<Day 13 アーグラ >



              1月18日(アーグラ)

 6時に起きて支度をして、一階に下りた。
 リクシャー運転手のおやじはロビーで待っていた。おはようと挨拶をしてさっそく外に出ると、あたりはまだ暗く、凍えるような寒さを感じた。オートリクシャーは普通の乗用車などと違い両サイドが吹き抜けになっているので、走りながら冷たい空気をダイレクトに感じることになる。僕はニットキャップを部屋に置いてきたことを後悔した。

 リクシャーは暗い道を10分ほど走り、一軒のレストランらしき建物の前で停車した。
タージ・マハルはこのすぐ先だ。私はこの店で待っているから見てくるといい」
 そう言っておやじは一枚のカードを差し出した。「MAYA」と書かれたそのカードはこのレストランのもののようだった。戻ってくるときに場所を忘れないようにとのことなのだろう。僕はありがとうと言ってカードを受け取ると、言われた方向に向かって歩き出した。

 少し行くとチケット売り場があり、そこで僕は750ルピーというインドの物価からすればかなり高額な入場料を払ってチケットを買った。
 空は徐々に明るくなり始めており、すでに多くの人々が入口の前に列を作って並んでいた。
 入口では手荷物のチェックがあった。僕が持っていたのはやや大きめのウェストポーチだけだったが、それをチェックした男は、中に入っているチョコレートとタバコをここに置いていくようにと言った。食べ物やタバコは持ち込みが禁止されているのだと言う。
 僕は一旦列から離れると、チョコレートをその場で食べて消化し、ポーチに入っていたパンフレットを二つに折ってタバコの箱の上にかぶせ、先ほど男がチェックしなかったポケットの中に入れた。
 再度列に並んでチェックを受けると、男は先ほどは見なかったポケットも開け、二つ折りにされているパンフレットを発見した。男がその紙に軽く指で触れる様子を見たときはまずい、と思ったが、男はその裏にあるタバコの存在には気づかなかったらしく、「OK」と言ってポーチを返してきた。

 そこから右手に続く壁に沿うようにしてしばらく歩いた。
 タージ・マハルの姿はまだ見えず、どこにあるのだろうと思っていると、右手に大きな門が現れた。
 そこを抜けた先にタージ・マハルがあった。
 壁の向こう側は庭園になっており、タージ・マハルはその先に朝もやに包まれるようにして建っていた。

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 それは息をのむほど美しい光景だった。
 朝もやに包まれていることでより幻想的な雰囲気が増しているようだった。
 タージ・マハルはこれまでにインドで見たどの建造物よりもデリケートで、精密で、完成されていた。俗な言い方だが、これまでに人類が作り上げた中でも最も「レベルの高い」建造物ではないかとすら思った。

 昇り始めた太陽が、タージ・マハルをオレンジ色に染めていった。この美しさを写真に収めることは不可能だとわかりつつも、僕はカメラを構えて何度もシャッターを切った。

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 タージ・マハルは、ムガル帝国の皇帝が王妃ムムターズ・マハルのために建てた墓なのだという。大理石を組み合わせてこのようなものを作り上げるとは、昔の人はなんとすごいことをするのだろう。
 建物の中にも入ることができ、薄暗い内部に王妃の墓石が置かれていた。これだけ毎日引っ切りなしに人が訪れては、王妃も安らかに眠れないに違いない。その圧倒的な芸術に感嘆しながら、立派過ぎる墓に入るのも大変だなと思った。

 一通り見終わると時刻は午前9時を過ぎていた。ホテルのチェックアウト時間は10時だったので、それまでに一旦ホテルに戻る必要があった。アーグラの滞在は1日か2日で十分と考えていた僕は、延長手続きをせずにホテルを出てきていたからだ。
 おやじの待つレストランに戻ると、彼はここで朝食を食べたらどうだと勧めてきた。時間に余裕がなかったのでコーヒーだけ注文して飲んでいると、小奇麗な恰好をしたスタッフの男が話しかけてきた。彼は日本語が少しだけわかるらしく、しばらく話をした。
 コーヒーを飲み終わり、そのとき近くにいた別のスタッフに勘定を頼むと、店の外に設置されているテーブルのところで払うようにと言われた。勘定は店の前にいるスタッフが行っているらしい。
 その言葉に従って外に出ようとすると、さっき日本語で話しかけてきた男がまたやって来て、外に行くようにと言ったスタッフに何事か話しかけた。そしてその場で自分で伝票を取り出して何やら書きつけると、それを僕に渡した。
 伝票には「40ルピー」と書かれていた。
「10チップ、OK?」
 小声でささやくように男が言った。
「I don't think so(そうはいかないよ)」
 僕がそう答えると、彼は僕の手から伝票を抜き取り、だったら外のテーブルで勘定してくれと言って去っていった。
 
 ツーリスツ・レストハウスに戻ってチェックアウトをし、バックパックをひとまずホテルの荷物置き場に保管してもらった。どこでもというわけではないが、ホテルの中にはこうしてチェックアウト後にも荷物を一時的に預かってくれるところが結構あるようだった。
 僕は今日一日アーグラを観光し、夜の電車でバラナシに向かって移動することに決めた。
 朝食を取っていなかったので、中庭のレストランに行き、バナナ・パンケーキとチャイを頼んだ。昨晩と同じ席に座ったところ、テーブルの上に英字新聞が置かれていた。昨晩もここに置かれていたので、誰かが忘れていったか置いていったきりになっているようだった。

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 朝食を食べながらなんとなく新聞を読み始めると、これがなかなか興味深い。

"インドの人口の約70パーセントは読み書きができず、満足な食糧を得ていない。"
"我々はこの国をもっと清潔にし、洗練させるべく努力しなくてはならない。"
"我々は世界七不思議のひとつタージ・マハルのあるアーグラをとことん破壊してしまった。"
"インド人はシンガポールの路上ではつばを吐かないのに、自分の国では平気でそれをする。"
"世界に認められる国になるために、我々はもっと旅行者の視点で自国を見る必要がある。"

 インドの記者たちは、自国をよりよくするために自覚的にいろいろと考えているようだった。
 ただ皮肉なのは、このインドのある種の"ワイルドさ"こそが、僕たち旅行者を引きつけてやまない理由であることだった。もちろんそれは外から来た者の勝手な願いではあったが。
 あまりに新聞が面白いので、僕は少し考えたのちに拝借していくことにした。昨日から置きっぱなしになっていたことだし、まあ問題はないだろうと思えた。とはいえタージ・マハルのタバコの件といい、インドに来て以来自分がこうしたことにいささか図太くなっているように感じなくもなかった。

 食事を終えると、フロントに行って列車のチケットについて訊いてみた。
 今晩アーグラを発ってバラナシに向かうチケットを買いたいのだがと言うと、フロントにいた男性はパソコンのディスプレイをしばし眺め、こちらで見る限り空席は見当たらないが、直接駅に行けばチケットが手に入るかもしれないと言った。
 僕はホテルの外で待っているおやじのところに戻り、最寄りの鉄道の駅であるアーグラ・フォート駅まで連れていってもらった。
 
 駅に着くと、入口近くにあるブースのようなところで用紙に記入をし、バラナシ行きの2A(AC付き2段ベッド車両)または3A(AC付き3段ベッド車両)のチケットの購入申し込みをした。
 しかしチケットはやはりすべて売り切れているとのことで、ウェイティングリストに登録して待つしかないと言われた。
 ウェイティングリストというのはいわゆるキャンセル待ちのことで、料金を先払いしてここに登録しておけば、チケットが浮いた際にまわしてもらうことができる。ただしウェイティングリストに登録しているのは通常ひとりではないので、早く登録した者から順番にチケットがまわされることとなる。
 スタッフの話によると、今なら2Aの「WL5」、つまりウェイティングリストの5番目に登録することができ、それが一番見込みがあるとのことだった。見込みがあるとは言っても、自分のところにまわってくるには5人がキャンセルをする必要があるわけで、あまり大きな期待はできないような気がした。
 種類としてはこれ以外にスリーパー、略してSL(ACなしの3段ベッド車両)と呼ばれる最安値のシートもあるのだが、ACがないと夜間は寒すぎて寝袋などがないと耐えられないと聞いていた。それでも取れないよりはと、SLのチケットの有無も聞いてみたが、こちらもすでに一杯で、ウェイティングリストもかなり埋まっているとのことだった。
 これは今晩アーグラを発つのは無理かもしれないな、と思いつつ、ひとまず列車の代金である920ルピーを払って2Aのウェイティングリストに登録をしてもらった。

f:id:ryisnow:20160114173257j:plain(アーグラ・フォート駅の前)

 リクシャーに戻って状況を知らせると、それなら旅行会社に行ってみようとおやじは言った。
「旅行会社は独自に何枚かチケットを抑えている。空きが見つかるかもしれんよ」
 なるほどそういう可能性もあるのかと、さっそく連れていってもらうことにした。
 
 おやじはしばしリクシャーを運転し、一軒の小さな旅行会社の前で車を止めた。中に入っていくと40代くらいの男がひとりだけおり、愛想のよい笑顔を浮かべて応対してきた。
 バラナシ行きのチケットを探していると言うと、男はパソコンをチェックし、どの席種もすべて満席だと言った。
 やはりそうかと思っていると、男がこんなことを言った。
「ただしここから車に乗って次の駅まで行くなら、3Aのチケットを手配することができる」
 アーグラからは乗れないが、次の駅からなら乗れる。つまり誰かが次の駅で降りるということだろうか。いずれにせよ乗れるのであればと思い、値段を訊いてみた。
「2700ルピーだ」
 と男は言った。高すぎる。日本円にして6000円近い額だ。僕は思わず声を出して笑ってしまった。その男いわく3Aのチケット代金が1200ルピーで、次の駅までの車代が1500ルピーなのだという。
 駅で払った2Aの料金は920ルピーだった。3Aは2Aよりも安いシートだから、通常ならば700ルピーかそこらだろう。それになんと言っても車の料金が髙すぎる。デリーの空港から1時間タクシーに乗っても320ルピーに過ぎなかったというのに。コミッションを取ると言っても、バラナシまで行くだけで2700ルピーはさすがに取りすぎだろうと思った。
「No way(ありえない)」
 と言ってはねつけると、これは「エマージェンシー・チケット」だから高いのだと男は説明したが、正直その言い分を信じる気にはなれなかった。
 だったらいいよといって断ろうとすると、男は突如言語を日本語に切り替えた。
「この店はね、日本人にとても有名ですよ」
 そうして彼は壁を指さした。そこには「地球の歩き方」に掲載されたこの店の記事の切り抜きや、「ラージさん」という名らしい彼のサービスを褒めたたえる日本人旅行者のメッセージなどが貼られていた。
 そのメッセージによると、このラージさんは「とても親切」で「料金提示もフェア」とのことだった。そいつはどうかね、と思いつつ、僕は彼にちょっと考えさせてくれと告げて店を出た。

 今晩の内にバラナシに向かえる確率が大分低くなったことを感じた僕は、リクシャーに戻っておやじに告げた。
「もう一回駅まで行ってもらえるかな? カジュラホまでのチケットがあるかどうか調べてみる」
 こうなればバラナシはやめて、その手前にあるカジュラホまで行くのもよいかと思ったのだ。するとおやじはこんなことを言う。
「だったら今度はインド人が使う旅行会社に連れてってやる。そこだったらもっと安いチケットがあるかもしれん」
 もちろん異存はあるはずがなかった。というより最初からそこに連れていってくれよと思った。

 そうして連れて行かれた店に入り、チケットの有無を訊くと、SL(ACなしの3段ベッド車両)でよければバラナシ行きが620ルピーで手に入ると言う。
 ACなしにしては高い気がしたが、これまでに得た選択肢の中ではこれが最善だろうと思い、購入することにした。
 チケットを用意するのに1時間ほどかかるということだったので、その間に再び駅に戻り、ウェイティングリストの登録を解除して料金を払い戻してもらった。キャンセル料が20ルピーかかったが、これでどうにか今晩バラナシに向かって発つことはできそうだった。

 チケットの目途がようやく着いたので、僕は中断していたアーグラの観光を続けることにした。

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 リクシャーは駅のすぐ横を流れている河を渡り、落ち着いた雰囲気の住宅街を抜けていった。路上では地元の子供たちが遊んでいる姿が見えた。

 やがておやじは一軒のカフェの前で車を止めた。
 カフェ、といっても竹や木のようなもので組んだ骨組みに布をかぶせたような簡易的な作りで、台風でも来れば吹き飛んでしまいそうだった。外と隔てる壁はなく、店内の床も外と地続きになっていた。
 自然光のみによって照らされた店内には、椅子がふたつばかりと、なぜかベッドがひとつ置かれていた。そしておやじは店に入るなりそのベッドによっこらしょっとと寝そべった。
「タバコを一本くれないか?」
 そう言っておやじは僕からタバコを受け取ると、寝そべりながら一服し始めた。

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「この先に歩いていくと、タージ・マハルを反対側から見ることができる。私はここで待っているから行ってくるといい」
 そうか、ならちょっと行ってくるかと思うと、さらにおやじが言った。
「牛と魚と鶏と羊、どれが好きだ?」
「え?」
「あとで私の家で食事をごちそうしてやる」
 だからこのあと食材の買い出しに行こうと言うのだ。興味深い提案だったが、どうしたものかと思った。
 僕はとりあえず答えを保留にすると、ベッドで完全にリラックス状態のおやじを置いてカフェの外に出た。
 
 外に出た途端、ひとりのインド人の青年が声をかけてきた。
 ガイドをするというので、いや大丈夫だよと言って歩き始めると、その青年も横に並んでついてきた。その後もいろいろと話をしてきたが、特に押しつけがましい感じではなかったので、相手をしながら一緒に歩いていった。
 数百メートルくらい歩くと、目の前に広い砂州と河が現れた。そして河の向こうにタージ・マハルが背中を向ける形で立っていた。

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 なるほど、多少距離は離れているし向きは反対だが、ここからは入場料を払わずにタージ・マハルを見ることができるというわけだった。河と砂州の幅は300メートルくらいはあるだろうか。空間が開けていて解放感があったが、観光場所としてはそこまで人気ではないのか、観光客の姿はまばらだった。
 一緒に歩いてきた青年はタージ・マハルの歴史をいろいろと解説してくれた。それはなかなか聞き応えのある内容で、観光客相手にてきとうなことを言って金を稼ごうという類ではなく、彼はしっかりと勉強をしたのだなと感じさせるものだった。一通り説明をし終わると、タージ・マハルのポストカードを見せて買わないかと言ってきたが、正直どれもデザイン的に惹かれなかったので断った。
 ぼんやりと対岸を眺めていると、右手のほうから煙が上がっていることに気がついた。見ると向こう岸に石造りの建物らしきものが建っており、煙はその中からもうもうと立ち昇っていた。
「あれは死体を焼いているんだ」
 そう青年が教えてくれた。

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 その後また2人でカフェまで歩いて戻り、ガイドしてくれたお礼として30ルピーを渡した。彼は18歳だった。

 結局僕はおやじの食事の招待を受けることにした。
 再びリクシャーに乗って町に戻ると、おやじは一軒の酒屋の前で車を停めた。
「魚の代金が150ルピーで、ウィスキーの代金も150ルピーだ。というわけで合計300ルピーくれ」
 とおやじは言った。
 どうやら食材の代金は僕が出すらしい。それは半ば予想していたので別に構わなかった。ただおやじの発言にはそれ以外にいろいろと突っ込みどころが満載だった。

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 まず僕が酒を飲みたいと言ったわけでもないのに、ウィスキーが買い出し項目に入っているということ。そしてインド人は酒を飲まない人が多いが、このおやじは飲む人なのだなということ。そして食事の後もあんたは運転するじゃないか、ということ。そして何が好きだと訊いてきたわりには知らない間に魚に決まっていたこと。そしてなにより合計で300ルピーは高いだろうということ。普通のレストランでしっかり食事したって大体100~150ルピーくらいなのだ。これはもはやごちそうしてくれるというよりは、ごちそうさせてもらうといった感じだろう。
 このタヌキおやじめと思いつつ、おやじのそういう態度が面白かった。
「ウィスキーに150ルピーは高すぎだよ。それに魚に150ルピーなんてもっと高い。日本でも魚はそんなに高くないよ」
 150ルピーは約300円なので、日本でも魚によってはそれ以上するが、とりあえずそう言っておいた。
「合計で200ルピー。これ以上は出せない。これで無理ならレストランで食べるからいい」
 するとおやじは、
「わかった。ウィスキーは小瓶もあるから、それを買えば200ルピーで大丈夫だ」
 と言った。そして酒屋に行ってウィスキーを買い、それから少し離れた場所にある商店に入っていくと、野菜と羊肉を買って戻ってきた。あれ魚を買うんじゃ……と思ったが、そこはもう突っ込まなかった。
 
 その後、郊外にあるおやじの家に行った。
 家はいわゆる貧しい住宅街といった場所の一画にあった。周辺には多くのごみが散乱しており、目の前の細い通りでは子供たちが集まって遊んでいた。
 家の中もまた、裕福な暮らしからは程遠い生活を想像させた。
 入ってすぐのところにベッドが置かれた6畳ほどの部屋がひとつ。その奥がキッチンになっている4、5畳ほどのスペース。さらにその奥にベッドとテーブルが置かれた6畳ほどの部屋がひとつ。それがすべてだった。

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 僕とおやじが家の中に入っていくと、おやじは奥さんらしきひとに野菜と羊肉を渡し、僕を奥の部屋へといざなった。おやじはベッドに腰かけ、僕が椅子に座ると、おやじはさっそく買ってきたウィスキーを開けて飲もうとした。
「今は飲まないでくれ。あんたにはこの後も運転してもらわなきゃならないんだから」
「いや、大丈夫だ、問題ない
 ノープロブレムじゃないだろう、と思いつつさらに制止すると、
「大丈夫だ。私は毎日飲んで運転しているのだから」
 とおやじは言った。その言葉にはそれなりの説得力があったが、僕にはそのウィスキーを買ったのは自分だというアドバンテージがあった。結果的におやじも妥協し、「2口くらいなめるだけ」ということで手を打った。

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 料理ができるまでにはまだ少し時間がかかるようだった。
 タバコが切れていたので、ちょっと買ってくると言うと、それならついでにペットボトルの水も買ってくるようにと言われた。
「私らは大丈夫だが、君はこの家の水は飲まないほうがいい」
 確かにインドでは水だけは気をつけたほうがよいと言われていた。おやじはおやじなりに気を使ってくれているようだった。
 おやじは隣の部屋に向かって何やら声をかけ、十代半ばくらいに見えるひとりの少年を呼び入れた。どうやらおやじの息子らしく、店まで案内してくれるという。僕はその息子と一緒に家の外に出た。

 歩き出すと、その息子が言った。
「友達がやっているいい店があるから、そこに行こう」
 一番近い売店は家から50メートルほどのところにあったが、彼はここじゃないと言ってさらに100メートルくらい歩いた先にある店に僕を連れていった。
 店にいる彼の友人らしき男に水を買いたいと言うと、「30ルピーだ」という答えが返って来た。
「30ルピー? そりゃないよ。普通なら10か12ルピーくらいだろう」
 そう言うと、その店員はこれは「グッド・ウォーター」だから特別なのだと言う。見せてくれと言ってボトルをチェックすると、ラベルには「13ルピー」と印刷されていた。
「その印刷は間違ってるんだ」
 おやじの息子が横からおずおずと言った。
 僕はそんなことはないだろうと言い、来る途中に見たもうひとつの店に向かって歩いていった。そこで水の値段を訊くと、「10ルピーだ」との答えが返って来た。
 僕がそこで水を買っていると、追いついてきた息子がチョコレートを買ってくれないかと言った。僕は5ルピーを払ってチョコレートを買い、彼にあげた。
 彼はありがとうと言い、包みを開けて二つに割り、半分を僕に渡した。

 チョコレートを食べながら家に戻った。
 料理はまだ出来上がらないようで、おやじは「私は少し寝る」と言い、ベッドに横になって眠ってしまった。朝も早かったし疲れがたまっているようだった。僕はその横で息子としばらく話をした。
 彼は現在高校生らしく、科学と数学と英語が苦手なんだと言った。コンピューターも学校で習っているらしく、その勉強は楽しいようだった。
「ジャパン・ダラーを見せてくれない?」
 と言うので、千円札を取り出して見せてあげた。
「これを僕にくれない?」
 勉強のために使うから、と彼は言ったが、それはできないと言って断った。彼の言葉が本当だったとしても、隣で寝ているおやじが今日一日リクシャーを運転して稼ぐ以上の金額をその息子にほいっと渡してしまうことには抵抗があった。
 彼はそこまで千円に執着することはなく、話題を変えた。
「僕は半年前までは英語が全然話せなかったんだ」
「でもお父さんがこうして外国の人を家に連れてくるようになってから、随分英語が上達した」
 どうやらおやじはこういうことをよくやっているらしかった。自分がここにいることが彼にとって何かの経験になっているのであれば、それは嬉しいことだなと思った。
「僕は自分で奥さんを選べないんだ。結婚する人はお父さんが決めるから」
 彼の話は続いた。

 やがてトイレに行きたくなったので、どこにあるのかなと訊くと、彼はこっちだよと言って家の外に僕を連れ出した。彼がここで、と指さしたのはおやじの家と隣家の壁の間の1メートルほどの狭いスペースだった。家と壁に挟まれて多少死角になっているが、それはつまり単なる外だった。男が小をする分には問題ないかもしれないが、女性や大の際はどうするのだろうと思った。あるいは家族にはそれ用の場所があるのかもとも思ったが、家の中にそれらしきものは見当たらなかった。僕は本当にここでいいのかなと思いつつ、外で遊んでいる子供たちに背を向ける形で用を足した。

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(おやじの家の前)

 家の中に戻ると食事の準備ができていた。
 おやじもすでに起きており、見ると小瓶に入ったウィスキーがさっきよりも数センチほど減っている。「飲んだね」と言うと、おやじは聞こえないふりをした。
 テーブルには奥さんが作ってくれたマトンカレーとチャパティ、そしてライスが並べられ、おやじと2人でそれをいただいた。カレーはなかなか辛く、汗が噴き出したが、肉はしっかり煮込んであって柔らかく、とても美味しかった。

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 食事が終わるとおやじは僕に携帯電話の番号を教え、またアーグラに来ることがあったら電話してくれと言った。

 その後再びおやじの運転するリクシャーに乗って町に戻った。
 旅行会社に行ってチケットを受け取り、毛布を買うためにいくつかの店に寄ってもらった。ACなしの列車に乗るために何か防寒になるものが必要だろうと思ったからだ。
 しかしおやじが連れていってくれた店はどこも小奇麗で高級そうな店で、店員が勧めてくる品物の値段を訊くと900ルピーだという返事が返ってきたりする。あわよくば使い捨てできるくらいのものでいいと思っていたので、とてもではないが買う気にはなれなかった。
 予算はいくらくらいで考えているのだと訊かれたので、「150ルピーくらいかな」と答えると、店員は論外だとばかりに「Sorry」と言って去って行った。

 毛布を買えないまま僕は一旦ツーリスツ・レストハウスに戻り、預けていた荷物を受け取った。なんとなく不安があったので、旅行会社で受け取ったチケットをフロントの男性に見せると、彼はしばらくそれを眺め、「これは正規のチケットだ」と言った。
 さらにACなしの車両だが毛布などがなければ寒いだろうかと訊いた。彼は僕の来ているジャケットを指で軽くつまんで厚さを確かめると、ちょっときついかもねと言った。
「毛布を買うとしたらいくらくらいで手に入るかな?」
 と訊くと、駅の近くのマーケットなら300くらいで手に入るのではないかと言った。

 列車の出発時刻は午後8時43分だった。
 大分時間も迫ってきたので、僕らは駅に向かうことにした。そして駅が近づいてきたあたりで、僕は右手にある古道具屋のような店の店頭に薄汚れた毛布のようなものが山積みになっているのを発見した。
「ストップ! ちょっと止めて!」
 そう言って車を止めてもらい、店に行って毛布について訊ねた。
「あれはアーミーが使ってたものを大量に買い上げたんだよ」
 と店員は言った。値段を訊くと「150ルピー」だと言う。まさに自分が希望していた値段だった。
 やったぜと喜んで毛布を抱えてリクシャーに戻ると、おやじがそいつはいくらだと訊いてきた。僕がいささか得意げに「150ルピーだったよ」と答えると、
「安いのは中古だからだ。新品は高いんだよ」
 とおやじは言った。いや汚いやつでいいんだと伝えていたではないかと思ったが、とにかくこれで凍えずにバラナシまで行けると僕は満足だった。

 その後薬局に寄ってのどの薬などを買い、駅に行った。
 リクシャーを降りた僕はおやじにいろいろありがとうと礼を言い、600ルピーを渡した。昨晩おやじが提示した料金は450ルピーだったが、いろいろしてもらったので150ルピーをチップとして上乗せしたのだ。
 結構感謝されるかなと勝手な期待をしたが、おやじはそれほど喜んだ感じもなく、ただ「サンキュー」と言って金を受け取ると、挨拶もそこそこに駅前の人混みの中に消えていった。昨日僕を駅で迎えたように、また新しくアーグラに到着する旅行者を探しにいったのだろう。たったの一日足らずで特別な絆が作れたとは思っていなかったが、やはりこれはおやじの仕事だったのだなとあらためて実感した。もちろんおやじは明日も旅行者を乗せて走って金を稼がなくてはならないわけで、それに対して僕が不満を言えるはずもなかった。

 出発の時間が近づいていたので駅の中に入ると、ひとりの日本人男性に声をかけられた。
 どこに向かうのですか、と訊かれたのでバラナシだと答えると、自分もそうで、2Aのウェイティングリストに登録したのだが、その結果をどこで確認したらよいかわからないのだと言った。彼は英語があまり得意でないようだった。
 僕は彼を駅の中にあるオフィスに連れていき、彼のウェイティング状態の照会をしてもらった。しかし彼の番号はいまだ「WL5」、つまり5番目だったので、まだ空きはないとのことだった。だとすればとにかくぎりぎりまで待つしかない。僕らは近くの椅子に腰かけて待つことにした。
「コジマと言います」
 待っている間に彼はそう言って自己紹介をした。年は僕のひとつ下だった。

 やがて8時半になった。列車の出発時刻まであと13分だった。
 僕らは再度オフィスに行き、コジマ君のウェイティング状態を訊ねた。するとスタッフはそいつはまだ空かないが、SLなら空きができたと言った。ならばそれをくれと言うと、まず駅の外のチケット売り場で2Aのウェイティングリストをキャンセルし、それから購入手続きをしてくれと言う。
 列車は到着が遅れているようで、9時に出発するという表示が電光掲示板に出ていた。とはいえこの時点で時間は8時50分を過ぎようとしていた。僕らは急いで人混みをかきわけ、外にあるブースに走って行った。ブースの前には列ができていたが、僕は列の一番前に行き、カウンターの向こうのスタッフに向かって叫んだ。
「申し訳ないけど彼の手続きを先にやってあげてくれないか? 緊急なんだ。彼の列車はあと7分で出発してしまうんだ!」
 つまりそれは「僕の列車」でもあったので、僕も焦っていた。僕もまたそれなりに苦労して手に入れたチケットだったので、無駄にしたくなかった。
 スタッフはすぐに了解し、2Aに払った代金の払い戻しを行い、新しいチケットをコジマ君に渡した。
 僕らは急いで引き返し、プラットホームに駆け下りた。
 電車はまだ来ていなかった。
 間に合った…… と思い、そこでコジマ君が受け取ったチケットを見せてもらった。
 ところがそれはチケットではなかったのだ。紙に書かれた文字を読むと、それは単に2Aをキャンセルしましたという用紙にすぎなかった。
 まずいッと思い、再度階段を駆け上り、オフィスに入ってさっきと同じ男にキャンセルの用紙を見せ、SLのチケットをくれと迫った。すると今度は「ジェネラル・チケット」というものを買えと言う。なんだかよくわからないが、それがSLチケットの代わりになるらしい。どこで買えるのだと言うと、外のブースだと言う。
 マジかと思い、もう一度外に向かって走った。もうこのときには列車には乗れないかもしれないなと思い始めていた。
 ブースに行き、「彼はSLのチケットがほしいのだが、駅のオフィスでジェネラル・チケットを買えと言われた」と言うと、スタッフは了解し、また別の紙を発行して渡してくれた。
 紙を受け取ってオフィスに駆け込み、
「こいつがあんたの言ってたチケットか!?」
 と叫ぶと、彼は「イエス、これで大丈夫だ」と答えた。
 すぐにオフィスを出てホームに駆け下りた。列車はすでに到着していたが、僕らはそれが動き出す前になんとか滑り込んだ。

 ようやくホッと一息つくと、まったくなんという慌ただしい出発だろうかと可笑しくなった。それと同時におそらくオフィスの男は最初からジェネラル・チケットを買えと言っていて、それを自分が聞き逃してしまったのだろうなと思った。おかげで無駄な往復をしてしまい、オフィスの男を問い詰めるような言い方をしてしまったことを少し後悔した。

 コジマ君とは車両が違っていたので、僕らは別れてそれぞれのシートに向かった。
 シートに着くとなぜか僕の寝台で女性と子供が寝ていた。そこは僕のシートだと思うのだがと言うと、女性はすぐに了解して子供と一緒に去って行った。
 その後例のごとく食事はいるかと訊きにきた男がいたので、僕は他の乗客と共にカレーとライスとチャパティのついた食事を購入して夕食とした。
 インド人たちは食事が終わると、おもむろに列車の窓を開け、そこから紙皿をぽいぽいっと投げ捨てた。その様子は見事なまでに自然だった。僕はうーんなるほどと思いつつ、同じように窓から食べ終わった皿をぽいぽいっと投げ捨てた。

 ACのない寝台は夜になると相当に冷え込んだ。購入したばかりのアーミー毛布をかけて横になったが、それでも寒くてなかなか寝付くことができなかった。
 列車は明日の朝にはバラナシに到着するはずだった。