<Day 25 コルカタ >



               1月30日

 結局朝の10時頃まで眠り続けた。
 眠りは浅かったが、15時間くらい寝たせいか起きると身体がすっきりしていた。バラナシの最後の日々が慌ただしかった上に移動が重なったことで、昨日は疲労が高まっていたのかもしれない。腹が少し下り気味だったのが気になったが、それ以外は特に問題はなさそうだったので、外に出かけることにした。

 サダル・ストリートに出て周辺を少し散歩した。
 昨日チャイを飲んだベンチが置かれている路地に入り、さらにその先に歩いていくと、右手に「パラゴン」と看板が出された一軒の宿があった。宿の前ではひとりの男が路上に品物を並べて商売の準備をしており、建物の中をのぞくと何人かのバックパッカー風の旅行者の姿が見えた。見たところドミトリー宿のようだった。

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 昨日ドミトリーに泊まろうと考えたことを思い出し、フロントで空き部屋があるか訊いてみた。空き部屋はあるらしく、ドミトリーの値段は一泊120ルピー、240円ほどだった。雰囲気もなんとなくよさそうだったので、僕はここに移ってみることにした。

 スーパー・ゲストハウスに戻ってチェックアウトを行い、再びパラゴンに戻った。
 宿は門のようになっている入口を入ったところにフロントがあり、その先に3メートルくらいの幅の、天井のない吹き抜けの空間が奥に向かって伸びていた。建物はその空間を囲うようにして建っており、フロントから向かって左手に並んでいるのがドミトリーのようだった。トイレとシャワーは共同で、敷地の一番奥のほうにあった。
 あてがわれたのはフロント側から数えて2つ目のドミトリーで、緑を基調にした壁紙が貼られた部屋には2つのベッドが3列になって配置されていた。一部屋に6人が泊まれるようで、僕のベッドは左奥のようだった。

 宿泊客はすでに全員出かけたようで、部屋の中には誰もいなかった。ベッドの上にはいくつかの荷物が置かれたままになっており、室内に張られた洗濯ロープに服やタオルなどがかかっていた。

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 悪くなさそうだなと思った。僕はバックパックをベッドの上に置くと、貴重品などを小さなカバンなどに入れ替えて外に出た。

 サダル・ストリートのカフェで朝食を取り、それから近くにある公園に行ってみた。
 パラゴンからサダル・ストリートを西に向かって数百メートル歩くと、チョウロンギ通りという大きな通りにぶつかる。公園はそのチョウロンギ通りを渡った反対側にあった。モイダン公園という名のその公園は随分広いようだったが、公園内を大きな道路が横切ったりしていて、なんとなく散歩しづらい印象を受けた。それでも露店でチャイを買ったりしながらしばらく歩き続けていたが、やがて朝から微妙だった腹の調子がさらに怪しくなってきたので、一旦宿のほうに引き返すことにした。

 サダル・ストリートに戻ったところでまたワシムと出くわしたが、いよいよ腹が下ってきたので話を切り上げて宿に戻り、トイレに駆け込んだ。
 インドに来てから一度も腹を壊したことがなかったのだが、最後の最後になってようやくその洗礼を受けたようだった。

 その後は外に出かけては、腹の調子が悪くなって宿に戻って来るということを繰り返した。しばらく宿でじっとしていると収まってきたような気がしてまた外に出るのだが、1、2時間も歩いているとやはりまた波がやってきた。波が来ていないときは普通に動けたのでそこまでひどい状態ではなさそうだったが、落ち着いて遠くに出かけられる感じではなかったので、今日はひとまず大人しくしていようと思った。
 ちなみにインドではトイレで用を足した後に紙を使わず、手桶に汲んだ水と手を使って洗うことが一般的だったが、このインドスタイルは腹を下しているときにはとても有効だということがわかった。いわゆる何度も紙で拭いている時に生じるあのヒリヒリ感がなく、すべてがすっきりクリーンになったような、とても爽快な気持ちになるのだ。

 何度目かのトイレから戻ってきて吹き抜け空間の椅子に座っていると、様々な旅行者が宿を出入りしていく様子が見えた。日本人も目についたが、それよりも多かったのは韓国人だった。彼らは全体的に若く、学生っぽい雰囲気の者たちが多かった。そうした彼らが5、6人のグループになって笑いながら宿の外に出ていく様子などを見ていると、一人旅もいいが、ああいう旅もきっと楽しいものなのだろうなと思った。

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 そうして部屋の外や宿の外をしばし行ったり来たりした後は、部屋のベッドに横たわって少し眠った。コルカタでは何か寝ているうちに時間が過ぎていくようだった。
 
 目が覚めると外はすでに薄暗くなっていた。
 ああもう夕方なのかと開いたドアの外を見ていると、ひとりの女の子が部屋に入ってきて入口の脇にあるベッドに腰かけた。パラゴンのドミトリーは男女共同だったので、彼女もこの部屋に泊まっているのだろう。まだ20代の前半くらいに見える若い女の子で、見た瞬間に日本人だろうなと思った。向こうがこっちを見たので、軽く頷いてどうもと声をかけた。
「こんにちは」
 彼女も頷き、日本語で返してきた。
 夕食まで小休止をするために部屋に戻ってきたようだったので、お互いベッドに腰かけながら話をした。
 まだ高校生でも通用しそうな純朴そうな顔をしていたが、現在は大学生とのことで、話を訊くとなかなかスケールの大きい旅をしていた。旅に出てすでに7カ月になると言い、東ヨーロッパをまわった後にトルコに行き、そこからイラン、ネパールをまわってインドに来たらしい。これからさらに数か月かけてインドと東南アジアをまわり帰国する予定だと言う。大学には1年間の休学届を出してきたらしい。それで単独でのバックパック旅行に出てきたと言うから大したものだなあと思った。あるいはそれだけのことを決意させる何かが日本であったのかもしれないが、いずれにせよ大学生の時に1年間かけて世界を旅するなんてすごい経験に違いないと思い、彼女の年齢のときにそのような旅をしてこなかった僕はうらやましさを感じた。
 
 しばらくそうして話をしていると、ひとりの男性がドアからひょいっと顔を出した。
「そろそろ行こうか?」
 そう日本語で訊ねる彼に彼女は「あ、はい」と答え、僕を彼に紹介した。その丸い顔つきには見覚えがあった。コルカタ行きの列車のトイレで会い、バブルの時代のよさについて語っていたあの彼だった。彼も僕のことを記憶していたようだった。
「ああー、ここに泊まってたんですか。あの後コルカタの駅でタクシーを相乗りしようと思ってちょっと探したんですよ。でも見つからなかったので…」
 と彼は言った。
「これから夕食を食べに行こうと思うんですが、よかったら一緒に行きませんか?」
 そう彼は誘ってくれ、せっかくの機会なので一緒に行かせてもらうことにした。

 3人で宿を出て、すぐ近くにあった「ジョジョズ(Jojo's)」というレストランに入った。
 僕は腹の調子がいまだに微妙だったので、とりあえず野菜スープのようなものだけを頼んだ。
 それぞれの注文が終わるとお互いに自己紹介をした。バブルの彼は「モトです」と言い、女の子は「チアキです」と言った。彼らはネパールで知り合ったとのことだった。モトさんは旅に出て3カ月くらいになると言い、旅の期間は最長で4年を考えていると言った。ネパールでは日本語を教えていたりもしたらしい。彼は明日バングラデシュのダッカに向かうと言い、チアキちゃんもまた明日コルカタの南にあるプリーという町に向かうとのことだった。
 自分はどちらかというと、せっかく海外にいるのだからなるべく異国の人と交流したいという気持ちが強かったのだが、こうして同じ国の人間とたまたまある街で出会い、ある瞬間を共に過ごすというのは何かとてもいいものだなと思った。旅をしていると一期一会という言葉を本当に素直に実感する。そしてそれはまぎれもなく、旅の素晴らしいところだった。

 食事を終えて宿に戻り、僕はなんとなく外の空気に浸りたい気分だったので、部屋の外で一服することにした。チアキちゃんは部屋に戻り、モトさんもまた泊まっている別の部屋に戻っていった。
 部屋の前の椅子にはひとりの西洋人が座っていた。同じ部屋に泊まっている男で、昼間にも少し言葉を交わしていた。僕は彼の隣に座り、しばし話をした。
 あらためて自己紹介をすると、彼は名前をニコラスと言い、フランスから来たと言った。旅に出て2年になると言い、インドに来てからは3カ月ほど経つと言った。そんなに長い間どのように旅をしているのか気になって訊いてみると、各国の農場などに住み込んで働きながら旅をしているのだと言った。
「有機農業なんかに興味があってね。インターネットなんかで調べるといろいろ受け入れてくれる場所が見つかるものなんだよ」
 フランスでは司書として働いていたという彼はどこか世捨て人のような雰囲気も漂わせ、本で読んだ70年代のヒッピー旅行者を思わせた。その穏やかな語り口には何か人を安心させるものがあり、話しているうちに自分もなんとなく静かな気持ちになった。僕はインドの人の距離感や彼らのユニークな忍耐強さなど、インドに来て以来感じてきた様々なことを彼に語った。

 ふと身体に何かが当たるのに気づき、見上げると黒い空からぽつぽつと雨が落ちてきていた。インドに来て初めての雨だった。考えてみればこの1カ月近くの間、まったく雨に降られていなかった。インドを去る前日になって降り始めたその雨は、なにか旅の終わりを感じさせるものだった。
 
 雨は弱いままだったので、その後も僕らは椅子に座って話を続けた。
 しばらくすると外から帰ってきたひとりの女の子が僕らに声をかけ、椅子に座って会話に加わった。どこから来たのと訊くと、韓国だと言った。インドを44日間旅し、明日帰国すると言う。名前を訊くと、
「ムーンよ」
 と言った。それが韓国語の名前なのか英語名なのかよくわからなかったので、どういう字を書くのと訊ねると、彼女は空を指さし、
「ほら、あのムーン」
 と言った。空は曇っていたが、月のムーンなのだということはわかった。ソウルに住む25歳の医大生で、流暢な英語を話した。旅が好きで休みのたびにいろいろなところに行っているらしく、京都や神戸にも行ったことがあると言った。
 僕らは共に明日の夜の同じような時間帯に飛行機に乗ることがわかったので、空港までタクシーをシェアして行こうという話になった。
 本当にみんな、いろいろな旅をしていた。いろいろな国の旅行者が、いろいろな場所で交差し、その瞬間を、その夜を共有していた。僕は小雨に当たりながら、本当に旅が終わろうとしているのだなと改めて実感していた。

 深夜近くまで3人でそうして話し続け、それからそれぞれの部屋に戻った。