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<Day 14 列車 ~ バラナシ>



               1月19日

 朝になり、下段のシートに下りて窓の外を眺めているとコジマ君がやって来た。
 車内はかなり空いていて、ガランとしていた。僕たちはバラナシに到着するまでしばし話をした。

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 列車は1時間遅れでバラナシの駅に到着した。
 外に出るとリクシャーの運転手が声をかけてきたので、僕は彼にブッダ・ゲストハウスまで連れていってくれと頼んだ。別にその宿がよいと知っていたわけではなく、地図を見る限り位置的にガンジス河のすぐ近くで、まわりに安い宿が集まっていそうな一画にあったので、まずそこに行ってだめなら他を探せばよいと思ったのだ。
 運転手は60ルピーで行くと言った。駅からの正確な距離はわからなかったが、どの道大した値段ではないので承諾し、コジマ君と一緒にリクシャーに乗った。

 いざ出発となったとき、ひとりのインド人がリクシャーに乗り込んできた。どうも運転手の友人かなにからしい。リクシャーを途中まで相乗りしていくようなことはこれまでもあったので、今回もそういうことかなと特に気にしなかった。
 ところがリクシャーが走り出すとその運転手の友人らしき男が言った。
「もっといいゲストハウスがあるからまず最初にそこに連れていってやる」
 どうやら彼の目的は単なる相乗りではなさそうだった。別の宿を見ておいても別に損はないと思い、リクシャーの代金は変わらないということを確認した上でじゃあ頼むよと返答した。

 最初に連れて行かれたのは古いマンションのような形をした、背の高い建物だった。フロントに行くと、驚いたことに応対に出てきたのは日本人の女性だった。年は30代くらいだろうか。僕とコジマ君は部屋の値段を訊き、複数階に分かれて横並びに並んでいる部屋のうちの二部屋ばかりを見せてもらった。部屋はよくもなく悪くもなくといった感じだったが、日当たりがあまりよくないのか室内は薄暗くてじめじめしていた。ガンジス河からは少し離れているようで、窓からは目の前の通りとその向こうに建つ建物が見えるだけだった。
 あまり惹かれる感じではなかったので、僕は女性に別の宿も見てみますと告げて去ろうとした。すると女性はこの建物の屋上は眺めがいいので行ってみます? と訊いてきた。僕らは女性と一緒にホテルの屋上に上がった。
 屋上からの眺めは確かによかったが、それでもこの宿に泊まろうという気にはならなかった。僕はなんとなく興味があったので、どうしてここで働いているのですかと女性に訊いてみた。
「バラナシに通っているうちに、インド人と結婚してこういうことになったんです」
 そう彼女は言った。僕はそのような答えを予期しておらず、妙に驚いた声をあげて、ついつまらない返答をしてしまった。
「え、インド人と結婚ですか? すごいですねえ」
 なんとなく、彼女は僕の「すごいですね」という言葉をあまり好意的に受け取らなかったように見えた。続けてインドの生活はどうですか、と訊ねると彼女は「うん、まあね…」と言葉を濁した。その表情はどこか疲れているようでもあり、あまり今の自分の生活に確信を持っていないようにも見えた。あるいは彼女の選択は期待したような幸福をもたらさなかったのかもしれない、とつい余計な想像をした。
 
 その後3つか4つの宿に連れて行かれたが、どこも中心地から離れていそうな場所にあり、値段的にもそれほど素晴らしいものではなかった。僕はもういいからブッダ・ゲストハウスに連れていってくれと運転手に要求した。しかし運転手とその友人は話を聞かず、また別の場所に連れていこうとしたので、もういい自分たちで歩いていくからここで降ろせと言って料金を払った。彼らはしつこく引き留めようとしたが、無理やり制止して僕らはリクシャーを降りた。
 自分たちが今どこにいるのか正確にはわからなかったが、おそらくこっちだろうという方向に向かって歩き出すと、たった今降りたリクシャーが僕らの速度に合わせてゆっくりと背後からついてきていることに気がついた。しばらく歩いてもついてくるのをやめないので、なんとなく気味が悪くなり、別のリクシャーをつかまえ、ブッダ・ゲストハウスまで行ってくれと言って飛び乗った。
 リクシャーは数分ほど走ったところで停車し、これ以上はリクシャーでは入れないので歩いてくれと運転手に言われた。バラナシはガンジス河に近づくにつれて建物がひしめいて道が狭くなり、河の近くはほとんど車両が入れないようになっているようだった。僕らは細い路地を数十メートルほど歩き、ようやく当初の目的地であったブッダ・ゲストハウスに到着した。


 ブッダ・ゲストハウスは2階建ての小さな宿だった。
 応対に出たのは口ひげをはやした痩せた男で、若そうに見える顔と口ひげが妙にアンバランスな、なんとも年齢不詳の男だった。値段の異なる部屋が1階にひと部屋ずつ空いているというので、多少値切った上でコジマ君とコイントスを行った。コイントスはコジマ君が勝利し、彼が450ルピーの部屋、僕は550ルピーの部屋を借りることになった。
 部屋はいたって普通だった。窓がひとつあるが、路地に面しているため河を見ることはできない。この部屋で550ルピーは少し高いように思えたが、これ以上部屋を探すのは面倒だったので、今日のところはここでいいやと自分を納得させた。

f:id:ryisnow:20160118175450j:plain(ブッダ・ゲストハウスの部屋。バラナシは街の至る所に猿がいる)

 屋上に行けるというので上がってみたが、残念ながらガンジス河をはっきりと見れるような感じではなかった。河はほんの数十メートル先にあるのだが、目の前の建物によって視界がかなり遮られてしまっている。できればガンジス河が見える宿に泊まりたいと思っていた僕は、やはりこの宿に泊まるのは1日だけにしようと思った。
 屋上には受付をした年齢不詳の口ひげ男がおり、どうやら彼がこの宿のマネージャーのようだった。少し話をすると彼は自分には日本人の妻がおり、今はデリーで働いているのだと言った。このような話はこれまでも何度となく聞いていたが、ついさっき同じようにホテルの男と結婚した日本人女性に会ったばかりなだけに、まあ彼の言うこともひょっとしたら本当なのかもしれないと思うことにした。
 彼は携帯電話に入っているその日本人の奥さんの写真を見せてくれた。まだ大学生くらいに見える可愛らしい子で、正直こんな可愛い子がこのような口ひげ男と結婚するだろうかと思わずにはいられなかったが、まあそれでも人生何が起きるかわからないし、とあまり深くは考えないようにした。

 その後はコジマ君とガンジス河に行った。
 宿のすぐ横の路地からガートのようになっている階段をおりると、もうそこが河だった。ガンジス河はさすがに大きく、川幅は数百メートルはあるように見えた。「インド最大の聖地」とも言われるバラナシだけに、河べりのガートには多くの観光客やそれを相手にするインド人の姿があったが、目の前をゆったりとした大河が流れているだけに、のんびりとした開放感があった。

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 ガートに沿って歩いていると、さっそくひとりのインド人が声をかけてきた。
「どこに行くの? 案内するよ」
 彼はまだ十代半ばか後半くらいに見えた。僕は案内は必要ないと言ったが、彼はお金はいらないから案内すると言う。僕はふと思いついてこの近くに何か安く食べられるレストランはないかと訊いた。時刻はすでに正午を過ぎており、僕もコジマ君も列車を降りてからろくに食べていなかった。
 彼は了解し、僕らを河から数十メートル離れたところにある大衆食堂のような場所に連れていった。ありがとうと言って店に入り、これで彼も諦めるかと思ったら、僕らが食事をしている間も彼は店の外に立っていた。食事をして外に出ると、やはり彼は再び僕らについて歩き始めた。

 僕らは彼を連れる形で郵便局に行ったり、いくつかの宿を訪れて値段を訊いたりしながら町を歩き続けた。バラナシの町は河から離れると狭い路地がこまかく入り組んでおり、まるで迷路のようだった。
 彼の名前はアブーと言った。僕は話相手をしながら、日本語を覚えたいという彼にいくつかの単語を教えたりした。しかしいつまでも彼を引き連れて歩くわけにはいかないので、あるところでもうここまででいいよと彼に告げた。
「ジュースでも飲む? おごるよ」
 僕はそう言った。最初の約束通り案内料を払う気はなかったが、小さなお礼くらいはしたいと思ったからだ。しかし彼はジュースはいらないと言い、代わりに物を買うためのお金をくれと言った。
「お金はいらないと言ったじゃないか」
「そのお金で僕は教科書を買う。だからいいでしょ?」
 教科書という言葉に一瞬迷いが生じ、いくらほしいのと訊くと「250ルピー」だと言う。それは今日の宿代の半分近い額で、教科書を買う代金にしても高すぎるように思えた。それに彼には悪いが、彼がその金で実際に教科書を買う可能性はかなり低いだろうと思った。
 それはできないと言って去ろうとすると、彼は僕を引き留め、やや迫るようにカタコトの日本語でこう言った。
「アナタハ ナニヲ ワタシニ クレマシタカ」
 それは文脈からするとおかしな言葉だったが、彼の言わんとすることはわかった気がした。僕はこれだけあなたを案内した。それに対してあなたは僕に何をくれたか、おそらくそう言いたいのだろう。
 いいか、よく聞いてくれ、と前置きして僕は話し始めた。
「君は最初にお金はいらないと言った。でも君はレストランの場所を教えてくれたし、いろいろ自分の話も聞かせてくれた。だから君は僕の友達になった。友達に代金は払えない。でもなにかをおごってあげることはできる。もし君がそれでもお金を求めるなら、少しは払ってもいい。でも僕と君は友達ではなくなる。それでもいいか?」
 我ながら白々しいことを言っているなと思い、自分に対してわずかな嫌悪感も覚えた。そんなきれいごとを言ってなんになるのか。彼にとって一番助かるのがお金なのだ。要は自分は払いたくないがゆえに、こんな理屈を並べ立てている。もう二度と会うこともないだろうと思ってるのに友達だなんてよく言う……それにこんなことを言ったところで彼に伝わるわけがない、そう思いながらもとにかくしゃべり終えると、彼は少し考えて、言った。
「わかった。じゃあジュースを買って」
 僕は近くの売店に行き、彼が「これ」と指さしたマンゴージュースを買って彼に渡した。

 宿に戻って休憩したのち、再び外に出て夜の町を歩き回った。
 夜のバラナシは暗く、路地は増々迷路のようだった。
 僕とコジマ君は河沿いにあるシータ・ゲストハウスという4階建てのホテルの屋上レストランで夕食を食べ、また宿に戻った。