<Day 10 ジャイプル >


            1月15日 (ジャイプル~)

 朝起きて、パールパレスの屋上に行った。
 しばらくするとロバートもやってきて、僕たちは朝食を食べながら話をした。昨晩見たインド映画の観客の熱狂ぶりなどについてしばし話が盛り上がったのち、僕は話題を変えて言った。
「実は航空会社に連絡しようか迷っていて……」
 なぜだい、と訊ねるロバートに対し、僕は今朝になってやはり思いを強くしたことを言った。
「滞在を延長しようかと考えているんだ」
 インドに来て10日目となり、帰国の日まであと7日となっていた。今日これからジャイプルを発ってアーグラに向かうとしても、そのあとはバラナシにも行きたいし、コルカタも見たい。そうなればかなり急ぎ足の移動になりそうだった。日にちが進むにつれてどんどん旅がせわしなくなっていくことに、これでよいのだろうかという思いが強くなっていた。
 幸い僕が購入したシンガポール航空のチケットは30日間までなら滞在日程を延ばすことができた。よって現状は1月21日にコルカタを出発する形になっているが、最長で2月3日まで帰国便を引き延ばすことができたのだ。ただその場合は当然変更手続きというものをおこなわなければならない。それが電話でできるものなのか、航空会社のオフィスに行かなければならないのか、よくわからなかった。
 ロバートは延長に大賛成だったが、予定通り日本に帰る方針も依然として捨てきれない僕はひとまず決断を保留にし、ホテルに戻って荷物をまとめることにした。ロバートはもう数日ジャイプルに滞在したのちにデリーに向かうということだったが、早めにバスのチケットを買ってしまいたいということで、僕と一緒にバスステーションまで行くことになった。
 パールパレスの前には、昨日祭りを祝いたいといって先に帰ったリクシャーの運転手がいた。しばし雑談をし、今日ジャイプルを発つことを伝えると、
「じゃあ、なにか日本のものをくれないか」
 と彼が言った。記念のギフトとしてほしいのだ、という。その提案に多少の厚かましさを感じなくもなかったが、昨日一緒に行動して悪い男ではないと感じていたので、財布に残っていた50円玉を取り出してプレゼントした。彼は礼を言い、タバコを1本くれた。
 
 ホテルに戻ってチェックアウトをし、荷物をまとめて再びパールパレスに戻った。
 ロバートはホテルのインターネットルームでメールをチェックしていた。横に座ると、彼は僕のために航空会社のオフィスの場所を調べてくれた。僕のチケットはシンガポール航空のもので、残念ながらシンガポール航空のオフィスはジャイプルにも、これから行く予定のアーグラやバラナシにもないということだった。コルカタにはあるようだが、その場合は結局21日までにコルカタに行かなければならなくなる。
「ここから一番近い場所だとデリーになるな」
 ディスプレイに映し出されたオフィスの一覧を見ながらロバートが言った。
 デリーか……
 一度行った場所に戻るのは正直あまり気が進まなかった。ただデリーであればアーグラからでも比較的簡単に行くことができる。デリーとジャイプルとアーグラはちょうどデリーを頂点にした三角形のような形になっており、ジャイプルはデリーの南西、アーグラはデリーの南東に位置していた。この3つの街をまわるルートは「黄金の三角形ルート」とも呼ばれ、インドを短期間で旅行する人にとっての定番ルートでもあった。
 僕は心を決めきらないまま、とりあえずバスステーションに向かうことにした。

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 2人でリクシャーに乗ってバスステーションに向かった。
 僕はアーグラへ向かい、ロバートはデリーに行く途中にあるアルワールという町までひとまず向かうということだった。ところがリクシャーの中で、ふいにロバートが思わぬことを言った。
「プシュカルに行こうと考えたことはないか?」
 僕はあると答え、しかし日程的に厳しくなりそうなので今回の旅ではあきらめることにしたと言った。
「実はプシュカルに行くのもいいかと思って、迷っているんだ」
 なんでもジャイプルにもう数日滞在するのもよいが、今日のうちにプシュカルに行き、そこで数日過ごしたのちにデリーへ向かうのもよい気がするというのだ。
 このままバスでプシュカルに向かう……確かに地図で見る限りジャイプルとプシュカルはさほど離れていなかった。来る際に通り越してしまったが、ここから戻るという選択肢だってあるのだ……その事実になにかはっとするような思いでいると、リクシャーがバスステーションに到着した。

 時刻は11時半だった。少し歩くとチケット売り場が見つかり、窓口の上には様々な場所に向かうバスの料金と出発時刻が書かれていた。
「プシュカル行きは1時に出るようだな」
 まだ迷っている様子のロバートが言った。
 ジャイサルメールの運転手にその名を聞き、イスラエルの男からも聞き、そして今ロバートもその名を口にした。この場所にはなにかがあるような気がした。僕は段々プシュカルに行きたくなってきた。俺も行こうかな……と言うと、ロバートは嬉しそうに、それがいい、そうしようじゃないかと言った。僕は日記やメモなどを記録し続けているノートをウェストポーチから取り出すと、全行程の日付を縦に書きつけていたページを見ながら計算を始めた。
 今日は1月15日だ。そして今からプシュカルに向かうということは、21日にコルカタに帰るという当初の日程を放棄することを意味する。もちろん17日くらいにプシュカルを発てば、21日までにコルカタに着くことは可能だろう。しかしそうなればアーグラもバラナシもすっ飛ばして直行しなくてはならなくなり、そのような行程は自分にとって現実的ではなかった。
 もし電話でチケットの延長ができなければ、直接シンガポール航空のオフィスに行く必要がでてくる。最も近いのはデリーだ。ひとまずプシュカルに行き、向こうでオフィスに電話をする。もし電話でチケットの変更ができればいいし、できなかったらそこからデリーに行けばいい。プシュカルからでもデリーはそれほど遠くない。
 僕はノートから顔を上げ、どうする、といった表情で見ているロバートに言った。
「Why not?」
 いいじゃないか、行こう、プシュカルへ。
「そうこなくちゃ!」
 ロバートは軽くガッツポーズを作って笑った。

 プシュカル行きのチケットは107ルピー、たったの215円ほどで、時間も4時間くらいで到着するとのことだった。ロバートはチェックアウトをするために一旦ホテルに戻り、やがてバックパックを抱えて戻ってきた。
 見たところ外国人の比率の多そうなプシュカル行きのバスに乗り、走り出した窓の外の風景を眺めていると、自分は正しい決断をしたのだという感覚が体に満ち溢れるのを感じた。延長を決めたことで、帰りの日数と、各所の滞在日数を頭の片隅で計算し続けていた状態から解放され、僕は随分リラックスしていた。チケットの手続きなどはたしてうまくやれるだろうかと感じていた不安も、いざ心が決まってしまえばどうにでもなるように思えた。

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 もっと自由に動けばいいのだ……最初に決めた予定に縛られることなどない。なんなら帰りのチケットを買い直したっていい。インドから別の国に行ったっていい。可能性は常に、全方向に開いているのだ。英語に不安があろうが、かけずりまわり、必死に話せばなんとか道は開ける。要は自分がどうしたいかなのだ……
 もちろん所持金の問題があり、その制約を完全に無視することはできなかったが、それでも自分の中のひとつの扉が開いたような気がした。そしてそれはどこかでロバートの存在が大きかったようにも思う。
 窓の外を歩く人々や通りの様子を眺めていると、とんでもない異国に来たと感じていたデリーの頃とくらべ、どこかで目の前の光景を普通に受け入れている自分に気がつく。人間どんなものにでも慣れてしまうのだ。日本に帰ったらどんな風に思うだろう? ちゃんと感じることができているだろうか? 何かを得たいという気持ちが強いあまり、素直にものを受け止められていなかったりしないだろうか? 実際の体験を、期待した体験にすりよせたりしていないだろうか? ただ見ればよいのだ。帰る者としての目ではなく、そこにいる者の目で……
 あのとき成田空港のチケットカウンターで家に帰ることを決めていたら、僕は今ここにはいなかった。しかしあのときは、家に帰ることが正しい選択のようにも思えた。だから決してわからない。選択の先に何が起こるかなんて、決してわからないのだ。
 インドに来たのは正解だった。土埃に舞う外の景色を眺めながら、そう確信していた。

 バスはアジメールという町に一旦停まり、そこから30分ほど走ってプシュカルに到着した。
 宿の客引きが何人かやってきたが、デリーやジャイプルと違ってしつこくなく、断るとすぐに納得して去っていった。
 プシュカルは小さな湖のほとりに作られた町で、ここもまたヒンドゥー教の聖地のひとつとされていた。バス停から少し歩くと町の中に入ったので、僕とロバートは今晩の宿を探して通りを歩いた。
 ホワイトハウス、アティーシ、OM、アマールといった名のホテルを順番に周って値段を訊き、部屋を見せてもらった。通りは人も車も少なく、ジャイプルとは比べものにならないくらい静かで平和な感じだった。あるいは聖地という土地柄も影響しているのかもしれない。僕は歩きながらすでにこの町が好きになっていた。ホテルの人々も皆親切で、別のホテルをチェックしてから決めたいと言うと、わざわざ次に行こうと思っていたそのホテルまでの道筋を教えてくれたりもする。そういった対応は、これまで訪れたインドのどの場所でも経験したことがないものだった。
 結局最初に見たホワイトハウスという名のホテルがよいということになり、部屋を取った。名前の通り壁が真っ白に塗られている2階建ての建物で、部屋数は10あるかないかくらいの小さなホテルだった。
 人のよさそうなホテルのオーナーと交渉をした結果、2部屋を900ルピーで貸してくれるということになった。部屋のサイズが違ったのでロバートとコイントスを行い、勝利した僕が大きいほうの部屋に泊まることになった。階段を上がった2階にあるその部屋には大きなダブルベッドにテーブル、それに3、4人は座れるソファーが置いてあり、それでも空間にゆとりがあった。さらに扉からテラスに出ることもでき、これで1部屋450ルピー、900円ほどであれば悪くないなと思った。

 日も暮れ始めていたので再び外に出て、湖まで歩いてみた。
 湖のほとりにはガートと呼ばれる階段が設置されており、そこを通ることで水辺まで行くことができた。
 ガートの入口には修行者のような服装をした男がおり、花びらを乗せたプレートのようなものをロバートに差し出した。そして男は祈りのようなものを一緒におこなうようにと、うながした。ロバートはノーと言い、
「俺の内なる声が、やるなと言っている」
 と、彼のスピリチュアルな外見を茶化していると言えなくもない表現で、申し出を拒絶した。
 プシュカルは背の低い山に囲まれているため、湖の水面に落ちる夕陽を見ることはできなかったが、夕暮れ時の湖は平和な空気に包まれ、心が落ち着く場所だった。僕らはガートに佇みながら、しばしその空気を味わった。
 その後は近くにあった屋上レストランで夕食を食べた。食事が終わるとロバートは一足先にホテルに戻って行ったので、僕はひとりでプシュカルの町を散歩した。
 すっかり暗くなった通りは人の姿もまばらで、のんびりと散歩をしている牛とすれ違ったりした。静かだった。いくつか土産物屋などをのぞいたりもしたが、店の主人もみな穏やかな感じで、特になにかを勧めてきたりもしない。ただ僕が見るままにまかせ、そのまま店を出ようとしても引き留めることもしない。デリーでは絶対にありえないことだった。インドにもこんな場所があるのだなと思った。

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 ホテルに戻り、パソコンが2台だけ置いてあるインターネットルームでリンダにメールを送り、シンガポール航空の情報をチェックした。
 その後は部屋に戻り、温水のシャワーを浴びた。キャメルサファリで負傷した尻がまだ少しだけ痛んだ。
 シャワーのあとは部屋で所持金の計算をした。旅を延長することにしたので、自分の金銭状況を確かめておこうと思ったのだ。
 計算したところ、インドに着いてからの10日間で1万3千307ルピー使っていることがわかった。日本円にして2万7千円弱といったところだ。思ったよりも少し使っているなと思った。一日平均で2700円弱くらい使っている計算になる。
 とはいえ手元にはまだ800ドルと、2万2千円の現金があった。ルピーにすれば5万ルピー以上にはなる。滞在を30日に延ばしたとしても、まず問題なく持つだろうと思えた。うまくいけば本当に新しく航空券を買うことだってできるかもしれない。
 当面は大丈夫そうだ……そう思い、プシュカルに来る決断をしたことをあらためて喜びながら眠りについた。

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(プシュカルで泊まったホワイトハウス

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 (旅の間は毎日ノートに記録をつけていた)