<Day 3 デリー >


                1月8日

 9時過ぎに起き、泊まっていた宿のチェックアウトをした。
 宿に大きな不満があるわけではなかったが、初日にとにかく荷物が置きたくて選んだ場所だったので、デリー最後の夜はせっかくだから別の場所に泊まってみようと思ったのだ。
 2日間歩き回ったので、なんとなくよさそうな宿の目星もつけていた。僕は宿を出ると、バザールの奥に向かって数百メートル歩き、目をつけていた一軒の小ぎれいなホテルに入った。

 フロントのおやじに値段を訊くと「900ルピー」だと言う。
 今朝までいた宿の3倍と大分高いが、部屋を見せてもらうと、ずいぶん広いし、エアコンがついていて温水も使える。さらにベランダもあり、そこからメインバザールを見下ろせるというのがとてもよかった。確かにこれならば高いのも妥当かなと思い、800ルピー(約1600円)に値切った上で部屋を取ることにした。
 部屋に荷物を置き、やっぱりちょっと贅沢しすぎたかなと思ったりもしたが、明日はジャイサルメールへの長い列車の旅が待っているし、デリー最後の夜に英気を養うためだと自分を納得させた。

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(デリー3日目に泊まった宿。一気にグレードが上がった)


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(ベランダからはメインバザールの通りが見下ろせた)

 外に出て、近くのカフェで朝食を取った。バタートーストとチャイで35ルピー、70円ほどだった。
 この日も朝はかなり寒い。カフェを出て歩いていると例の如く話しかけてきた男がいたので、退屈しのぎに話を聞いていると、その彼も今年のデリーはいつになく寒いと言う。
 シャキールと名乗るその男はその後、自分のやっている店を見にこないかと誘ってきたので、何も買わないよと念を押した上でついていくことにした。
 シャキールは店に着くと案の定自分で売っている土産物や、企画している北部の田舎へのツアーなどを勧めてきたが、僕がまったくなびきそうにないことを悟ると、最後は店の前にあったチャイスタンドでチャイをおごってくれた。その素直な行動の移り変わりを見ていると、なにやら自分のほうがよっぽど狡猾な人間なのではないかという気がしてくる。

 今日はせっかくなので、まだ行っていなかったコンノート・プレイスの南側を歩いてみようと思っていた。地図を見ると、南東方面にしばらく行ったところにインド門という大きな門があるようだったので、まずはそこを目指すことにした。
  コンノート・プレイスから南に向かう道は複数車線の広い車道になっており、メインバザールなどに比べると空間に開放感があった。車の往来や 「ビーッ!ビーッ!」というクラクション音はここでも健在だったが、人も車両もごちゃ混ぜになって進むメインバザールとは違い、人間は歩道、車は車道と、一応は街としての交通区分が成り立っている。

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 歩くのはメインバザールのほうが面白いなあ、などと思いながら歩いていると、やがて遠くに門らしきものが見えてきた。目の前まで行ってみると、なるほど、なかなか大きい。かといっていつまでも眺めていたいというほどのものでもなく、売店で売っていたお菓子を食べて少し休憩すると、次の場所に移動することにした。

 インド門から南西方面に数キロ行ったところに、ガンジー記念博物館というものがあるようだった。ガンジーについては世間一般的な知識しか持っていなかったが、せっかくの機会なのでインド独立の父について学んでみようと思い、行ってみることにした。
 インド門の近くに来てからは、道を歩く人の数も減り、誰かに話しかけられるということも少なくなくなっていたが、門からガンジー記念博物館に向けて歩き出した際に、1人のオートリクシャーの運転手が声をかけてきた。
「どこに行くんだい? 乗っていきなよ」
「いや、大丈夫だから」
 いつもの癖で反射的に断ったものの、少し歩くうちにやっぱり乗ってもよかったかなと思い始めた。リクシャーには初日から何度も声をかけられていたが、 自分は歩くのが嫌いではないのと、無駄な金は使いたくないのと、あまりに向こうから誘ってくるのでなんとなく「ノー」と言い続けていたところがあった。
 しかしリクシャーはインドの生活の足として欠かせない手段であるし、遅かれ早かれこれに慣れておいたほうが、いろいろ自由になるのだろうなと思った。それに正直、オートリクシャーというものにちょっと乗ってみたいという気持ちもあった。
 そこで僕は博物館に向かって歩きつつ、やがて別のオートリクシャーが走ってくるのを見つけると、手を振ってそれを停めた。
ガンジー博物館までいくら?」
 停まったリクシャーの運転手に訊ねると、50ルピーだとの答えが返ってきた。一瞬値切ろうかなという気になったが、所詮100円くらいなのでまあいいかと思い、「OK」と言ってリクシャーに乗り込んだ。
 ドアもなにもなく、両サイドが吹き抜けになっている後部座席に座ると、リクシャーは軽快な速度で走り出し、みるみる景色が流れ始めた。
 初めて乗る乗り物はなにか心を高揚させ、自分が新たな選択肢を得たという小さな開放感も感じる。それに当然のことながら歩くよりも速い。ものの5分もしないうちに博物館に到着した。

 ガンジー記念博物館はガンジーが生前に住んでいた場所をそのまま博物館にしたとかで、なかなか興味深い場所だった。
 彼の生い立ちや、イギリス留学、弁護士として働いた南アフリカ時代、その後のインド独立運動、そして死に至るまでの歴史が文章と写真で解説されており、彼がスーツをきりっと着こなしている南ア時代の写真などからは、なにか当時の時代のうごめきとでもいうものが感じられた。
 彼が実際に寝起きしていた部屋もそのままになっており、それはガランとした部屋の隅に小さなベッドがひとつあるだけの、非常に簡素なものだった。
 またガンジーが暗殺されたのも、この家の庭なのだということを知った。彼はその日、日課となっている祈りを行うために自室を出て、敷地内にある中庭を抜けていこうとした際に撃たれたのだという。
 撃ったのはヒンドゥー原理主義者の男だったらしい。ガンジーは当時78歳で、ヒンドゥー教徒イスラム教徒の調和を目指した彼の姿勢が、その男に3発の銃弾を撃ち込ませることとなった。

 

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ガンジーが暗殺された場所。記念碑が立っている)


 午後5時頃にコンノート・プレイスに戻り、今日もまたバリスタに入ってコーヒーとマフィンを注文した。
 ガンジー博物館からの帰りは徒歩で歩き通したこともあって、足がかなり疲労していたが、カフェで休憩したことで少し持ち直し、メインバザールまでもやはり歩いて帰ることにした。

 メインバザールに入ったところで、1人の男に話しかけられた。
 「なあ、助けてくれないか」
 見ると20代半ばくらいの、細身のインド人が僕の横について歩いていた。
「俺は南部の出身で、たった今ニューデリー駅に着いたんだけど、全財産が入った荷物を盗まれて無一文になっちまったんだ」
 男はこれを見てくれ、といった風に1枚の紙を差し出した。見てみると、それは列車のチケットだった。
「な? これでデリーまで来たのさ。でも金がなくなっちまった。助けると思って飯代だけでもめぐんでくれ」
 なるほど、こういう手もあるのかと思った。もちろん真相はわかりっこないが、男はたった今全財産を失ったにしてはあまりに落ち着きすぎているように見えた。それに見せられたチケットはまるで何年も持ち続けたかのようにボロボロで、日付などもまともに判別できない状態になっていた。冷静に見れば、それが昨日今日買ったものでないことは一目瞭然だった。このチケットを使ってこれまでに何度もこういったことをしてきたのかもしれない。僕はひとまず話を続けてみることにした。
「全財産か……そいつは大変だ。警察に届けたほうがいいな。警察署はどこにあるんだ?」
 そう言うと、彼はえっと言葉に詰まり、急に歯切れが悪くなった。
「ポリス? えっとそれは……いや……警察はだめさ、あいつらはまったく当てにならない。絶対助けてなんかくれないよ」
 その素直な反応を見ていると、なんだか憎めないなと思ってしまう。心の中で、もうちょっとマシな演技をすりゃいいのにと、余計なことまで考えてしまう。自分が食事に行く途中だったらおごってあげてもいいような気もしたが、あいにく自分は一旦ホテルに戻って休憩するつもりだった。
 しばらく歩きながら話し続けていたが、やがてホテルの前まで来たので、最後に「警察に連絡しなよ」と声をかけてそのまま中に入った。

 部屋に戻り、インドに着いて初めてのシャワーを浴びた。最初の宿は温水がなかったので、シャワーが使えなかったのだ。冷えた体で浴びる温水シャワーはまさに生き返るといった言葉が相応しく、これは800ルピーの価値はあったなとあらためて思った。
 ところが、シャワーを浴びてさっぱりしたのはいいものの、もうひとつのこの部屋の売りであるエアコンのスイッチが入らない。フロントに行って聞いてみると、エアコンを使うなら部屋代に200ルピー追加だと言う。
 しまった、と思った。腑に落ちなかったので部屋に戻ってガイドブックを開き、今泊まっているホテルが掲載されていないか調べてみた。ホテルは掲載されており、そこには僕の払った金額がエアコン付きの料金として書かれていた。部屋の交渉時に確認しておけば問題なかったのかもしれない。しかしそこで同意を取らなかった僕には、あとからプラス200ルピーだと言われても言い返す根拠がないのだった。
 トータルで1000ルピーは高すぎたので、エアコンはあきらめることにした。これは今後のための勉強だなと思いつつも、800ルピーも払ったのにと、どうも釈然としない。このホテルの屋上には小さなレストランがあり、夕食はそこで取ろうと思っていたのだが、なんだか悔しいので外で食べることにした。

  バザールの奥のほうに「グリーン・チリ」というバーレストランのような場所があり、散歩した際に見かけて以来なんとなく気になっていたので、今夜はそこに行ってみることにした。ものの数分で着いて中に入ると、薄暗い照明に照らされた店内はどちらかというと西洋ナイズされた雰囲気だったが、それはそれで悪くなかった。
 またその店の雰囲気を象徴するように、ここではビールを飲むことができた。
 インドは宗教的な理由から酒を置いているレストランがそれほど多くないので、僕もインドに来て以来一切酒を口にしていなかった。とはいえものすごく厳格に規制しているわけではなく、インド人の中でも飲む人は飲むし、観光客向けの店などには置いてあるところも珍しくないようだ。
 せっかくなのでビールを注文し、インドで飲む初ビールを堪能しながらバターチキンカレーとナンを注文して食べた。カレーは少し辛く、どっと汗が出たが、味はとてもおいしかった。値段はビール込みで303ルピー、600円ちょいといったところだった。
 ビールを飲んでいい気分になりながら、ウン、ここはなかなかいい店だ、とひとり納得し、デリー最後の夜だなと思ったりした。
 
 店を出ると気温がまた一段と下がっているように感じた。
 ブルブルっと寒さに震え、白い息を吐き出しながら宿に向かって歩いていくと、暗い路上のそこかしこに赤い点が灯っているのが見えた。
 それは路上生活者たちによる焚き火の炎だった。彼らはそのへんから燃えそうなゴミなどをかき集め、それをそのまま路上に放って火をつけることで暖を取っていたのだった。
 そうしてできた即席の炎のまわりには数人のインド人たちが集まり、中には熱に引き寄せられてきた牛たちと一緒になって暖まっているところもあった。
 それがいつもの光景なのか、例年になく寒いという今年のデリー特有の光景なのか、僕にはわからなかった。ただ暗い路上に点々と灯るその赤い光はなにか幻想的で、自分がどこか遠い時代に紛れ込んだような気分になった。