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<Final Day コルカタ >



               1月31日

 目が覚めると、部屋の中には自分を含めて2人しか残っていなかった。
 腹の調子もすっかりよくなり、身体は快調だった。やはり一昨日からたくさん寝たのがよかったのかもしれない。

 朝食を食べにサダル・ストリートに出た。
 この旅最後となる朝食は、パンケーキを食べようと思っていた。インドのカフェは軽食としてパンケーキを出すところが多く、インドにいる間は大体こうしたパンケーキを朝に食べ続けていた。だから最後にもう一度それを食べようと思った。

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 サダル・ストリートにある一軒のカフェに入ると、そこには昨夜話をしたニコラスがいたが、残念ながらそこにはパンケーキがなかったので、軽く挨拶だけして店を出た。
 次に入った店にはパンケーキがあったので、そこでハニー・バナナ・パンケーキとチャイを注文した。店の中で新聞を売っていたのでそれを購入して読み、後から入ってきたひとりの女性と話をした。チリからの旅行者らしく、彼女もまた長い旅をしていそうな雰囲気だった。歌うことを生業にしているとのことで、カフェの中でもなにやら歌をうたっていた。

 パラゴンに戻ると部屋にチアキちゃんがいた。モトさんは今朝早くダッカに向けて発ったとのことだった。
 僕もチアキちゃんも夜にコルカタを発つことになっていたので、まだ十分時間があった。お互いマザーハウスに興味を持っていることがわかったので、午後2時半に宿で待ち合わせて一緒に行くことになった。

 11時過ぎにひとまずチェックアウトを行い、宿のスタッフにバックパックを預かってもらうと、インターネットショップに行ってメールをチェックした。
 トーコちゃんからメールが届いていた。
 僕が病室を出た5分後に退院許可が下りたそうで、まだ歩き回るのはしんどいが、それでも大分回復してきたと書いていた。そしてもう数日静養して、来月の上旬にバラナシを離れようと考えているとのことだった。僕は本当によかったなと思い、とにかく気をつけてよい旅になりますようにと願った。

 それからチョウロンギ通りを歩いた。
 チョウロンギ通りは多くの人や露店でにぎわっており、その中に木彫りの神像を路上に並べて売っているおじさんがいた。ガネーシャやシヴァ、クリシュナなど、インドに来て以来何度も目にしてきた神様たちが、手のひらに乗るくらいのサイズに削り出されていた。しかも値段はひとつ10ルピーから15ルピーと、ニューマーケットの土産物屋などに比べると全然安い。帰国してからもインドを思い出すような物がほしいと思っていた僕は、それを購入することにした。友人への土産も含めて6体購入しても、わずか75ルピーだった。
 
 買った物をバックパックに収納するために一旦宿に戻ると、フロントにいた男から一枚の紙を渡された。見ると昨日の夜に話をしたムーンからの伝言が書かれていた。昨晩タクシーをシェアして空港に行こうと話をしたはいいが、午前中も姿を見かけなかったのでどうなったのかと思っていたのだが、どうやら彼女はバスか地下鉄で行くことにしたようだった。

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 マザーハウスに行くまでにはもう少し時間があったので、もう一度サダル・ストリートに出ると、そこでワシムに会った。
 道路わきに一台のタクシーが止まっており、ワシムはその助手席から手を振っていた。
「なんでタクシーなんかに乗ってるんだ?」
「こいつはオレの友達のタクシーなんだよ」
 そう言って彼は運転席にいる30代くらいの男を紹介した。ちょうど空港に行くためのタクシーが必要だったので、彼に連れていってもらうことになった。
「これからどこに行くんだ?」
 ワシムが訊いてきたので、もう少ししたらマザーハウスに行こうと思っていると言うと、ちょうど自分の彼女が午前のボランティアを終えて戻ってくるから紹介すると言った。どうやら日本人の彼女がいるというのは本当だったようだ。

 しばらくするとその彼女がやって来た。
 どんな人なのだろうと思っていたが、30歳前後くらいの、おとなしくて真面目そうな人だった。彼と付き合ってるんですかと訊くと、ええまあ、と答えた。
「でもこの人ほんとだらしがなくて」
 そう落ち着いた声で話す彼女を見て、なにか少しホッとする気持ちになった。あるいはワシムに騙されているのではないかと心配もしていたが、少なくとも彼女は、彼がどんな人間なのかをある程度理解した上で付き合っているようだった。
 今日の午後はボランティアをしないとのことだったので、少しした後にまたどこかで、と言って別れた。

 その後近くの床屋に行き、1カ月放置したひげを剃ってもらった。簡単な肩のマッサージもついて40ルピー、80円ほどだった。

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 パラゴンに戻り、敷地内の椅子に座っているとチアキちゃんが現れたので、リクシャーを拾ってマザーハウスに向かった。
 この時に乗ったのはオートリクシャーでもサイクルリクシャーでもなく、人が走って引っ張る正真正銘の「人力車」だった。今ではこのタイプのリクシャーはコルカタぐらいにしか残っていないらしい。しかも運転手は裸足だった。そのほうが走りやすいということなのか、単に貧しいからなのかわからなかったが、いずれにせよ楽な仕事ではないだろうなと思った。僕らはその初老の運転手が裸足で走って引くリクシャーに乗って、マザーハウスに向かった。

 リクシャーは10分もしないうちに到着した。
 運転手に30ルピーを渡し、交差点の近くにあるマザーハウスの中に入った。白を基調にした建物で、敷地面積はそれほどなさそうだった。
 僕らはボランティアではなく単なる見物客だったので、入口でその旨を伝え、しばらくして現れた女性に先導されて奥に進んだ。
 まず比較的広々とした、どこか礼拝堂のようにも見える部屋に案内された。そしてそこにマザー・テレサのものだという墓石が置かれていた。
「マザーはここに眠っているのですか」
 近くにいたシスターにそう訊くと、
「あの石の下に彼女の遺体が安置されています」
 と答えが返ってきた。
 部屋の中には厳粛な空気が漂っており、何人かのシスターがやって来て墓石に向かって祈りを捧げていたりしていた。
 続いて入った隣の部屋にはマザー・テレサの生涯を説明する写真や文章が展示されており、マケドニアに生まれた彼女がいかにインドにやって来て、コルカタに身を埋めることとなったのか、その歩みが生前に発した言葉などと合わせて紹介されていた。そうしたものを読んでいると、彼女の信仰心から生み出された力に圧倒されるようで、それはまさしく人知を超えた何かであるように感じられた。
 信仰の力というのはすごいものだ……
 インドではヒンドゥー教イスラム教、仏教の存在を感じる機会があったが、キリスト教もまた、この地にしっかりと生きていた。インドは本当に信仰の国だった。
 1時間ほど施設内を見学し、外に出た。
 
 帰りは歩いてサダル・ストリートまで戻った。
 夜まで時間があったのでお茶でもしようかという話になり、ニューマーケットのほうに向かって歩き始めたところでまたワシムと会った。彼と会うのもこれで最後だろうと思い、おごるからカフェに行かないかと誘ってみた。
 チアキちゃんは以前に路上でワシムに声をかけられたことがあったようだった。その時はいかにも胡散臭そうな男に思えたので、相手をしなかったらしい。それは女性としては、まことに正しい対応だった。

 結局僕らは3人でニューマーケットの近くにある「バリスタ」に行った。「バリスタ」はデリーでも何度か行った、ヨーロピアン風のしゃれたカフェだった。
 僕はアイリッシュ・コーヒーを注文し、チアキちゃんはマンゴー・スムージーを注文した。ワシムは注文の仕方にやや戸惑っているような様子で、ひょっとしたら彼はこうした店に入るのが初めてなのではないかという気がした。「バリスタ」はその洗練された雰囲気を裏付けるように、コーヒーを飲むにしても通常の大衆食堂に比べると倍くらいの値段がした。
 なんでも好きなものを頼みなよと言うと、しばらくメニューを見ていた彼はやがて炭酸飲料のようなものを注文した。

 2階の椅子に座って飲みながら3人で話をした。
 とは言っても話すのはもっぱらワシムで、僕とチアキちゃんはほとんどその聞き役だった。
「オレの彼女は横浜に住んでいるんだ。ホテルのマネージャーをしていて、家もあるし、車も持ってる。いつかは俺も日本に行ってそこに住むつもりさ。彼女と出会ったのは2年くらい前だ。日本の女は大体簡単に落とせるけど、彼女は難しかった。だけどオレは友達に言ってたんだ。絶対に落としてみせるって。それであるとき彼女がコルカタからプリーに行った時に、俺も追いかけてプリーまで行ったんだ。そして町を探し回って彼女を見つけた。そこで彼女もオレを受け入れたってわけさ……」
 どこまで真実なのかはなはだ疑問だったが、ワシムはそうして自分と彼女に関するエピソードを語り続けた。僕はそれに多少突っ込みをいれながら話半分に聞き流し、チアキちゃんもまた「本当かなあ……」と首をかしげながら聞いていた。
 そんな風に話しているとやがて午後5時を過ぎたので、僕らはカフェを出て宿に戻ることにした。僕の飛行機は午後9時55分発で、チアキちゃんは今晩の夜行列車でプリーに行くことになっていた。

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 外に出て、一瞬ワシムが遠くに離れた際にチアキちゃんが言った。
「チャラいですね」
 彼女はワシムに対してほとほと呆れているようだった。まあそれも当然だろうと思った。いくら20かそこらの若者とはいえ、日本人の女性を前にして「日本の女は簡単に落とせる」などと言うのはさすがに失礼が過ぎるだろうと僕も思った。
「あんな男にダマされちゃう女性がそんなにいるんですかねえ…… でもインド人男性と日本人女性のカップルって確かにけっこういますよね。あとインド人と日本人の間に生まれた子供は可愛いって聞きました……」
 
 パラゴンの前まで来ると、ワシムは気をつけてな、また来なよ、というようなことを言った。僕はいろいろ付き合ってくれてありがとうと礼を言い、それからがしっとハグをしてバンバンと互いの背中を叩き合った。
 ワシムの友人のタクシーはすでに到着しており、宿の前の路地からサダル・ストリートに出たところで待っていた。
 
 宿の中に入ってバックパックを倉庫からピックアップしていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、そこにムーンがいた。彼女も預けていた荷物を取りに戻ってきたようで、なんでも自分と同じ便で韓国に帰る2人の旅行者を見つけたので、やはりタクシーをシェアして帰ることにしたらしい。
「よかったらあなたも一緒に行かない?」
 そう言われ、もちろん異存はなかったので承諾した。
 ムーンが知り合ったという旅行者は2人とも彼女と同じ年くらいの女の子だった。僕はワシムの友人のもとに行き、乗客が4人になったことを告げた。すると彼は元々250ルピーで合意していた料金を300ルピーに値上げしてきた。なぜだと訊くと、人数が増えたからだと言う。
 これはどうしたものかなと宿に戻ってムーンにそのことを伝えると、彼女もまた人数が増えたからといって値段が上がることはないはずだ、以前にあるインド人が人数と値段は関係ないと言っていたと言い、それなら別のタクシーにしようと言った。
 宿の前にはまだワシムがいたので、僕は彼に別のタクシーで行くことになるかもしれないと言った。すると彼は交渉すれば友人もディスカウントしてくれるかもしれないと言い、自分は用事があるのでもう行かなければならないと言った。僕はワシムと別れの挨拶を交わし、その間にムーンはちょうど宿の前にやってきた別のタクシーの運転手と交渉を始めた。その運転手はムーンに250ルピーで行くと言ったようだった。
「ほら。こっちで行こう」
 そう言ってムーンは他の2人と共にタクシーに乗り込んだ。ところが乗った後にその運転手が料金の先払いを要求してきたため、話はややこしいことになった。
「先払いは絶対だめ。インドではそれで何度もトラブルに遭ったんだから。着いてからじゃないと払わないわ」
 ムーンはぴしゃりと言った。運転手はそれに関しては受け入れたようだったが、今度はトランクの使用代として25ルピーを追加で払うようにと要求してきた。これもまた、そんな話は聞いていないとムーンがはねつけた。44日間もインドを旅しただけあって、ムーンもこの手の交渉に対してはすっかり鍛えられている様子だった。
 しかし運転手もなかなか折れず、押し問答が続けられた。しばらくするとパラゴンのスタッフが外に出てきて苛立ったように言った。
「早く移動してくれ。一体なにをそんなにもめているんだ?」
 宿の前は車が1台入れば道がふさがってしまうくらいの細い路地だったので、そこにタクシーが止まり続けているのが彼らにとっては迷惑のようだった。
「だって事前に聞いていないことを言うんだもの」
「だったらなんで事前に自分から確認しておかない!?」
 ムーンとスタッフの間で言葉の応酬がなされた。いつの間にやらパラゴンの前には宿のスタッフと旅行者が集まり、ちょっとした人だかりになっていた。
 僕はムーンの交渉を横からサポートしながら、インドは最後の最後までこうなのだなとなにやらおかしくもあった。
 僕もムーンも今日インドを去る。そうなれば使われなかったルピーは余ることになる。もはや旅は終わるのだから、たかだか50ルピー、100円ほどの金額にここまで粘るのは馬鹿げているのかもしれない。しかし僕もまたここで妥協はせず、最後までこれまでの姿勢を貫いてこの土地を去りたかった。それはなんだったのだろう。元々はデリーのコンノート・プレイスで疑心暗鬼になり、旅行者としてだまされないために身に着けた防衛本能のようなものだった。しかしそれによって生まれた緊張感が、結果的にインドでの旅をより豊かで濃厚なものにしていたのだった。緊張感が自分を覚醒させ、様々な出会いや経験を生み出し、ここまで僕を運んでくれたのだった。それをもはや金の心配はないからとここで緩めてしまったら、最後の最後で旅がほころんでしまうような、そんな思いだったのかもしれない。

 やがてついに交渉がまとまり、僕ら4人を乗せたタクシーはスタッフの悪態を浴びながらパラゴンの前から動き出すこととなった。僕は宿の前で様子を見守っていたチアキちゃんに、車の中から手を振って別れを告げた。

 すっかり暗くなったコルカタの街をタクシーは走った。
 サダル・ストリートから離れて眺める夜のコルカタは、やはりなかなかに栄えた街だった。闇の中にたくさんの店の灯りが光り、たくさんの人々の姿が目についた。
 僕はそうした風景に目をやりながら、ふとワシムの友人の運転手に何も言わずに出発してきてしまったことに気がついた。考えてみれば新しいタクシーとの交渉に没頭するあまり、彼に正式な断りを入れることをすっかり忘れていた。彼は宿の前からは死角になる位置にタクシーを止めていたから、ひょっとしたら騒ぎには気づかず、僕らが戻ってくるのをずっと待っていたかもしれない…… だとすれば彼にとってもワシムにとっても悪いことをしてしまったなと思った。
 しかしもはやそれを謝る機会はなかった。さっきまで当たり前のように話をしていたワシムにしても、ひょっとすればあれが僕の一生で彼を見る最後の機会だったのかもしれなかった。一度だけの機会。そうしたものが毎日のように目の前に現れて、去っていく。旅とは取得と喪失の繰り返しだった。その循環が激しいからこそ、旅の中にどうしようもなく強い生を感じるのだろう。
 旅の中には生があるのだ。

 道は時折渋滞したが、それでも出発の2時間半前となる7時半にはコルカタの空港に到着した。
 助手席に座っていた僕が料金を払い、自分たちの分を渡そうとしたムーンたちをいいから、と言って制すると、彼女たちはそれは絶対にダメだと言って受け入れなかった。ルピーが余ったからいいよと言っても、いやそれはいけないと彼女たちは断固として譲らなかった。僕は結局素直に受け取ることにした。
 僕よりも搭乗時間までゆとりのあった彼女たちは、チェックインをする前に空港内をまわって食事をするということだった。
「日本まで気をつけて」
「韓国まで気をつけて」
 そう言って、互いに手を振って別れた。

 空港内はそれ程広くなさそうで、人も少なく閑散としていた。
 誰も並んでいないシンガポール航空の受付に行ってチェックインをし、荷物を預けた。旅の途中で帰国便を変更したのでインターネットショップでプリントアウトした紙を用意していたのだが、結局提示を求められたのはパスポートだけだった。

 手荷物検査などを経て奥に進むと、搭乗口の前に長椅子が並べられたスペースがあり、そこで同じ便に乗ると思われる人たちが座って待っていた。見たところインド人がほとんどだった。
 近くにはキオスクのような小さな売店があるだけで、歩いてまわるような場所もなかった。僕は売店でコーヒーを買うと、長椅子に座ってテレビなどを眺めながら待ち続けた。エジプトで大きな反政府デモのようなものが発生したらしく、テレビはずっとその様子を映し続けていた。

 夜の空港は落ち着いていて、静かだった。
 やがて搭乗のアナウンスがされた。
 インドの路上の騒音がすでに遠くなりつつあるのを感じながら、僕は飛行機に乗り込んだ。