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<Day 18 バラナシ >



                1月25日

 6時15分にコジマ君が部屋のドアをノックした。
 ボートに乗って朝陽を見ることになっていた僕らは、そのまま宿を出て河に下りていった。太陽はまだ昇っていなかったが、空はうっすらと明るくなり始めていた。
 コジマ君の知り合いの女性とも落ち合い、ボートを探そうとすると、昨日一緒に朝食を食べた少年の姿が目に留まった。昨日も同じ場所にいたからここが彼の持ち場ということなのだろう。少年は僕を見つけると挨拶してきて、さらに一緒にいる女性を見て言った。
「アニョハセヨ~」
 少年が彼女のことを本当に韓国人だと思ったのか、それとも冗談で言ったのかさだかでなかったが、バラナシの街に韓国人の旅行者が多いことは確かだった。街で話したあるインド人によると、ここ数年になって急激に増えたらしく、かつては日本語の勉強をしていた者たちも、最近は韓国語の勉強にいそしんでいるらしい。アジア人旅行者と言えば日本人という、彼らの認識も変わりつつあるようだった。
 少年はボートをこいでくれると言うので値段を訊くと、1時間で75ルピーだと言う。昨日は30分で70ルピーだったので大分安い。ひょっとしてひとり75ルピーということかなと、念のため3人で75ルピーかと訊くとそうだと言う。僕らは承諾し、3人でボートに乗り込んだ。
 
 早朝の空気に包まれたガンジス河の上を、ボートはゆっくりと動いた。河の上には僕ら以外にも、朝陽を見ようとする観光客を乗せたボートがまわりに漂っていた。

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 やがて対岸の向こうの空が少しずつピンク色に染まり始め、地平線からゆっくりと太陽が昇り始めた。空には雲もなく、はっきりと太陽の形が見えた。鳥たちが水上を羽ばたき、それ以外に聴こえるのはオールをかくときに発せられるチャプッ、チャプッという音だけだった。僕らは幻想的な空気に浸りながら、カメラで写真を撮った。

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 ほどなくして対岸に上陸した。
 昨日と同じスタンドでチャイを買い、少年やそこにいたインド人のおじさんとしばらく話をした。ひょんなことからインド映画の話になり、僕がジャイプルで観た映画の話をすると、「そうか、あれを観たのか」と言っておじさんは嬉しそうに笑った。
 おじさんはジャイプルでも見たような凧を持っており、僕らにやり方を教えてくれた。上空は結構風が吹いているらしく、凧は勢いよく空を舞った。僕らは交代で凧を持ち、しばし凧揚げを楽しんだ。

 その後再びボートに乗り、シータ・ゲストハウスの前のガートで降ろしてもらった。砂地にいた時間も含めて1時間半が経過していた。1時間で75ルピーということだったので、少し多めに120ルピーを渡すと、さっきまでにこやかだった少年の態度が変わり、ひとり120ルピーだと言ってきた。
「3人で1時間75ルピーだと確認したじゃないか」
 そう言ったが、少年はゆずらず、議論は次第にヒートアップしていった。コジマ君はもう払いましょうと言ったが、女性のほうがそれはだめだと言い、結局僕らは3人で120ルピーという値段で押し切った。乗る前に3人の値段であることを確認したのは間違いなかった。少年がなぜあそこまで頑強に主張したのか、その理由はさだかでなかったが、彼について多少の好感を抱いていただけに後味の悪い結果となってしまった。

 その後はアルカ・ホテルのレストランに行って3人で朝食を食べた。
 そう言えば自己紹介をしていなかったと、女性に自分の名前を告げると、
「トーコです」
 と彼女は答えた。関西の出身だが、今は沖縄に住んでいるらしく、ホテルで働いていると言った。ぜんそく持ちらしく、それもあって空気のきれいな沖縄に移り住んだらしい。
「だったらインドの空気なんて相当きついんじゃない?」
 思わず僕は訊ねた。僕はインドに来て以来、コホコホとこまかい咳をし続けていた。バラナシはまだましなほうだが、デリーなどはスモッグで一日中街が白く煙っているようだったから、自分の咳が空気の悪さによるものなのは明らかだった。
「いや、絶対よくないんですけど、ここが好きなんでどうしても来ちゃうんです」
 そうトーコちゃんは言った。

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 僕らは12時にシータ・ゲストハウスの屋上で待ち合わせ、サールナートに行くことになった。
 宿に戻って荷造りをし、マネージャーにチェックアウトをしたいと告げた。シータはよい宿だったので、去るのは少し残念だった。マネージャーはパレス・オン・ステップスの返金交渉のときに相談に乗ってくれたし、その後も宿に戻ったおりにフロントで世間話をしたりする機会があり、紳士的で信頼できる人間であることはわかっていた。
 他の宿に移ることにした、と言っても彼は別に嫌な顔もせず、僕に宿のカードを3枚渡して、また機会があったら泊まってくれと言った。握手をして礼を言い、バックパックを背負って外に出た。

 そのままロード・ビシュヌ・ゲストハウスに行き、また庭のデッキチェアに座ってくつろいでいたマネージャーに挨拶をして2階の部屋に案内してもらった。2階には全部で8部屋あり、ガンジス河が見える部屋が400ルピーから500ルピー、見えない部屋が100ルピーから250ルピーということだった。僕はガンジス河が見える部屋を400ルピーで借りることになった。

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 部屋はまったくもって申し分がなかった。広いダブルベッドが置かれた部屋に、トイレと温水の出るシャワー、さらにプラスチックの椅子が置かれたテラスもあった。唯一残念だったのはテラスの外が金網で覆われていて、ガンジスの眺めを若干遮っていることだったが、猿の多いバラナシでは仕方がない措置かと思った。

 部屋を出てシータの屋上に戻ると、まだ誰も来ていなかった。
 チャイを頼んで飲みながら待っていると、やがてトーコちゃんが現れ、続いてコジマ君もやって来た。
 僕らはリクシャーの拾える大通りまで行き、ひとりの運転手に声をかけた。60ルピーで駅まで行くと言ったが、トーコちゃんはそれは高いと言い、ヒンドゥー語で交渉を始めた。彼女はカタコトながらヒンドゥー語がしゃべれるようだった。

 交渉がまとまり、僕らはリクシャーに乗ってバラナシの駅に行った。
 コジマ君とトーコちゃんは列車のチケットを確認したいと言うので、まずチケットオフィスに行った。2人ともこの後はカジュラホに向かうらしく、僕もついでにブッダ・ガヤまでのチケットを調べることにした。訊いてみるとブッダ・ガヤまでは毎日列車が出ているらしく、それも一日に3本もあると言う。これはチケットの心配はなさそうだと安心した。オフィスのスタッフは丁寧に列車の番号と発車する時刻を紙に書き留めて渡してくれた。
 一方カジュラホに行く列車のチケットは、明後日まですべて売り切れていた。コジマ君はそれでは日が空いてしまうので、ウェイティングリストかバスを試してみると言った。トーコちゃんはバスはきついので、とりあえず様子を見るとのことだった。そんなことを話していると、スタッフから今日はオフィスはクローズだと言われてしまった。日曜日は午後2時にオフィスを閉めてしまうらしい。

 バスステーションは駅の近くにあり、多少見つけるのに苦労したが、僕らはどうにかサールナート行きのバスに乗り込むことができた。料金は8ルピー、約16円とかなり安い。
 バスはなかなかのオンボロで、走り出すと上下にガタガタとよく揺れた。途中ひどい渋滞に巻き込まれてしばらく動かないようなことが何度かあったが、それでも1時間ほどでサールナートに到着した。

 サールナートはのんびりしたところだった。
 ブッダゆかりの地であるここにはストゥーパと呼ばれる仏教建築物や、いくつかの寺院などが集まっているらしく、バス停からはそれらが集まる一画に向かって一本の道が伸びていた。
 道の両脇にバラックが立ち並ぶ田舎道を僕らはテクテクと歩き始めた。しばらく歩いて気がつくとトーコちゃんの姿が見当たらず、振り返ると数十メートルほど遅れる形でゆっくりと歩いているのが見えた。男のスピードで遠慮なく歩いてしまったので、置き去りにしまったようだ。追いつくのを待ってゆっくり歩き始めると、すみません私歩くのが遅くて、と彼女は謝った。ぜんそく持ちだと聞いていたのに勝手に歩いてしまい、謝るのはこちらのほうだった。

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 バラックから子供たちが出てきて僕らを取り囲んだ。みんなお金をねだってくる。僕とトーコちゃんはノーと言い続けたが、コジマ君はいくらか小銭を取り出して分け与えていた。特に強固なポリシーがあったわけではなかったが、僕はこうした物乞いに対して基本的にはお金を与えないスタンスを取っていた。渡すときもないわけではなかったが、なんとなく際限がないような気もして、カバンにお菓子などが入っている場合はなるべくそうしたものを渡すようにしていた。本当はあげるもあげないも、その時の判断で決めればよいのだと思うのだが、インドではここから先は譲らないといったラインをどこかでさだめておかないと、あらゆることで自分が右に左に振り回されそうな気がしていた。さっきのリクシャーの交渉や子供たちとのやり取りを見ている限り、トーコちゃんもそれに近いスタンスを取っているように感じた。
 彼女の歩調に合わせて歩きながら、物乞いへの対応や、バラナシに沈む日本人についてなど、いろいろな意見を交換した。彼女のインドに対する物の捉え方は共感できることが多く、話をしていて面白かった。
 
 やがて前方に木々に囲まれた公園のような場所が現れた。
 100ルピーの入場料を払って中に入ると、砂地にレンガのようなものを積み上げたような石群があり、その向こうに大きなストゥーパがそびえ立っていた。
 ここがブッダが最初の説法をした場所なのか……そんな思いに浸りながら公園内を歩き回った。芝生の上にはいくつかのベンチが設置されており、インド人のカップルが座ってのんびりくつろいでいたりした。こうしてインド人の男女が普通にデートをしているような光景は、インドに来てから初めて見たような気がした。

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 公園内には僧衣をまとった観光客も多く、10人くらいの僧侶が団体でストゥーパを背後に記念撮影している姿などは、なかなか微笑ましいものがあった。彼らにとってはここがビートルズファンにとってのアビー・ロードのような場所なのかもしれないな、と思った。またオレンジの僧衣をまとった僧侶たちに加え、ダライ・ラマが着ているような紅色の僧衣をまとった者の姿も多く目についた。チベット僧なのだろう。ストゥーパの近くには、タルチョーと呼ばれるチベット仏教の五色旗も飾られていた。

 その後はムールガンダ・クティー寺院というなかなか立派な寺院に入って日本人が描いたという壁画を眺め、それから近くにある日本寺に行ってみた。
 「HORINJI」と英語で書かれた看板の示す方向に歩いていくと、そこにはまさしく日本の寺があった。境内はきれいに掃除されており、ゴミひとつ落ちていない。建物自体もまた、日本のどこにあっても違和感ないような瓦屋根の建築だった。唯一ここがインドであることを思い出させるのは、境内でボール遊びをしている子供たちの姿で、それを除けば手入れの行き届いた庭の感じといい、潔癖なまでの清潔感といい、そこはまさに日本だった。

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 寺の中では念仏が唱えられていた。
 20人くらいが正座やあぐらをかいて座っており、西洋人の観光客らしき者や、地元のインド人らしき人々の姿もあった。その発祥地でありながら仏教はインドではすっかり廃れてしまったそうだが、こうした土地だけにやはりインド人でも仏教徒はいるのだなと思った。遅れて入ってきた僕たちは、隅のほうに正座し、しばし念仏に耳を傾けた。
 西洋人の観光客たちは紙を見ながら一生懸命念仏を唱えていた。本来なら僕らこそこの場所に相応しい人間なのかもしれなかったが、彼らの熱心な表情を見ていると自分たちのほうが場違いな存在のようにも思えた。

 念仏が終わると、奥のほうから60歳くらいの僧侶が現れた。黄色い僧衣をまとい、プラスチックの小さなケースを抱えている。そしてその僧侶が姿を現した途端、外で遊んでいた子供たちがわあっと寺の中に駆け込んできた。
 僧侶は子供たちの前に立つと、太くよく通る声で語りかけた。
「ナマステ」
「……ナマステー!!」
南無妙法蓮華経
「……ナンミョーホーレンゲキョー!!!」
 僧侶の言葉を子供たちが元気に復唱する。すると僧侶はよしよしといった感じでプラスチックのケースからお菓子を取り出し、子供たちに分け与えていった。子供たちは受け取るのが待ちきれないといった感じながらも、一応はしっかりと列を作って順番に受け取っている。それはなかなか見ていていい光景だった。

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 帰りはバスではなくリクシャーでバラナシの駅まで戻ることにした。
 僕らは日本寺の前でリクシャーをつかまえ、3人合計で100ルピーで行くという条件で乗り込んだ。
 日本寺での体験がなかなか考えさせられるものだったこともあり、リクシャーの中ではトーコちゃんと宗教についての話題で盛り上がった。仏教やヒンドゥー教やイスラム教、そしてユダヤ教と、インドに存在する様々な宗教について、そして日本人の宗教観とインド人の宗教観の違いなど、話題は尽きることがなかった。

 バラナシの駅に到着すると、コジマ君がここはとりあえず自分が出しときますと言って100ルピーを運転手に渡した。運転手は「サンキュー」と言い、僕らと握手をして走り去った。
 駅から宿のある一画のゴードウリヤーという場所までは数キロの距離があるので、ここからはサイクル・リクシャーで行きましょうとトーコちゃんが言った。僕はサイクル・リクシャーに乗ったことがなかったが、彼女いわくサイクルのほうが値段が安いのだと言う。
 彼女は1台のサイクル・リクシャーをつかまえて料金の交渉を始めた。50ルピーで行くというその男を彼女は高すぎると言って拒絶した。今度も交渉はヒンドゥー語で行っていた。
 次に僕が声をかけた運転手は14ルピーで行くと言った。
 少し安すぎるように感じたので40(フォーティ)でなくて14(フォーティーン)でいいのかと確認した。初老の運転手はイエスと言い、ひとりではなく3人分の値段なのかと確認するとまた頷いた。なんとなく運転手はあまり英語がわかっていないような気がしないでもなかったが、僕らはとにかくそのリクシャーに乗りこんだ。
 3人を乗せたサイクル・リクシャーはゆっくりと走り始めた。人力のスピードのため景色がゆるやかに流れていき、視点もオート・リクシャーに比べてやや高い。また座席を覆う壁や屋根などもないので、ダイレクトに街の空気を感じながら移動できるのがよかった。
 トーコちゃんによるとバラナシの駅からゴードウリヤーまでの相場は大体20ルピーぐらいらしい。3人乗せてこいで14ルピーというのは、やはり少し安いのではないかとまた思った。

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 ゴードウリヤーに着き、運転手に14ルピーを払おうとすると、彼はヒンドゥー語で何やら言い始めた。どうやらひとりずつ金を払えと言っているらしい。3人分の料金だと確認したでしょと言っても、彼は耳を貸さず、ヒンドゥー語でまくしたて続けた。さっきまではカタコトながら英語を使っていたのだが、もはや運転手は英語で話しかけてもヒンドゥー語でしか返さないようになっていた。トーコちゃんとてヒンドゥー語はカタコトなので、何を言っているのか詳しくはわからないようだった。
 僕は20ルピー札を取り出して彼に渡してみたが、彼は満足しないらしく、僕たちひとりひとりを指さしながら「テン、テン、テン!」と3回叫んだ。
 やがて近くにいたインド人たちが何事かと僕らのまわりに集まってきた。運転手はそのうちのひとりの中年男性に何やらまくしたて、それを聞いた男性が僕らに言った。
「あなたたちは彼に全部で25ルピーを払わなくてはならない」
 提示される金額が次々と変わっていくのはさておき、もっと払えと言われていることは確かのようだった。コジマ君はアイム・ソーリーと言って運転手に追加分を払おうとしたが、僕とトーコちゃんは待てと言ってそれを制止し、さらに議論を続けた。金額が問題なのではなかった。25ルピーなど、たかが50円に過ぎない。最初に交わした約束をちゃんと守ってもらう。僕もトーコちゃんもそこにこだわっていた。それはこちらが妥協すれば際限なく金額が吊り上がっていくインドにおいて、彼らに交渉負けしないためにおのずと身につけた、ある種のルールのようなものだった。
 トーコちゃんはヒンドゥー語を混ぜながら断固とした口調で主張し続け、僕もまたほとんど同じことを英語で繰り返し続けた。コジマ君はそれをしばらく見ていたが、やがて僕らの制止を振り切って運転手の前に行くと、10ルピー札を追加で渡し、彼の肩に手を置いて、ごめんなさい、というようなジェスチャーをした。
 僕らもそれ以上主張することはできず、それで交渉は終わりとなった。
 コジマ君は先に帰るといって去っていき、僕とトーコちゃんはなんとなく沈んだ空気のまま近くのレストランで夕食を取り、それから宿に戻った。

 ロード・ビシュヌではオリバーとマネージャーが庭の椅子に座ってラムを飲んでいた。
「お、移って来たんだな」
 オリバーはそう言って笑みを浮かべ、握手をしてきた。ちょうど僕も飲みたい気分だったので、椅子に座って2人と一緒にラムを飲みながら話をした。
「明日はここでパーティをやるからな」
 唐突にマネージャーが言った。
「明日は父親が街を留守にするんだ。だから俺はタバコも吸えるし、酒も飲める」
 いやあなた今もラムを飲んでるじゃないですか、と突っ込みそうになったが、いずれにせよ彼の父親というのがこの宿の実質的なオーナーのようだった。話から想像するになかなか厳格そうなひとで、マネージャーはその父親が明日いなくなるということで、思う存分羽を伸ばそうとしているらしかった。
 しばらく話をした後、軽く酔った僕は2人におやすみと言って部屋に戻った。