<Day 15 バラナシ >



               1月20日

 8時半に起き、階段を下りてガンジス河に出ると、人々が沐浴をしていた。
 河の中に腰まで浸かり、上半身に水をかけ、祈るような動作を行う。プシュカルと同じように、いやそれ以上の聖地とされているバラナシでは、このように沐浴をする人々も町を象徴する風景のひとつだった。
 歩きながらそんな様子を眺めていると、写真を撮っているコジマ君と出くわした。彼は最近趣味として写真を始めたということで、なにやら高そうなデジタル一眼レフのカメラと何種類かのレンズを携帯していた。

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 とりあえず今日の目的は新しい宿を探すことだった。
 僕らはまずブッダ・ゲストハウスのすぐ近くにあり、こちらはガンジス河に直接面しているパレス・オン・ステップスという宿を訪れた。見せてもらった部屋は狭かったが、バルコニーのように突き出した広い窓の向こうにガンジス河が広がっているという、眺めの面においては素晴らしい部屋だった。
「これはいいですね」
 コジマ君はその部屋がかなり気に入ったようだった。僕もその眺めには惹かれるものがあった。ただ部屋の狭さのわりには値段が750ルピーと高いのと、なんとなく宿のスタッフの雰囲気にあまり好きになれないものを感じたので、自分はもう少しほかを見てから考えたいと言った。コジマ君もひとまず部屋を取るのを保留にし、僕らはふたりで外に出た。

 コジマ君が見てみたい宿があるというので、次はそこに行った。
 シヴァ・ゲストハウスという名の宿で、それは河から少し離れた狭い路地の中に建っていた。カウンターにいた男性に空き部屋の有無を訊くと、
「今は100ルピーの部屋がひとつだけ空いている。ただ午後には400ルピーの部屋がひとつ空くことになると思う」という返事が返ってきた。
 100ルピーとは随分安い。ドミトリーですかと訊くと、いやシングルだと言う。ただ見せてもらった部屋は正直あまりよいものではなかった。まず部屋に窓がない。これは僕にとって大きかった。さらに窓がないために当然ながら自然光がまったく入らない。そのため昼間から電気をつける必要があり、部屋全体にどこかじめっとした雰囲気が漂っている。もちろんだからこその100ルピーなのかもしれなかったが、よっぽど切り詰める必要でもない限りここに泊まる理由はないなと思った。
 宿に泊まっているのはほとんどがアジア人のようだった。日本人も多いと見え、ロビーですれ違う旅行者の口からは日本語が聞こえてきたりもした。ジャイサルメールで会ったジュンが、バラナシには日本人のたまり場になっているような宿があると言っていたが、ここもそういう場所なのかもしれなかった。

 屋上にレストランがあるというので上がってみた。
 いくらかの開放感を感じるその場所で周囲の景色を眺めていると、背後からどうも、と日本語で声をかけてきたひとがいた。振り向くとそこには日本人の男性がいた。長髪を束ねて無精ひげを生やし、いかにもインドに長期滞在をしていそうな雰囲気を醸し出していた。年は僕と同じくらいか、あるいは上のようにも見えたが、どことなく存在に覇気がない感じがした。
「ここに泊まるの?」
「いや、多分泊まらないと思います」
「インドにはどれくらい?」
「トータルで1ヶ月くらいですね」
「1ヶ月か、短いなあ」
 彼は話し続けた。
「このあたりは大したレストランはないよ。どこもダメだね。まあ……"ジョッティ"はまだマシかな。食べるんならあそこに行くといいよ。あと酒が安く手に入る店もいくつか知ってるから、なんなら教えるよ。俺? インドは長いよ。バラナシは4回目かな。大体来ると4カ月以上はいるね。こっちのひととも知り合いになってるからさ。今回は来るときに村上春樹の『1Q84』を売りたいから買ってきてくれって頼まれてさ、10冊くらい買い込んで持ち込んだよ。マジかよって思ったけど、まあ長くいるとそういうしがらみもできちゃうからね。南のほう? いや、行ったことないからわからないな。タージ・マハルは行った? 全然見えなかったでしょ? タージは人も多いし、空気が悪いから実際ほとんどまともに見えないんだよね。値段も高いしあれは行く価値ないね。ジャイサルメール? いや、行ったことないな。……プシュカルってのはいいんだ? へえ。でもやっぱりバラナシがいいよ。何ヶ月いても飽きない。だからみんなここに沈むんだよね。ここで何をしてるかって? そうだな、まあ別にやることなんてないから毎日本を読んだりとかそんな感じ。あとはハッパ吸ったりとか。他のみんなも大体……」
 こちらが訊ねたわけではなかったが、彼はインドに関するウンチクのようなものを話し続けた。そのほとんどはどうでもいい内容だったが、ひとつだけ彼の発した言葉の中で印象的なフレーズがあった。話の中で彼は自分を含めた日本人の長期滞在者を「沈んだ者」と表現した。こうしたいわば「沈没者」たちは大体日本で2ヶ月くらいアルバイトをして金を貯めてはインドにやって来て、その金で半年くらい過ごすといったことを繰り返すのだという。彼もまた、そうしたひとりのようだった。

 何かを捨てて異国の安宿を放浪し、日本の日常とは切り離された空間に身を浸し、ゆっくりと沈んでいく。この「沈む」という行為に対して、ある種破滅的な美学を感じる者もいるかもしれない。あるいは僕もそのようなものに惹かれていなかっただろうか。この旅をする中で、どこかでそうした退廃への道を思い描いていなかったか。
 しかし僕は目の前にいる「沈没者」の彼に、なんら魅力を感じることができなかった。彼と一緒にこの宿で沈没するなどまっぴら御免だと思った。僕は彼がこんなに何度もインドに来ていながら、その行動範囲が極めて限定されていることが不思議だった。僕がたかだか2週間の間に訪れた多くの場所に彼は行ったことがなかった。バラナシにしても彼の知識は変に偏っており、ある部分に関してはものすごく詳しいが、そこからちょっと外れたことになると何も知らないといった感じだった。あるいはそうした、ある種の好奇心や移動活力の欠如こそが沈没者になる条件のひとつなのかもしれなかったが、だとすれば僕にはまだその仲間になる資格がなさそうだった。
 彼はまだ喋りたそうにしていたが、僕らは彼にじゃあまた、と言って階段を下り、宿を出た。
 
 僕には昨日から気になっていた宿があった。
 それはアルカ・ホテルという名の宿で、カンジス河の目の前、それも最も人々でにぎわうガートの近くに建っていた。なにより僕が気に入ったのは、ホテルの1階にオープンカフェレストランのようなスペースがあり、そこからガンジス河が一望できたことだった。たとえ部屋の窓が河に向いていなくても、部屋を出てここに来ればコーヒーかチャイでも飲みながらのんびりと河を眺めることができる。建物は小奇麗で立地もいいことから宿泊料は若干高めだったが、それでもここに泊まれるならそれぐらい出すのもありかなと思った。

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 しかしアルカ・ホテルに空きはなかった。昨日も散歩の途中に訊いて満室だと言われていたのだが、今日もまた満室だった。やはり人気があるのだろう。シヴァ・ゲストハウスとは異なり、ここの客のほとんどは西洋人のようだった。僕らはそこのレストランで朝食を食べると、再び宿を探して街を歩き回った。

 アルカ・ホテルから路地を少し入ったところに、サンカタ・ゲストハウスという宿があった。中に入って訊いてみると、値段は350ルピーと手頃で、部屋も悪くなかった。僕はとりあえずここに泊まってみることにした。コジマ君は最初に見たパレス・オン・ステップスの部屋が気になっているようで、もう一度そこを見に行くと言った。
 僕は2日分となる700ルピーを宿の親父に渡した。そしてブッダ・ゲストハウスから荷物を取ってくるよと言うと、親父はそれならリクシャーを呼んでやるからそれに乗っていくといいと言った。
「いや、歩いて行くからいいよ」
 そう言ったのだが、親父はわりと粘り強くリクシャーを勧めてきた。どうせ大した距離じゃないからまあいいかと思い、じゃあそうするよと返答した。
 代金はいくらくらいかなと訊くと、おそらく150ルピーくらいだろうと言う。そんなわけがなかった。まだ大分曖昧ながらも、昨日今日と歩いて僕の頭にはバラナシの地図が出来上がりつつあった。ブッダ・ゲストハウスまではそもそもリクシャーに乗るような距離じゃないし、乗ったところで10か20ルピーがいいところだろう。
「そんなにかかるわけないよ、せいぜい20ってところでしょ」
 そう言って、リクシャーまで案内するという別のスタッフと一緒に外に出た。

 サンカタ・ゲストハウスの前の路地もまた、リクシャーが入ってこれないほど狭かった。よってリクシャーに乗るには一旦広い通りまで出る必要があるのだが、宿のスタッフがこっちだと言って歩き出したのは、僕が一番近いと考えていた通りとは異なる方向で、それはブッダ・ゲストハウスの方向からも真逆だった。最初は変則的なショートカットでもあるのかなと思ったが、男は迷路のような路地を明らかに不自然な軌道を描きつつ10分近くも歩き続けた。ほんとうにこっちでいいの? と訊いても、イエス、イエスと言うだけだ。
 そのときふと頭をよぎったことがあった。彼はわざと遠いところまで連れて行き、リクシャーの代金を引き上げようとしているのではないか、ということだ。それで割り増しされた代金の何割かを運転手からもらうとか、そういうことなのではないだろうか。
 バラナシに来て驚いたことのひとつは、この町の人々が不可思議なネットワークでつながっているということだった。たとえば午前中にある宿に部屋を見に行き、その午後に大分離れたところにある宿に行ったとする。そうするとそこのフロントの親父に「お前はさっきあの宿で300ルピーで部屋を交渉していただろう」なんてことを言われたりするのだ。そんなことが2回くらいあった。
 いずれにせよこれでフロントの親父が言った150ルピーという値段が少しだけ腑に落ちた気がした。そしてその瞬間、サンカタ・ゲストハウスに泊まる気が失せてしまった。僕は横を歩くコジマ君と日本語で打ち合わせ、前を行く男に話しかけた。
「道はそっちじゃないだろう。だますのはやめなよ」
 何を言っているんだ、という顔をして立ち止まる男に対し、僕は歩いて帰るからリクシャーはいらないと告げた。そしてその場で背を向けると、コジマ君と一緒に走り出した。目的地はサンカタ・ゲストハウスだった。案内の男よりも先にサンカタに戻り、フロントの親父が事情を知らされて面倒なことになる前に宿をキャンセルしてしまおうと思ったのだ。「だまそうとした」などといったことを理由にキャンセルを迫れば、どうせ口論になることは目に見えていた。
 すぐに宿を見つけられるかあまり自信はなかったが、勘を頼りに走っていくとわりとすんなりサンカタにたどり着くことができた。僕は何食わぬ顔で中に入ると、親父にキャンセルを告げ、700ルピーを受け取って外に出た。
 宿を出て、試しに自分が思う最短のルートでリクシャーの拾える大通りまで歩いてみたが、やはり2分も歩かないうちに出ることができた。

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 その後は歩いてブッダ・ゲストハウスまで戻った。
 宿には貯まっていた洗濯物を預けていたのだが、それが洗濯されて戻ってきていた。確かめてみるとすごく綺麗に洗濯されていて、太陽をしっかり浴びてフワフワに乾燥していた。
 口ひげ男に宿をチェックアウトしたいと告げると、なぜだと理由を訊かれた。ガンジス河が見える部屋に泊まりたいんだと正直に言うと、それを聞いた宿の経営者のひとりらしき年配の女性が言った。
「あたしらもね、この建物を建て増ししようと思ってるのよ。そうすれば前の建物より高くなるからね」
 そんな簡単に建て増しなどできるのかなと思ったが、ここは宿の人の雰囲気はいいし、河がはっきり見えるようになればその魅力は増すだろうなと思った。もっともそれによってその後ろの建物からは河が見えなくなるのだろうが……
 
 僕は結局、昨晩夕食を食べた屋上レストランがあるシータ・ゲストハウスに部屋を取った。このホテルもガンジス河の目の前に建っており、見せてもらった部屋は窓の向きこそ河に面していなかったものの、それでも一応視界の横のほうに河を見ることができた。また4階建ての屋上に行けば当然のごとく河を一望できた。料金は一泊700ルピーとなかなか高かったが、部屋は広く、トイレも温水シャワーもあり、宿の人間の感じもよかった。

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(シータ・ゲストハウス。屋上レストランからの眺めが素晴らしい)

 その後外に出てコジマ君と合流した。やはり彼はパレス・オン・ステップスの部屋を取ったとのことだった。
「ただスタッフの感じがあんまりよくないんですよね」
 コジマ君はやや浮かない顔をして言った。その印象は僕も同感だった。なにがというわけでもないのだが、今朝部屋を案内されたときのスタッフの態度にどうも嫌なものを感じていたのだ。
 
  僕らはエヴェレスト・カフェという眺めのよい河沿いのオープンカフェで遅い昼食を取り、その後もガートに沿って歩きながら沐浴をする人々や、河に浮かべるボートを作る人々の様子などを眺め続けた。
 河沿いには様々な名前のついたガートがあり、それをつたって歩くことで河沿いを散歩できた。そして数あるガートの中でも中心地のようになっているのが、ダシャーシュワメード・ガートと呼ばれる場所だった。
 夜になると、このダシャーシュワメード・ガートで宗教的セレモニーのようなものが行われた。
 小さな祭壇のようなものが7つ設置され、その前に赤と黄色の衣服をまとった男たちが並んで立つ。そしてスピーカーから流れる音楽と祈りの言葉のようなものに合わせ、彼らは線香の煙で円を描いたり、いくつもの炎が灯された燭台を持ってゆったりとした舞いを行ったりした。

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 空には明るい月が出ていた。そして河の上にはひしめくようにボートが浮かび、それに乗り込んだ多くの観光客たちがセレモニーを眺めていた。やがて男たちの舞いが終わると音楽も止まり、スピーカーから流れる声が見ている者に呼びかけるように同じフレーズを繰り返した。
「ザオー」と言っているように聞こえた。そしてそれを何度か繰り返したあとに「ハレ、ハレ、マハーレー」と声が発せられると、それに合わせるようにまわりにいたインド人たちがみな両手を上げて同じフレーズを唱和した。そうしてセレモニーは終わりを告げた。
 
 その後はそれぞれに新しい宿へと戻った。
 僕は屋上のレストランで夕食を食べ、部屋に戻って温水のシャワーを浴び、ベッドに寝転んでガイドブックなどを眺めた。
 しばらくすると誰かが部屋のドアをノックした。ドアを開けると、そこにコジマ君が立っていた。
「実はパレス・オン・ステップの宿泊をキャンセルしたいんですが、ちょっとトラブルになっちゃって……」
 そう彼は言った。彼はやはり宿のスタッフの対応が好きになれなかったので、宿泊をキャンセルしたいと頼んだらしい。しかし宿のスタッフはそれならば1泊分の宿泊料金しか返却できないと言うのだという。
 彼はすでに3泊分の宿泊料金となる2250ルピーを前金で払っていた。今晩の分は仕方ないにしても、それでも明日と明後日の分は返ってくるのが普通だ。しかしスタッフは頑として1泊分である750ルピーしか返却できないと主張するらしい。

 とりあえず時間も夜中に近かったので、明日の朝に行って交渉してみると約束し、ふたりで屋上のレストランに行った。レストランはもうやっていなかったが、僕らはそこの椅子に座り、タバコを吸いながらしばらく話をした。
 コジマ君は今回のインド旅行が人生初の海外旅行なのだと言った。初の海外旅行がインドだなんてそれは大変だろうと思ったが、やはり一癖も二癖もあるインド人たちとのやり取りは彼にとってなかなか堪えるようだった。当然だろうと思った。自分が初めて海外に行ったときなどJTBの団体ツアー旅行だったし、彼のようなスタイルで旅をすることなど想像すらできなかった。
「もう少しいれば慣れるんでしょうかね……神経質になり過ぎているのかもしれません」
 宿の人間と口論した際の興奮が醒めてきたのか、少し落ち着きを取り戻した彼は、夜のガンジス河を眺めて煙を吐き出しながらそう言った。