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<Day 6 ジャイサルメール >


                1月11日

 朝になり、荷物をまとめてレヌーカに向かうと、ホテルの前の石段にリンダが腰かけていた。
 なにやら元気がなさそうな顔しているのでどうかしたのかと訊ねると、朝からお腹の調子が悪いのだという。インドではほとんどの旅行者が1度はひどい下痢などに苦しむというが、彼女もその洗礼を受けたということだろうか。ひょっとして昨日の夜のレストランの食事がいけなかったのか……同じく食事をした僕のほうはなんともなかったが、彼女のほうは何か悪いものにあたってしまったのかもしれない。
 さらに僕らと同じようにキャメルサファリに申し込んでいた3人のグループも体調不良でツアーをキャンセルしたらしく、参加するのは僕ら2人だけとなったとリンダは言った。
「でも私はキャンセルするつもりはないわ。ジャイサルメールに来たら絶対にキャメルサファリに参加するって決めてたから」
 この状態で本当に大丈夫だろうかと心配にもなったが、ひとまず予定通り今日のツアーに参加することを確認し、僕は背負っていたバックパックをレヌーカのスタッフに預けることにした。今晩は砂丘に泊まることになるし、キャメルサファリに行っている間はレヌーカで荷物を保管しておいてくれるという話だったので、僕は泊まっていたホテルを先ほどチェックアウトしてきていた。
 また荷物を預けるついでに、長距離バスの切符もスタッフに手配してもらった。行き先はデリーの南西にあるジャイプルという町だった。明日キャメルサファリから帰ってきたら、僕はジャイサルメールを発ってこのジャイプルに行くことに決めていた。ジャイサルメールは面白い町だったが、15日間という滞在日数を考えるとそろそろ他の場所に移る時期だろうと思ったからだ。リンダはこの後ヨガを学びに北部のリシュケーシュに向かうと言っていたので、東に向かう僕とは行き先が別れることになった。

 キャメルサファリの出発は午後だったのでまだ十分な時間があった。僕は近くの薬局に行き、リンダの症状を説明した。友人が腹を下してしまって……と話し始めると、カウンターにいたおやじはそのすべてを聞き終わる前に、
「下痢か。ならこの薬を水に溶かして飲め」
 そう言って、粉末の入った袋を出してきた。きっと何度も何度もこうやって腹を下した旅行者の対応をしているのだろう。いつものこと、といった感じだった。それだけに、なんとなくこの薬は効くかもしれないなという気がした。
 再びレヌーカに戻って彼女に薬を渡すと、自分は屋上のレストランに上がった。チャイとフルーツパンケーキを注文して朝食を取っていると、やがてリンダも上がってきたが、彼女は何も食べず、ただ持っていたペットボトルの水に僕が買ってきた薬を溶かして飲んだ。

 朝食が終わると再びひとりで町を歩いた。
 キャメルサファリでは強い日差しを浴びるから対策をしたほうがよいとホテルのスタッフに助言されていたので、クルタと呼ばれる長袖のシャツのようなものと、頭に巻くためのスカーフを古着屋で購入した。
 買い物を終えてレヌーカに戻ると、スタッフからツアーにもうひとり参加者が加わったことを聞かされた。その彼は今出かけているとのことだった。出発の時間までまだ時間があったため、僕はホテルの前の石段に座ってぼんやりと通りを眺めていた。
 やがて散歩に出ていたらしいその新しい参加者が戻ってきて、ホテルの前にいる僕に挨拶をした。
「ロバートだ」
 にこやかな笑みを浮かべて握手をしながらその男は言った。長身でブロンドの髪とひげを生やしている。年齢は40歳くらいだろうか。彼の顔には見覚えがあった。確か昨日もホテルの前で顔を合わせ、軽い挨拶をしていたはずだった。訊くと彼もドイツからの旅行者だという。新しい参加者と聞いてどんな人物が現れるのだろうかと思っていたが、彼の笑顔と柔らかい口調になにかホッとする気持ちになった。


 やがて出発の時間となり、僕とリンダとロバートはホテルの前までやってきた迎えの車に乗り込んだ。まずは車で郊外まで行き、そこからラクダに乗るということだった。
 町の外に出てしばらく走ると周辺から建造物が消え、わずかに木が生えているだけの荒野となった。土をならした道が続いており、人や他の車両などは見当たらない。あたり一面に開けた空間の中を、車は時速80キロくらいのスピードで疾走した。

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 途中バラ・バーグという遺跡のような場所に立ち寄って20分ほど見物したのち、車はさらに走ってこれまた何もないような場所でふいに停車した。
 そこで4頭のラクダと、2人のガイドが僕たちを待っていた。
 送迎の車は僕たちを置いて走り去り、僕たちはガイドたちと簡単な挨拶をかわした。ラクダは僕ら3人のために1頭ずつ用意されており、残りの1頭は荷物を運ぶためのようだった。
「これが君のラクダだ。名前はマニアと言う」
 そう紹介された。ガイドはリーダーと思われるほうが40代くらい、その助手と思われる男も30代か40代くらいに見えた。ふたりとも朴訥で物静かな感じだった。
 ラクダに乗るのはもちろん初めてで、間近で見るとなかなかに大きい。まずは乗り方やつかまる場所などを教わり、その通りにしてまたがると、座っていたラクダがすっくと立ちあがった。
 立ち上がったラクダは思ったよりも背が高く、その視点の変化に小さな驚きを覚えた。通常の馬よりもさらに一段高い感じだ。またつかまる場所がラクダの蔵から垂直に突き出ている10センチほどの突起だけなので、多少心もとない感じもする。暴れたりでもされたら振り落とされそうだ。
 もっともラクダたちは僕のそんな心配をよそに、穏やかな表情を浮かべながらゆっくりと歩きだした。ゆっさ、ゆっさと体を上下に動かしながら進んでいくので、それに合わせて僕の体も上下にゆっくりと動いた。ラクダは2頭ずつがロープでつながれてペアとなっており、それぞれのペアの先導をガイドが行っていた。

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 途中で薪を調達してラクダの背に積んだりしながら、だだっ広い空間の中を一行はゆっくりと進んでいった。乗りなれていないせいか、しばらく乗っているとそれなりに足や尻が痛くなってくる。今回は一泊二日の行程だが、中には数日間にわたって行うツアーもあるらしい。これを連日行うのは結構体に応えそうだなと思った。
「2、3時間乗ればもう十分かな」
 途中僕のラクダと並行するように歩いた際にロバートが言った。
 あたりの風景はいわゆる砂漠という感じではなかった。むしろ土漠と言ったほうが実態に近く、なんだかアフリカのサバンナのようだなとも思った。まばらに低木が生えている以外植物はほとんど見当たらないことから、砂漠に近い気候ではあるのかもしれないが、漠然とアフリカのサハラ砂漠のような世界を期待していた僕はなんとなく期待が外れたような気もした。

 やがて地面に少しずつ砂が積もりはじめ、風景が少し砂漠っぽくなったなと思っていると、ほどなくしてラクダたちは今晩の野営地である砂丘に到着した。

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 なるほどこのあたりの地面は黄色い砂で覆われており、いわゆる砂漠のイメージに近かった。もっともそれは局地的に発生した砂だまりのようなものらしく、少し遠くに目をやれば先ほどまで歩いていたのと同じような土漠が続いているのが見えた。
「This is not desert. (こいつは砂漠じゃないな)」
 ロバートはそう言ったが、それでも積もった砂が隆起している様はなかなか美しかった。

 昼を過ぎてから出発したので、すでに夕暮れ近くなっていった。
 ロバートとリンダはなにやら話しこみ始めたので、僕はひとりで砂丘に登って周囲を眺め、夕食を作り始めていたガイドたちのところにいって話をした。
 ガイドはリーダーらしき男のほうの名をディナ、もうひとりの名をラルーと言った。ラルーは英語がしゃべれないようだったので、しゃべるのはもっぱらディナのほうだった。
「あのラクダたちはあなたたちのものなの?」
 離れたところに座って休んでいるラクダたちを指さして訊ねた。
「違う。借りているんだよ」
 落ち着いた風貌のディナが答えた。
「自分で購入しようとすれば4万ルピー払わなければならない。とてもそんなお金はないよ」
 そんなことを話しながら彼は野菜を切り、焚き火の上に置かれている鍋の中に投入していった。

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(左から: ガイドをしてくれたアルーとディナ)


 そして食事の時間となった。カレーにライスにチャパティ、それに野菜をチリソースのようなもので煮込んだもの。ディナとアルーが作ってくれた食事は結構スパイシーだったが、どれもとてもおいしかった。

 食事が終わるとディナが水を入れていたタンクをドラムのように叩きながら、アルーと一緒に歌を聴かせてくれた。砂漠の民の歌だという。シンプルなリズムとシンプルなメロディだったが、暗闇の中で焚き火を囲んで聴くそれはいいものだった。君たちも何か歌ってくれ、と言うので僕は少し考えたあとに「島唄」をうたい、リンダとロバートはドイツの民謡を、続いて3人で英語の歌をうたった。ディナが日本の歌をさらに聴きたがったので、なにがいいだろうと考えるのだが、どうしてもこの場に相応しい歌が浮かばない。こんなときには日本のポップスやロックなどではなく、古い民謡などがよさそうに思うのだが、そうした歌の歌詞をろくに覚えていない自分に気づく。僕はそのことに少し愕然とし、残念な気持ちになった。
 こんな風に異国の人々と火を囲んだ際にうたえるような歌を、ひとつかふたつは知っておくべきだな……今後このような機会が訪れるかもわからなかったが、そんな風に思った。

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(水を入れるタンクをドラムにして歌うディナ)

 歌のあとはみんなでいろいろな話をした。ロバートもこれまでに多くの旅をしてきているようで、旅についての話や、ロバートの息子の話、仕事の話、彼の祖父の話、情報化社会と言われる現代についてなど、話題は様々に移り変わった。さらにロバートとリンダは共にドイツのベルリン在住で、お互いの家が数百メートルしか離れていないことがわかり、その奇妙な偶然にみんなで驚き合った。もちろんリンダとロバートはジャイサルメールに来るまで会ったことはなかった。いや、同じスーパーマーケットを使っているということだったから、あるいはかなりの確率で顔を合わせていたかもしれない。いずれにせよ、そんな近くに住んでいる者同士がインドの外れの砂漠の町で遭遇するというのはかなりの確率のように思われた。
 リンダはデジタルカメラに入っているこれまでの旅で撮った写真をディナやアルーに見せ、2人はそれを興味深そうにずっと眺めていた。液晶に映る様々な国の写真を見ながら彼らはどんなことを考えているのだろうと思った。
 さらにロバートがディナにこんなことを訊ねた。
「君は我々をクレイジーだと思うかい?」
 ロバートはさらに続けた。
「わざわざお金を払って、ラクダに乗って砂丘に来てキャンプをして満足して帰る。そんな我々を見てどう思う?」
 ディナは答えなかった。あるいは英語がそこまで流暢ではない彼は、ロバートの言っていることがわからなかったのかもしれない。僕はそれはディナに訊かなくてもよいことなのではないかと、ロバートの言動に多少の不快感を覚えなくもなかったが、ロバートがなぜそれを訊きたいと思ったのか、その心は理解できる気がした。

 午後10時半くらいになると、僕らは川の字になる形で用意されていた寝袋の中に入った。さらにその上にディナが何枚も毛布を重ねてくれ、ちょっと重いくらいだったが、砂漠なだけに夜はかなり冷えるのだろう。毛布を何重にも積まれた寝袋の中は暖かかった。
「もし寒かったらいつでも私に言ってくれ。1時、2時、3時、4時、何時でもいい。私はここにいる」
 そうディナは言った。

 寝袋から見上げる空にはものすごい数の星が瞬いていた。これまでに見た中でも最高の星空かもしれない。
「信じられないな。砂漠でキャンプしているなんて!」
 ロバートがちょっとおどけるように、しかし嬉しそうに言った。
 
 その夜、僕は何度か夢を見た。
 すべては日本での日常に関する夢だった。そして夜中に目が覚め、砂漠にいる自分を発見した。
 自分はインドの西のはずれの砂漠にいて、すぐ向こうはパキスタンなのだ。
 星空を見上げながらそんなことを思うのだが、依然として自分はその現実を実感しきれていないようにも思えた。