<Day 22 バラナシ >



               1月27日

 朝9時頃に目が覚め、ベッドに横たわりながら昨夜の出来事を考えた。
 オートバイに乗って夜のバラナシを疾走したり、ここ数日いろいろなことが起きているように思えた。自分が何か大きな流れに乗っていて、かつては非日常と呼んでいた出来事の連続が日常に変わりつつあるような、そんな風にも感じられた。

f:id:ryisnow:20160129180807j:plain

 今日もバラナシはいい天気だった。
 部屋のテラスに出ていつものようにガンジス河を眺め、宿の向かいの敷地に集まっている牛たちを眺めた。 
 病院にはいつ行こう……
 コルカタ行きの列車は午後5時発だった。僕は少し考え、病院から直接駅に向かうことにした。

 1階に下りていくとデッキチェアにマネージャーが座っていた。
 昨日の礼を言って自分も椅子に座ると、彼は今日も仕事の話をした。
「俺はこの宿をもっとよくしたい。どうすればよいか旅行者の視点からアドバイスをくれ」
 そう訊かれ、どう答えようか一瞬考えたが、このマネージャーには思っていることを正直に伝えてみることにした。
 僕はパレス・オン・ステップスやサンカタ・ゲストハウスの対応など、インドに来て以来経験した様々なエピソードを彼に話し、インドでは人を信頼するのがなかなか難しい、旅行者はみなどこかで疑いを抱えている、だからこそ信頼を大事にすることが長い目で見れば成功の鍵になるのではないかという話をした。少なくとも自分はそういう宿に泊まりたいと思った。
 マネージャーは頷きながらその通りだと言い、いずれこの宿の屋上に簡単なレストランを作り、庭ももう少し整備したいのだと言った。
 マネージャーの名前はバンティーと言った。

 やがてチェックアウト時間である12時が近づいてきたので、宿代の清算をした。
 列車のチケット代も合わせて全部で2000ルピー弱となった。部屋に戻って荷造りをし、病院に行くまでの間バックパックを預かってもらうよう頼むと、最後にもう一度バラナシを散歩しに出かけた。

f:id:ryisnow:20160129180929j:plain


 インターネットショップでメールをチェックすると、ロバートから返信が届いていた。送ったのは昨日の夜のようだった。

"デリーに着いた。あの娘のことは気の毒に思うし、君のインド最後の日々がこのような形になったのは残念だが、これも何か意味があることなのかもしれないな。俺は明日の午前9時の飛行機でデリーを発つ。最後にもう一度インドを目に焼き付けて帰国するつもりだよ"

 そう彼は書いていた。午前9時の飛行機ということは、今頃はちょうど飛行機に乗って飛んでいる頃だろうと思った。
 
 その後はダシャーシュワメード・ガートに行き、タバコをふかしながら石段に座って河を眺めた。

f:id:ryisnow:20160129181124j:plain


 今日もまた結婚式があるらしく、着飾った人々がガートに向かって下りてきた。その様子を見ながら幸せとはなんだろうと考えた。
 そして自分はやはりまたここに戻ってきたい、と思った。
 前回長期滞在したときは笛を習っていたというトーコちゃんも、シタールを習っているというリネも、みんなバラナシにいたいのだ。ここにいる理由がほしいのだ。
 帰国した時に、この場所と日本での世界がどのようにつながるのだろう。恋愛も、生きることも、ここではより素直でシンプルに思えた。素直でシンプルで何が悪いのだろう?
 
 昼頃にロード・ビシュヌに戻った。
 近くのレストランからターリーを出前で届けてもらい、60ルピーという値段のその大皿料理を庭の椅子に座って食べた。
 庭にいたオロや子犬と遊んだりしているとリネが帰ってきたので、今日バラナシを発つことを告げ、アドレスを交換した。
「……私は一体いつまでバラナシにいるのかしら?」
 リネは独り言のようにそう呟いた。彼女はバラナシの後どこに向かうべきか決めかねているようだった。
 マネージャーのバンティーは列車の出発が5時だから、渋滞が発生する可能性も考えて3時半には病院を出たほうがいいと言った。僕は了解し、預けていた荷物を受け取って彼と握手をした。彼にはいくら感謝してもし切れない気がした。手を振って見送る彼に手を振り返しながら、僕はバックパックを背負ってロード・ビシュヌの門を出た。

f:id:ryisnow:20160129181847j:plain

 シヴァ・ゲストハウスに立ち寄って今日バラナシを去ることを告げ、そこから大通りに出てオートリクシャーを拾った。

 これでこのあたりの風景も見納めだと、やや感傷に浸りながら車に揺られていると、少し走ったところで運転手が速度を緩め、車の調子が悪いというようなことを言い始めた。
「ディス・イズ・ガタガタ」
 ガタガタ、とそこだけ彼は日本語で言った。そしてそのまま道をそれて路地に入り、小さな修理工場の前でリクシャーを停車させた。
 彼は工場のおやじと何やら話し始め、僕はリクシャーに座ったまま話が終わるのを待った。リクシャーが壊れたと言って旅行者に修理代を要求するというのも、彼らの手口のひとつだと聞いていた。時計を見ると大分時間が経過しており、このままだと病院にいられる時間がなくなりそうだった。どうせ壊れてなんかいないんだろうと思っていた僕は何度か運転手に早く行こうと言ったが、運転手は「ガタガタ」と繰り返し、修理が必要なのでいくらかの金が必要だと言う。
「俺は出さないよ」
 そう言うと、それでは車は動かせないと言ってまた工場のおやじと話をし始める。それは修理の相談をしているというよりも、単に世間話をして時間を稼いでいるようにしか見えなかった。僕は段々苛立ってきて、
「こんなことをしている時間はないんだ!」
 と自分でも驚くような声で怒鳴ってしまった。すると運転手は慌てたように「オーケー、オーケー」と言って、すぐにリクシャーを発進させた。

 ようやく病院に到着し、時計を気にしながら病室に行った。
 トーコちゃんの容態は再び悪くなっていた。
 看護師やドクターたちが次々とやって来て、また注射を打っていた。彼女は寒いと言って身体を震わせ、注射をされることを恐れた。ぜんそくの症状も出ているようで、咳もしていた。僕は看護師やドクターに状態や薬の必要性を訊ねながらも、基本的には横の椅子に座ってその様子を見守るしかなかった。ホルモン注射が原因かもしれないとのことだった。
 トーコちゃんはやっぱりインドに来たのは間違いだったのかもしれないというようなことを言い、
「でも多分これがこうして旅できる最後のチャンスなんで…」
 と言った。
 
 そろそろ病院を出なければいけない時間になっていた。
 僕はトイレに行った際に、この状態の彼女を残して去ることがよいことだろうかと自問した。答えは「ノー」だった。そして今日バラナシを去るのはやめることにした。

 ところが1時間ほど経つと彼女の容態は大分安定し、震えも収まったようだった。やはり単なる薬の副作用か何かだったのかもしれない。のど元過ぎればなんとやらという気もしないでもなかったが、様子を見ていると大丈夫のような気もしてきた。今から出ればまだギリギリ間に合うかもしれないと思い、彼女も大丈夫なので行ってくださいと言うので、やはり今日のうちに出発することにした。
 僕は上半身だけ起こした彼女と握手をし、病院の外に出た。

 時刻は4時40分になっていた。
 リクシャーに乗って駅に向かいながら、はたして本当にこれでよかったのだろうかと考えた。発車時刻である5時には着けそうもなかったが、インドの列車は遅れることがほとんどなので、間に合う可能性はまだ十分にあるだろうと思った。しかしどこかで間に合わないほうがよいのではとも思っていた。
 もし間に合わなかったら、それはここに残れという意味だ。僕は勝手にそのように解釈した。
 バンティーが言った通り道は渋滞していて、駅に着いたのは発車時刻から20分遅れる5時20分だった。

 駅に入り、電光掲示板を見た。
 やはり列車は遅れていた。それも2時間45分という大幅な遅れで、発車時刻は7時45分となっていた。
 僕はプラットホームに行き、地べたにバックパックを下ろして座った。
 ホームは多くの乗客と、どうやって入ってきたのかオートバイや自転車それに牛たちによって溢れていた。ホームに寝そべる牛を眺め、近くにいた少年のグループと会話をしながら、もう一度これでよかったのだろうかと考えた。
 そしてふと、トーコちゃんは英語がそれほどうまく話せないのだということを思い出した。彼女のコミュニケーションは英語とカタコトのヒンドゥー語で、それは普通に旅行をする分には問題ないレベルであるように見えたが、病院で看護師やドクターに自分の意思を正確に伝えるとなるとまた話は別だった。外国の病院で、このような状況にひとりでいることが心細くないわけがない。自分にも予定があるとはいえ、所詮は気ままな一人旅に過ぎない。このような状態の女性をひとりにすることを肯定できるほどの理由がはたしてあるだろうか?
 ない、というのは心の中ですぐに答えが出た。しかしそれでも僕は駅のホームで列車に乗る未練を感じてぐだぐだし続けた。
 僕はもうひとつ賭けのようなものをしてみることにした。
 チケットオフィスに行ってみよう、そしてもし明日のコルカタ行きのチケットが取れたなら、それは残れという意味だ……

 駅のチケットオフィスは旅行者でごったがえしていた。
 複数あるカウンターの前では、今日のチケットはないと言われたフランス人の女性がパニックになって何やら叫んでおり、その横では日本人のカップルがコルカタ行きのチケットの有無を訊ねていた。
コルカタ行き、オーケー? 早いやつがいいんだけど?」
 カップルの男のほうが日本語でスタッフに話しかけており、なんだか聞き覚えがある声だと思ったらいつだかインターネットショップでプリントアウトを頼んでいたあの男だった。ここでもやはり彼はほぼ日本語オンリーで会話を行い、それでいてしっかりとチケットを押さえているようだった。
 そんな様子を眺めながら列に並んでいると、やがて自分の番が来た。
 明日のチケットはまだ空いていた。僕は100ルピーを払って今日の分をキャンセルし、明日の午後4時25分発の列車を予約した。

 リクシャーをつかまえ、病院に戻った。
 病室に入っていくと、トーコちゃんは上半身を起こしてドクターと会話していた。相変わらず容態は安定していそうで、やはり取りこし苦労だったかなと戻ってきた自分がなんとなく照れ臭くもあったが、とにかく出発を1日延長したことを彼女に告げた。
 腹が減っていたのでまた病室から電話をかけ、野菜が載った焼きそばとコーヒーを注文して夕食とした。

 夜遅くに女性の看護師が部屋に来て、ひとりの日本人が今晩入院することになったと僕らに告げた。
「彼女はひとりだから病室を訪ねてあげて。心細いだろうから」
 といったことを彼女は言い、ふとベッドの脇に置いてあったトーコちゃんの手帳に目を留めた。その表紙には漫画っぽいタッチで描かれたシヴァ神のステッカーが貼ってあった。インドのものがとにかく好きらしいトーコちゃんの私物には、シヴァやガネーシャなど、様々な神様のステッカーがたくさん貼られていた。看護師はニッコリ笑ってステッカーに軽く指で触れると、目を閉じて祈るような動作をした。漫画のような絵に対しても真剣に祈るその姿はどこか可愛らしくもあり、しかしインド人の信仰心を強く感じる光景だった。
 トーコちゃんは起き上がれるようになっていたので、僕らはそのもうひとりの日本人の病室を訪ねてみることにした。
 
 廊下を少し歩いたところにあったその病室では、日本人の女の子がぐったりとしたままベッドに寝ていた。眠っていたようだったが、僕らが入ってきたことで目を覚ましたようだった。
「大丈夫ですか?」
 と訊くと、
「あんまり大丈夫じゃないです」
 と言いつつ、少し笑みを浮かべた。何か悪いものに当たってひどくお腹をくだしてしまったとのことだった。お互いまったくの初対面ではあったが、外国の病院で居合わせたという状況がなんとなく仲間意識のようなものを生み出していて、こんなときは他人も何もないのだよなと思った。大分辛そうにはしていたが、そこまで心配するような状態ではないように思えたので、しばらく話をしたあとに部屋を出た。

 夜中から朝方にかけてトーコちゃんのぜんそくの発作が出て、また看護師たちがどかどかと部屋を行き来した。咳は苦しそうだったが、ぜんそくに関しては慣れているせいなのか、震えがきたときに比べて彼女は落ち着いていた。
 外が明るくなる頃にようやく発作も収まったので、そこから少し眠った。