた。
「よかったら君も参加しないか?」
 なんでもキャメルサファリというのは、ジャイサルメールの町の郊外からラクダに乗って移動し、とある砂丘まで行ってキャンプをするツアーのようなものらしい。
 すごく面白そうじゃないか、と思った。明日はジャイサルメールの近くにあるクーリーという小村に行ってみようかと思っていたのだが、このキャメルサファリにはそれを上回る魅力があるように感じた。特に砂漠で一夜を過ごすというのがいい……
 今のところリンダ以外にも3人の旅行者のグループがツアーに申し込んでいるという。結局その場の勢いもあり、自分も参加することをスタッフに告げた。 

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 ところがどうしたわけか、一旦申し込みの返事をしてしまうと、途端にそれでよかったのだろうかという思いが湧き上がってきた。なにかジャイサルメールに到着して以来、ホテルにしろ、行く場所にしろ、ずっとリンダの提案に従って動いてきていたので、一日くらい自分ひとりで自由に動いてもよいのではないかと思ったのだ。
 デリーを発つ朝には旅を共有できる仲間がいないことを嘆いていたのにまったく勝手なものだが、考えているとその思いはいよいよ強くなり、やはりキャンセルしようかという気持ちになってきた。
 また僕がこのキャメルサファリへの参加をためらったのには、もうひとつ理由があった。自分の英語力に自信がなかったのだ。
 もちろん今日もほとんど一日リンダと一緒に行動していたわけだが、その途中何度も自分の英語力の足りなさを実感し、思うように意志を伝えられないもどかしさを感じていた。これが一泊二日、しかも5人のグループの中に入ってずっと一緒に行動するとなると、果たして自分は会話についていけるのだろうかという不安があった。
 気持ちはすっかりキャンセルに傾きはじめていた。が、ひとまず答えは保留にしたまま食事に出かけることにした。

 先ほど目星をつけておいた二軒のレストランをリンダに見せ、そのうちの一軒に入って食事を頼んだ。僕はほうれん草のカレーとナンとコーヒーを頼み、値段は全部で165ルピーだった。
 レストランには僕ら以外に客はいなかった。夜になっても喧噪がやまないデリーとは違い、なんとなくしんとした雰囲気の中で食事をしながら、人生のことや旅のこと、インドのことなど様々なことを話した。
「あなたは仏教徒?」
 話の途中でリンダに聞かれ、どう答えたものかと思ったが、まあ一応そういうことになるかなと返事をした。
「そうだと思った。態度が落ち着いているし、安定(stable)している感じがするから」
 そう彼女は言った。落ち着いているのは単に性格の問題で、自分が安定しているとは到底思えなかったし、そもそも仏教徒とは関係ないような気もしたが、日本人の平均的な宗教感覚を伝えるのも難しく、曖昧に返事をした。
 こういった込み入った話になると、また自分の英語力のなさにわずかな苛立ちと疲れを覚えたが、僕は僕で前回の旅から9年の時間が経ってしまったことや、自分の心がいったい何を求め、自分がどこにいるのかを知りたい、などと漠然としたことまで思いつくままに話をした。こうした普段なら照れくさくなってしまうような話題も、旅の中にいるとそれは口にするのがとても自然なことのように感じるのだった。
「私はドイツに住みながら、人生を充実させるためにいろいろなことを試してみたの。ピアノを習ってみたり、ダンスを習ってみたりね。でも……子供のときからずっとやりたいと思っていたのが旅に出ることだった。だから働きながらお金を貯めて長い旅に出たの」
 カレーを食べながら話は続いた。
 英語は相変わらずうまく口から出ていかなかったが、食事のあと僕は自分がキャメルサファリに対して前向きになっていることに気がついた。
 いいじゃないか、これも何かの縁だ。考え過ぎず、流れに乗っていけばいい……
 青臭いような話を大真面目にしたせいなのか、自分の中のこだわりが消え、よくわからない勢いのようなものがついたようだった。