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<Day 12 プシュカル >



             1月17日(プシュカル~)

 8時に起床し、テラスに出た。
 ひんやりとした朝の空気を味わいながらタバコをふかしていると、宿の前の通りを一頭の牛がのんびりと歩いているのが見えた。

 朝食を取るため、もはや行きつけとなりつつある湖畔の屋上レストランに歩いていく途中、ロバートがこんなことを言った。
「インドに来てからカーストの存在を感じたことはあるか?」
 あっただろうか…… 僕はインドに来て以来目にしてきた光景を思い返した。
「いや、ないな」
 少し考えて僕は言った。
「そうか、俺もない」
 正確に言えば「気づかなかった」ということなのだと思う。インドに来て以来、数えきれないほどの物乞いや貧困を目の当たりにしてきたが、インド人の間に存在するというカーストの存在をこれまで意識したことはなかった。それは旅行者である僕らが接触するのが、ごく限られた範囲の人間であったことも関係していたかもしれない。
 表向きにはインド社会からカーストは撤廃されたと言われている。しかしそうしたものがそんな簡単に消えることはないように思えたし、町に溢れる貧しい者たちの姿とそれは無縁ではないのだろう。しかしそういう深読み抜きにこれはカーストだ、とはっきりと認識するような場面には幸か不幸かこれまで遭遇したことはなかった。

 レストランに着くと、そこにはすでにフォンがいた。
 僕はチーズトーストとコーヒーを注文し、それからハニー・パンケーキを食べた。

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 今日は霧が湖と町をうっすらと覆っており、昨日とはまた違う雰囲気を醸し出していた。今朝もまた沐浴を行う人々を眼下に眺めながら、しばしカースト制についての話を3人で続けた。

 10時前にレストランを出ると、町を少し散歩するというフォンと握手をし、別れの挨拶をした。僕は今日の昼12時35分発の列車でアーグラに向かうため、もう会うことはないだろうと思ったのだ。
 ところがホテルに戻ってチェックアウトをしようとしていると、そこにフォンが姿を現した。どうやら散歩を早く切り上げて戻ってきたらしい。
 今日はフロントにオーナーの奥さんがおり、僕は彼女に頼んで清算をしてもらった。2日間の宿泊代とレストラン代、それにアーグラまでの車と列車の代金を含めて全部で1980ルピー、約4000円となった。

 すべての清算が終わると、僕は彼女に電話を貸してもらえないかと頼んだ。そして差し出された受話器を取ると、デリーにあるシンガポール航空のオフィスに電話をかけた。
 電話口に出てきた女性にチケットの延長をしたいことを告げると、帰国便をいつにするかと訊いてきたので、1月31日にコルカタを発つ便でお願いしたいのだがと言った。チケットは最長で2月3日まで延ばすことができたが、なんとなく1月一杯インドに滞在するとしたほうが区切りがよいように思えたのだ。
「わかりました。ではEメールアドレスを教えてもらえますか?」
 女性が言った。なんでも新しく作成したItinerary(旅行日程表)をメールで送るとのことだった。それを空港のカウンターで見せればそれで大丈夫だという。
 なるほどそれは簡単でいいと、メールアドレスのアルファベットを「l、a、t……」と順番に言い始めると、
「"l" for lemon?」
 と女性が聞き返してくる。
「Lemon? What?」
 レモンがいったいどうしたのだと意味がわからず聞き返すと、
「"l" for lemon? "a" for alpha?」
 とさらに女性が聞いてくる。益々わからなくなった僕は一瞬隣にいるロバートに電話を代わってもらおうかとも思ったが、やがて彼女がメールアドレスのアルファベットを確認するために、それを冒頭に使った英単語を例として出しているのだということに気がついた。「"l"というのは"lemon"の最初に使われている"l"ですね?」と聞いていたというわけだ。
「Oh yes! "l" for lemon!」
 そうして肯定していくと、女性はすぐに了解し、これでプランの変更は完了しましたと言って電話を切った。あとはいずれ送られてくるであろうItineraryをどこかでプリントアウトする必要があるが、プリンターを貸してくれるところくらいどこかにあるだろうと思えた。
 とにかくこれで正式に日程は延長された。当初の日数に10日がプラスされ、デリーに行く必要もなくなった。
「延長できたよ」
 とロバートに言うと、彼はおめでとうと言って笑みを浮かべた。

 僕に続いてロバートもチェックアウトを行い、その時点で時計を見ると11時前だった。列車の出るアジメールまではホテルが手配した車で送ってもらうことになっており、その車は11時半に到着するということだった。アジメールには30分ほどで着くらしいので、列車が出る12時35分には十分間に合うだろうと思えた。

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 僕とロバートはホテルの屋上に上がり、お互いの今後のルートについて話をした。
 僕はここからアーグラに行き、そこからバラナシ(バナーラス)に行き、続いてブッダガヤに行き、最後にコルカタに行くつもりだった。ロバートはここからデリーに行き、しばらく滞在したのちにひょっとしたらアーグラに行き、そこから東、つまりバラナシ方面に向かうとのことだった。僕はアーグラに長くいるつもりはなかったのでおそらくそこでは会えないだろうが、タイミングが合えばまたバラナシで合流できるかもしれないなと思った。

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 そんな話をしているとフォンが上がってきて、彼女もまた今晩ここを発ってビカネールに向かうと言った。ビカネールはプシュカルの北西に位置する町だった。これで僕たちは3人とも今日プシュカルを離れることとなった。
 今晩はプシュカルで民族音楽のコンサートのようなものが行われるようで、フォントロバートはそれを見てから発つということだった。
 やがて11時半になったので、僕は2人と別れの挨拶をした。2人ともいつか自分たちの国に遊びに来るようにと言ってくれ、僕もまた日本に来ることがあったら是非連絡してくれと言った。

 ホテルの外に出ようとすると、オーナーに呼び止められた。
「頼みがあるんだ」
 なにかと訊ねると、日本のガイドブックにこのホワイトハウスに泊まった感想を投稿してくれないかと言う。
「以前はこのホテルも紹介されていたのだが、今年度版には載らなかった。それで日本人の観光客が来なくなってしまったんだ」
 おそらく「地球の歩き方」のことを言っているのだろうと思った。地球の歩き方は各国のホテル経営者の中でかなりの知名度を誇っているらしく、以前にも香港でこのように宿の主から投稿を頼まれたことがあった。実際日本人旅行者の半分以上はこの黄色い本を持っているのではないかという気がしたし、ここに掲載されるのとされないのでは客足に大きな差が出ることは想像できた。
 僕はオーナーに投稿をすることを約束し、外に止まっていた車に乗り込んだ。

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 車はプシュカルの町を離れ、しばし走った後にアジメールと思われる町の中に入った。ところが町に入ったとたん道路が大渋滞し、車がまったく進まなくなってしまった。
 時計を見ると12時10分で、列車の出発時刻まであと25分だった。運転手に駅までの距離を訊くと、通常なら5分で着く距離だと言う。乗車手続きなどを考えると、できれば15分か20分前には着いていたかった。一瞬ここで降りて歩こうかとも思ったが、まあなるようになるだろうと、成り行きにまかせることにした。
 そんなことを考えているとどうにか車は動き出し、結局12時20分頃に駅に到着した。小さな駅のせいか、ここでは荷物チェックがなかった。デリーの時のようにチェックのために並んで時間を食うことを懸念していたのだが、それは杞憂に終わり、思いのほか簡単に駅の中に入ることができた。プラットホームが4つあったので近くにいた何人かに訊ねると、どうやらアーグラ行きの列車は3番ホームから出るらしい。僕は幾分急ぎ足でホームに降りると、すでに到着していた列車に乗り込んだ。

 デリーからジャイサルメールに行った時と同じように、列車は通路の右側が3人掛けのシートになっていた。その頭上に梯子を使って上る上段シート(Upper Birth)があり、さらに下段の背もたれを使ってその中間にシートを作ることで、最終的には3段ベッドにできるようになっているのも同じだった。
 チケットを見ながら自分のシートにたどり着くと、そこにはすでに2人のインド人の乗客が座っていた。念のためこの列車はアーグラに行くかと訊ねると、彼らは英語がわからないらしく現地の言葉で返答してきた。
「アーグラ、トレイン」
 と繰り返し、自分のチケットを見せると、ようやくわかったらしくひとりがイエス、と言った。

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 列車内はあまり乗客がおらず、ガランとしていた。さらにどういうわけか何人かの物乞いとストリートミュージシャンらしき男が乗っており、少ない乗客の間をまわって施しを求めていた。どうやって彼らはチケットを買ったのだろうと不思議に思った。
 食事はいるかと聞きに来た男がいたので、いると答えるとチキンの入ったカレーとライスを届けてくれた。料金は60ルピーだった。インドの長距離列車では、こうして食事を提供してくれることが一般的のようだった。

 食事を終え、車窓から流れる景色を眺めた。
 なぜ自分はあんなにも旅に出ることをためらっていたのだろう、と思う。駅前の旅行代理店でチケットの手配をしてもらいながら、なぜ自分はあのように葛藤していたのか、今となっては信じられなかった。なぜ家にいたほうがいいと思ってしまったのか。なぜこのような瞬間を感じれる機会を否定しようとしていたのか……
 旅は自分に動くことを強いる。そして動いたことでさらなる力が生まれる。こうしていざ動きの中に身を投じていると、日本にいたときの自分がどれだけ保守的だったか、それがあらためて実感された。

 午後7時頃、ドアの近くにいた男にアーグラまでどれくらいかと訊くと、そばにいたもうひとりの男が次の駅だと教えてくれた。あと30分くらいで着くという。
 結局列車は午後8時過ぎにアーグラに到着した。インドの列車は駅名のアナウンスが一切なく、プラットホームにも日本のようにわかりやすく駅名が書いていなかったりするので、注意していないとそこがどこの駅なのかまったくわからなく気が抜けなかった。
 
 人々で混み合うプラットホームを抜けて駅の外に出ると、オレンジ色の街灯で照らされた駅前は、人やリクシャーでにぎわっていた。
 さてどうするかと思っていると、ひとりのリクシャー運転手が声をかけてきた。でっぷりと太った中年の男で、上下ともに真っ白な服を着ている。話し方はややぶっきらぼうだが、なんとなく信頼できそうな人物に見えたので、僕は彼にツーリスツ・レストハウスに連れて行ってくれと頼んだ。ジャイプルのホテルで会ったミシェルが、アーグラではツーリスツ・レストハウスというホテルがいいと言っていたので、ひとまずそこに行ってみようと思ったのだ。
 運転手のおやじは了解し、リクシャーはアーグラの町を走り出した。暗くて周辺の様子はよくわからなかったが、デリーやジャイプルに比べるとやや車両や人の数が少ないような気もする。
 運転しながらおやじは僕の滞在計画を訊ねた。タージ・マハルを見に行く以外は特に決めていないと言うと、よければ明日一日アーグラを案内してやるぞと言ってきた。
「それとタージ・マハルを見るなら、一番いい時間帯は朝だ。朝なら観光客もまだ少ないし、朝陽に染まるタージ・マハルはとても美しい」
 そうおやじは言った。それはなんとなく説得力のある言葉だったので、だったら朝に行ってみるかなという気になった。

 ツーリスツ・レストハウスには10分もしないうちに着いた。
 空き部屋がない場合を考え、おやじにちょっと待っていてくれと言うと、ホテルの中に入った。
 中はかなり小奇麗な感じで、安宿というよりは中級クラスのホテルのようだった。空間にゆとりのあるロビーのフロントで空き部屋があるかと訊くと、
「今晩空いているのは一部屋だけで、そこは650ルピーだよ」
 と対応した愛想のよい男性が言った。650ルピーか、と考えていると、
「明日になれば300ルピーの部屋が空くので、そうしたらそこに移れるようにしてあげてもいい」
 と言われた。ひとまず650ルピーの部屋を見せてもらうと、かなり広くて綺麗で、温水も使えるようだったので、多少高いがここにしようという気になった。

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 チェックインをする前に、一旦外に出て運転手のおやじと話をした。
 部屋があったことを伝えると、おやじは明日はタージ・マハルやアーグラのお勧めの場所を450ルピーで案内してやろうと言った。ツーリスツ・レストハウスからタージ・マハルまではそれなりに距離があるようなので、いずれにせよ明日の朝にリクシャーをつかまえる必要がありそうだったし、450ルピーという額も悪くないように思えた。僕は明日はこのおやじと一緒に行動することにした。
 おやじは明日の朝6時半にホテルの前まで迎えに来ると言い、リクシャーを運転して去っていった。

 再びホテルに戻り、チェックインの手続きをした。
 ホテルには西洋人が多く泊まっているらしく、ロビーにいるスタッフのひとりなどはフランス語で宿泊客と話していた。建物は3階建てで、敷地が広いため、部屋数はそれなりに多そうだった。建物は中庭を囲むようにして建っており、各階の廊下からその中庭を見下ろすことができた。中庭はレストランになっているようだった。
 部屋に荷物を置くと、夕食を取るために中庭のレストランに行ってみた。
 カシミールビリヤニというバナナの乗ったピラフのようなものと、マサラチャイを注文したが、なかなか美味しかった。気温は多少肌寒さはあるものの、デリーに比べればやはり大分暖かかった。

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 レストランでもやはり西洋人、それもフランス語で会話をしている人の姿が目についた。アジア人の旅行者は見たところ僕だけのようだった。スタッフは皆洗練されている感じで動きがよく、なにやらヨーロッパの片田舎の小さなリゾートホテルにでもいるような気がしないでもなかった。
 
 食事のあとは近くの店で水を買い、部屋に戻って温水のシャワーを浴びた。キャメルサファリ以来続いていた尻の痛みもほぼ消え、負傷箇所にかさぶたができていた。

 アーグラのあとはどこに行こう……バラナシか……それとも手前にあるカジュラホか……カジュラホも悪くなさそうだ……
 そんなことを考えつつ、広々としたベッドにもぐりこんだ。