<あとがき>

 

このインド旅行記は2011年の1月に、僕が34歳の時にした旅の記録です。

旅に行く前、僕は恋愛や自分の現状に悩みを抱え、精神的に弱っていました。いわばその辛い状態から逃げ出すように向かったのがインドという国でした。
そんなある種不純な動機で向かったインドでしたが、振り返って思うのは、インドという国は優しかった、ということです。インドの人たちにとって僕は外国から来た旅行者だったわけですが、彼らは根本的な部分においては僕が何者であるかを問わないように感じました。日本にいれば何歳で、どういう仕事をして、どれくらい成功して、どんな社会的ポジションにいるのか、何を所有しているのかとか、常にどこかで問われているように思います。特に年齢を重ねてくれば、そうしたことを無視することはなかなかできなくなり、やっぱり周りと同じように頑張らなくては、とか、周りが持っているものを自分も手にしなくては、と焦りを感じたりもします。

でも、旅行記の中で「バラナシはとにかく優しかった」と書いたように、僕が見たインドはそうした面で優しかった。貧しい人たちが多いから、とかいろいろ説明はできるのかもしれませんが、弱っていた僕にはとにかくこの国のそんな空気がありがたかったのだと思います。無論ひと時の旅人に過ぎない自分にとって、その時間はあくまで束の間の現実逃避のようなものですが、僕はインドの喧騒やカオスに巻き込まれ、翻弄され、あたふたジタバタし、ときにはガンジス河のほとりで静かにたたずむことで、少しずつ癒されて、少し元気になれたように思います。そして僕以外の多くの旅人がこの国に魅力を感じ、何度も訪れたりするのは、きっとどこかでそういったこの国の空気が心地よいのではないかと思うのです。

インドから帰ってすぐに日本で震災が起き、今度はその流れに飲み込まれるように月日が流れ、いつしかこの旅からも時間が経ちました。34歳だった僕は今40歳となり、今これと同じような旅をしようと思っても、できないのだと思います。でもこの1か月のインドの旅は僕にとってとても大切な思い出となり、今でも辛いときや気分が塞いだりするときは、デリーの喧騒や、バラナシの空気感や、パラゴンでの最後の夜の情景を思い出すことで、結構救われたりするのです。だからこの旅は本当に行ってよかったと思います。

昨年末にこのインドの旅以来となるバックパック旅行をしましたが、やはりそれはこの旅とは全然別の旅になりました。自分も年を重ねていくし、旅の形は変わっていくことを改めて実感したわけですが、また自分の人生のどこかで、あの優しさに触れて、何者でもない自分としてその国の空気をゆっくりと吸いこむような時間が持てたらなあと、僕は願っています。


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