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<Day 19 バラナシ >



               1月24日

 朝起きて、部屋のテラスから朝陽が昇るのを眺めた。
 ロード・ビシュヌ・ゲストハウスから河までは数十メートルの距離があるので、シータの屋上のようにすぐ目の前が河というわけではなかったが、自分の部屋からガンジス河と朝陽が見られるのはやはりなかなか贅沢なことだった。

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 1階に下りていくと、すでに起きていたマネージャーがデッキチェアに座っていた。
「チャイを飲むか?」
 なんでも近くのレストランに電話で注文すれば届けてくれると言う。食事なども注文できるらしい。それはいいとチャイを頼むと、5分ほどしてお店のひとがチャイを持って現れた。

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 椅子に座ってチャイを飲みながらマネージャーと話をした。
「バラナシにはとても有名な"ババ"がいるんだ」
 話の中でマネージャーが言った。いわゆるサイババのような特殊な力を持ったひとらしい。マネージャーいわくババはたくさんいるが、このババは特にすごいのだと言う。
「彼はひとの過去と現在と未来を見ることができる。興味があれば紹介してやってもいいぞ」
 そうマネージャーは言ったが、この手の人物にどうも胡散臭いものを感じていた自分は、あまり興味はないと言って断った。

 しばしくつろいだあと、シータ・ゲストハウスに向かった。
 昨日のリクシャーを含む一連の出来事でなんとなくコジマ君と気まずい感じになっていたので、話をしておきたかった。またサールナートからバラナシの駅までのリクシャー代金をコジマ君が立て替えていたので、その分の代金をトーコちゃんから預かっていたこともあった。
 部屋をノックしても返事がなかったので屋上に行ってみると、そこでコジマ君がチャイを飲んでいた。
 立て替えてもらっていた代金を渡し、昨日の出来事についてしばし話をした。
 コジマ君は昨日はさっさと帰ってしまってすみませんと言い、それから少し自分の身の上話をした。
 彼は日本で長く務めた会社を辞めてインドに来ていた。詳しくは語らなかったが、どうやら同僚とうまくいかなくて精神的なバランスを崩してしまったことが原因のようだった。
「インドに行くと人生観が変わるとか言うじゃないですか。深夜特急とか読んでもそんな風に書いてあるし。海外には行ったことがなかったけど、それならインドに行ってみようと思ったんです」
 彼もまたいろいろな想いを抱え、一大決心してこの旅に出てきたようだった。初めての海外旅行が宿も決めない単独でのバックパック旅行というのは、本当に一大決心だったに違いないと思った。
 僕は彼に昨晩作成した一枚の紙を渡した。それは旅先で使うことが多いと思われる英語のフレーズを、いくつかまとめて書きつけたものだった。旅行中というのは誰かと深い会話をするケースなどを抜きにすれば、何度も何度も繰り返し使うフレーズというものが発生する。そうしたものをいくつか覚えておくだけで、旅がかなり楽になることを僕は経験上学んでいた。
 旅をするにおいて大切なのは言語の知識ではなく、伝えようとする意志だという考え方がある。僕もそれに大いに賛成する。ただしインドにおいては多少の例外があるようにも感じていた。ここでは否が応でも彼らとの交渉事が発生する。そしてその交渉を楽しみ、その向こうにどれくらいの悪意と善意があるのかを見極めるのは、英語、さらに言えばヒンドゥー語の知識がなければかなり難しい。インドで会った日本人旅行者からインド人やインドの悪口を聞くたびに、そこにはひょっとしたら言葉によるロスト・イン・トランスレーション(外国語を使って意思の疎通を行う際に生じる誤解)がなかっただろうか、と感じることが少なくなかった。誤解によってその国を嫌ってしまうのは残念なことだった。
 
 コジマ君はできれば予定通り今日カジュラホに向けて発ちたいということだったので、ひとまず僕らはシータのフロントに行き、マネージャーにチケットを手配できないか訊いてみた。マネージャーはしばらく調べたのちに、今日の午後4時に出発するチケットなら取れそうだと言った。チケットが手に入るまでには少し時間がかかるということなので、僕らは礼を言ってひとまず外に出た。

 コジマ君に今朝ロード・ビシュヌのマネージャーから聞いたババの話をすると、彼は興味を覚えたらしく、会ってみたいと言った。そこで僕らは2人でロード・ビシュヌに行き、マネージャーにババに会えるかと訊いてみた。
「話をしておくから12時にまた戻ってきてくれ」
 そうマネージャーは言った。ちなみに値段はいくらくらいなのかなと訊くと、
「ババはビジネスでやっているわけではない。だからいくら渡すかは自分次第だ」
 と彼は言った。

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 一旦コジマ君と別れた僕は、ベンガリー・トラ通りのインターネットショップに向かった。
 ロバートが今日バラナシに来ると言っていたので、どうなったかとメールをチェックしてみると、彼から返信が来ていた。読んでみると、なんと昨日の昼にすでに到着したという。どこに泊まっているかは書かれていなかったので、今日の夜7時にシータ・ゲストハウスの屋上で会おうと返信をした。
 続いてトーコちゃんにもメールを書き、今日コジマ君がカジュラホに発つことになったことを告げた。彼女もまた昨日の出来事をかなり気にしていたので、朝コジマ君と少し話をしたことを伝え、よかったら夜7時にシータの屋上に来ませんかと書いた。
 
 ロード・ビシュヌでコジマ君と合流すると、僕らはマネージャーに連れられてババのいるという場所に歩いていった。
 それは2階立ての小さな建物で、ベンガリー・トラ通りからさらに狭い路地に入ったところにあった。中に入ると受付のようなテーブルがあり、そこにいた男がコジマ君に紙を渡した。そこに自分の名前や生年月日などの情報を記入するようにとのことだった。
 コジマ君が用紙に記入をすると、建物の奥からババが現れた。世捨て人のような老人が現れるのだろうかと想像していたら、ババはまだ40代くらいの、身なりもきちんとした男性だった。なんだか意外に俗っぽい感じだなと思っていると、ババはいきなり流暢な日本語でコジマ君に話しかけた。それを聞いた瞬間、なんとなく嫌な予感がした。
 ババはコジマ君の手を取って手相を見ると、あなたは4人家族でしょう、と言った。そして未来を見るにはある程度御礼をいただくことになるがよいか、と訊ねた。
 いくらなのですか、と訊ねると、
「5100ルピーです」
 と彼は言った。
 ジャイプルの旅行代理店で2700ルピーと言われたときと同じように、僕はまた声を出して笑った。5100ルピーと言えば1万円以上だ。日本にいるときですら高く感じるその額は、インドの物価に慣れつつあった自分にはなおさら途方もない額に聞こえた。
 高すぎるだろうと言うと、彼はもらうお金のほとんどはアシュラム(孤児院)に寄付され、恵まれない子供たちのために使われる、だからこの5100ルピーという額は妥当であり、ディスカウントは一切ないと言った。寄付が本当であればそれは意義のあることかもしれないが、金額が固定されていることの説明にはなっていなかった。なぜ1000ルピーの寄付ではだめなのか? なぜ500ルピーではだめなのか? 僕はもうこのおやじは完全に信用できないと思ったが、見てもらうのはコジマ君なので一応彼にどうすると訊くと、彼もさすがに5100ルピーは高すぎるのでやめると言った。
 するとおやじはアルバムのようなものを取り出して僕らに見せてきた。そこにはこれまで彼に見てもらったらしい旅行者たちの写真が貼られており、彼らのメッセージなどが添えられていた。西洋人が多かったが、日本人の写真もあった。しかしコジマ君の考えは変わらず、僕らはそのまま建物の外に出た。
 建物の外ではマネージャーが待っていた。
「高すぎるよ」
 彼の顔を見た瞬間、僕は言った。いくらだったと訊かれたので5100ルピーだったと言うと、マネージャーは「本当か?」と言い、本当だと言うとそれなら仕方ないといった風に肩をすくめた。いくら渡すかは自分次第、という彼の言葉はなんだったのだろうと思ったが、もう終わったことだし特に追及はしなかった。

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 僕らはマネージャーと別れ、昼食を食べるためにアルカ・ホテルのレストランに行った。
 そして今日もガンジス河を見渡せる席に着き、さて何を頼もうかなと考えた。
 そのとき、頭上から自分の名前を呼ぶ声がした。
 見上げると、ホテルの2階の部屋のテラスからロバートが手を振っていた。
「ロバート! ここに泊まってたのか!」
 驚いた僕も頭上に向けて声を上げ、手を振った。プシュカルで別れて以来の再会だった。 
 少しするとロバートもレストランに下りてきたので、3人で話をした。
「アルカがよいとメールに書いてあったから、ここに来て訊いてみたら空き部屋がひとつだけあったんだ。料金はやや高かったが部屋は悪くないよ」
 と彼は言った。ロバートとコジマ君も僕が通訳をする形で少し話をした。
「デリーはどうだった?」
 と訊くと、自分でも意外だったが結構気に入ったと言った。特にオールド・デリーが面白かったらしい。
 コジマ君の列車の時間が近づいてきていたので、僕はロバートにまたあとでここで落ち合おうと言い、一旦シータ・ゲストハウスに戻った。

 マネージャーが取ってくれたのはSL、A/Cなしの寝台シートのチケットだった。チケットの値段が300ルピー、手配料が100ルピーで、合計400ルピーとのことだった。まあ妥当な金額だろうと思えた。
 マネージャーが大通りにリクシャーを呼んでくれたので、僕は荷造りを終えたコジマ君をそこまで送っていった。僕らはリクシャーの前で握手をし、別れの挨拶をした。アーグラの駅でのドタバタから始まり、彼とはバラナシに来てから毎日のように一緒に行動をしていた。多少負担に感じる瞬間もなくはなかったが、彼と出会ったことがここでの時間を豊かにしてくれたことは確かだった。
 リクシャーに乗って去っていく彼を見送りながら、彼のこの先の旅がよいものになることを願った。

 その後宿に戻ってしばらく物思いに沈んでいたが、やがてもう一度インターネットショップに行った。
 午前中にメールをチェックした際、ロバートとは別にもう一通、日本にいる女性からメールが届いていた。それは僕がプシュカルでインドの滞在を延長した後に送ったメールに対する返信であり、それを読んで以来自分の中である想いが強まっていた。彼女は僕が今回インドに来るきっかけとなった人物でもあり、旅をしている間常に頭の中にその存在があった。僕は少し長いメールを書いて送信し、店を出た。

 メールを書くのに時間がかかったことで、ロバートとの待ち合わせ時間がすでに過ぎようとしていた。僕はベンガリー・トラ通りをアルカ・ホテルに向かって走っていった。ところがインドでは道を走っている人間というのはあまりいないようで、何事かと警察に呼び止められてしまった。
「ワット・イズ・ユア・プロブレム?」
 そう言われ、いや何も問題などないのだと答えたが、実際僕は問題を抱えていたのかもしれなかった。

 少し遅れてアルカ・ホテルに到着すると、そこにはすでにロバートがいた。
「昨晩ガンジス河のほとりで宗教的儀式のようなものを見たよ」
 そう言って彼はプジャと呼ばれる、河のほとりで毎晩行われているセレモニーについての感想を語った。僕はなんとなく彼に今の状況を打ち明けたくなり、親しい付き合いをしていた女性がいること、互いに精神的に参ってしまい別れ話をして日本を出てきたが、いまだにその関係が微妙な形で続いていることなどを話した。ロバートは真剣に耳を傾け、自分のパートナーの話などをしながら、最後にはあまり気に病むな、なるようにしかならないさと言った。

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 ロバートは今晩は火葬場に行くと言うので、僕はひとりでシータ・ゲストハウスの屋上に向かった。トーコちゃんに夜の7時にとメールをしていたので、ひょっとしたら来ているかもしれないと思ったからだ。
 屋上には7時15分頃に到着した。
 彼女の姿はなかった。もう帰ってしまったのかもしれないと、レストランのスタッフの男にここ30分くらいの間に日本人の女の子を見なかったかと訊いてみたが、見ていないと言われた。
 とりあえずもうしばらく待ってみようと、チャイを頼んで椅子に腰を下ろした。
 7時半になっても彼女は現れなかった。ひょっとしたら今日はメールをチェックしていないのかもしれない……そんなことを思っていると、さっき話をしたスタッフの男がやってきて、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座った。
「残念だったな。まあ、そう気を落とさないことだ」
 イッツ・オーケー、と彼は言った。どうやら彼は僕が女性を食事に誘ったものの、つれなく振られてしまった哀れな男かなにかだと思ったようだった。いやそうじゃないんだと言おうとしたが、いやある意味そういうことでもあるのかと思い、僕はうん大丈夫さ、と返事をした。彼は30歳前後くらいの、気のよさそうな男だった。
「バラナシは聖なる場所だ」
 唐突に彼は言った。何を言い出すのかと思っていると、彼はさらに言葉を続けた。
「ここはインドの中で日本人に最も人気のある場所だ。たくさんの日本人がこの街にやって来る。そして彼らは長い間滞在する。なぜだかわかるかい?」
 そう訊ねられ、僕はどうだろうと呟き、そして言った。
「ここに長期滞在する日本人の多くは、日本で何か悲しいことや辛いことがあったひとが多い気がする。そしてここにいれば彼らはその現実と向き合わなくても済む……そういうことじゃないかな」
 話しながら、その言葉にはすでに自分自身のことが含まれているなと思った。
「私が思うにね、彼らは逃げているんだ」
 彼は言った。
「でも逃げることなんてできないんだ。なぜなら安らぎというものは外に出て見つけるものではなく、自分の中に見つけるものだからね」

 闇に包まれたガンジス河を眺めながら、彼の言葉を考えた。そしてなんとなく、この夜は自分の人生にとって何か重要な夜なのではないかと思った。
 チャイを飲み干し、勘定をして席を立つと、自分の身体がひどく疲れているのを感じた。日本にいたときに感じていた、あの重さが戻ってきていた。それはインドのカオスや移動の高揚感に身をゆだねることで、半ば忘れることに成功していた感覚だった。
 また捕まったか……そう思いながら、重い身体を引きずるようにしてシータを出た。

 帰り道にインターネットショップに立ち寄ったが、トーコちゃんからはいまだ返信が届いていなかった。何も連絡がないというのが少し気になったので、都合が合えば明日の午後3時にアルカで会いましょうとメールを書いて送信した。

 宿に戻ると庭にオリバーがいた。
 オリバーは明後日バラナシを発ってアーグラに行くことにしたと言い、その後の列車のチケットもすべてまとめて予約してきたと言った。そうか彼も去るのだなと思い、少し寂しい気持ちになった。自分もまたそろそろ具体的に列車のチケットを抑える必要があった。
 今晩はパーティをするという話だったが、僕は疲れたので部屋に戻って休むとマネージャーに言い、明日頼んでいたヨガもパスするかもしれないと言った。そしてもしドイツ人が訊ねてきたら部屋に通してくれと頼んだ。ロバートがひょっとしたら夜に遊びにくるかもしれないと言っていたからだ。
 部屋に戻り、ベッドに横になった。身体が重く、動く気力が起きなかった。
 しばらくそうして横たわっていると、誰かが部屋のドアをノックした。ドアを開けるとロバートが立っていた。しばらく話をし、明日の朝ボートを乗りにいくからどうだと誘われたが、ちょっとわからないと返事をした。彼は了解し、「まあ力を抜くことだ」と言って去っていった。
 その夜は10時前に眠りについた。