<Day 20 バラナシ >



                1月25日

 6時過ぎに起床した。
 依然として重い感触は続いていたが、僕はロバートとの待ち合わせ場所に行ってみることにした。
 
 ガートに出てアルカ・ホテルのほうに向かって歩いていくと、ボートの交渉をしているロバートの姿が目に入った。近づいて朝の挨拶を交わし、僕も交渉に加わった。
 最終的に30分で60ルピーという額で交渉がまとまり、僕らはボートに乗り込んだ。まずシータ・ゲストハウスなどがある上流方面へとしばらくこいでもらい、そこからUターンする形で今度は大きな火葬場があるマニカルニカー・ガートまでこいでもらった。快晴の続いていたバラナシでは珍しく少し雲が出ていたが、早朝のガンジス河の上を漂うのはやはり気持ちがよかった。

f:id:ryisnow:20160125171918j:plain


 遊覧後はいつものように対岸に上陸し、スタンドで軽食を買って食べ、チャイを飲みながら沐浴をする人々や、水遊びをする子供たちの様子を眺めた。
 そして最初にボートを乗った場所に戻り、料金を払った。ゆっくり河をまわったこともあり、乗ってから2時間半が経過していた。全部で300ルピー、ひとり150ルピーだった。今度は料金でもめることはなかった。

 午後3時に再びアルカ・ホテルのレストランで落ち合う約束をして、僕は一旦宿に戻った。
 宿の庭にはオリバーと50代くらいに見える女性2人組がおり、椅子に座って話をしていた。女性2人もこの宿の宿泊客のようで、どうやらフランス人のようだった。それがわかったのは、オリバーが彼女たちとフランス語で会話をしていたからだ。しかもオリバーのフランス語はカタコトといった感じではなく、話すことにまったく不自由ないレベルのようだった。少し驚いてどうしてそんなにフランス語がうまいの、と訊くと、
「1年の半分くらいはパリに住んでるからね」
 と巻きタバコを吹かしながら彼は言った。彼は市販のボックスのタバコは一切吸わず、いつも葉っぱを自分で巻いて吸っていた。彼はロンドンとパリの2箇所に生活拠点があり、そのふたつを行ったり来たりしているのだという。フリーランスのフォトグラファーでロンドンとパリをまたにかけて活動しているなど、まったく粋を絵に描いたような生活だなと思った。オリバー自身はよい意味でアーティスト然としたところがなく、いまだにやんちゃ坊主のような雰囲気を漂わせていたりするので、正直こんな男が本当に写真を撮るのだろうかと感じたりしていたのだが、ひょっとしたら彼はなかなかの人物なのかもしれなかった。もっともロンドン - パリというだけでわあっとなってしまうのは日本人特有のヨーロッパ崇拝に過ぎず、彼にとってはごく自然のことなのかもしれなかったが。

f:id:ryisnow:20160125172613j:plain
 
 今日もまたベンガリー・トラ通りのインターネットショップに行ってメールをチェックすると、トーコちゃんから返信が来ていた。
 サールナートから帰った夜に高熱を出してしまい、昨日は一日寝込んでいたらしい。ようやく少し動けるようになったので3時にアルカに行きますと書いてあった。

 また宿に戻り、マネージャーに列車のチケットについて訊ねた。
 僕は結局ブッダ・ガヤに行くことはやめ、ここから直接コルカタに向かうことにした。自分もそろそろバラナシを離れる頃合いかなと思い、明日か明後日の夜行便でコルカタ行きは取れないかとマネージャーに言うと、調べておくと彼は言った。
 部屋に戻り、ベッドに寝そべった。
 この重い感覚を取り去るには、やはり移動してしまったほうがよい気がした。一箇所に留まり続けると、身体が停滞してしまう。今の自分の状態には、バラナシのこの時間のゆっくりさが悪い方向に作用するように思えた。あるいはバラナシに居続けたことがこうした感覚を呼び戻した部分もあったのかもしれない。とにかく移動の中に身を置き、否が応でも精神の流れを循環させることだ。そうすればまた活力が出てくるだろうと期待した。
 そんなことを考えていると、開けっ放しにしていた部屋の入口から数匹の犬が部屋に駆け込んできた。オロとその友達の子犬たちだった。オロというのはマネージャーが飼っている白い犬で、基本的に放し飼いなので宿の中を自由に歩き回っていた。庭で寝そべって昼寝をしているときもあれば、屋上に上がって遊んでいるときもあり、愛嬌のある彼は宿泊客のマスコットのような存在でもあった。普段はドアを閉めていることが多いので、部屋にまで入ってきたのは初めてだった。
 僕はベッドから起き上がり、オロと子犬たちの相手をした。オロも子犬たちも本当に可愛くて、一緒に遊んでいるうちに少し元気になった。

f:id:ryisnow:20160125172448j:plain


 3時近くになったので、宿を出てアルカ・ホテルに向かって歩いていった。
 少し早めに着いたので、ホテルの下の石段に座って河を見ているとトーコちゃんが現れた。彼女はまだ身体が本調子ではないようで、少し疲れたような表情を浮かべていた。
 石段に座って話しながら3時になるのを待っていると、ひとりのインド人の男が声をかけてきた。最初はいつものセールストークだったが、それを断っているうちになぜか話は僕自身のことになった。僕は日本にいる女性の話をし、彼はわりと真面目にそれを聞きながらいくつかのアドバイスをくれたりした。自分は誰かに吐き出したかったのかもしれない。トーコちゃんは横で黙って話を聞いていた。

 3時になったのでレストランに行き、ロバートと合流した。
 トーコちゃんをロバートに紹介し、しばらく3人で話をしていたが、トーコちゃんはやはり体調がすぐれないらしく、30分ほど話したところで気分があまりよくないので宿に戻ると言った。
 彼女の顔色はさっきよりも悪くなっていた。レストランの外に出て、ガートまで一緒に下りていこうとすると、石段の途中でしゃがみこんでしまった。
「少し休めば大丈夫です」
 そうは言うものの、これは大分悪そうだと思った僕は彼女を宿まで送っていくことにし、ロバートにはあとでメールをすると言って別れた。

 トーコちゃんはシヴァ・ゲストハウスに泊まっていた。
 休み休みゆっくり歩きながらどうにか宿にたどり着くと、彼女はフロントの前にあったソファーに崩れ落ち、そこから動けなくなった。これはいよいよ深刻だと思った僕は、宿のマネージャーに彼女を病院に連れていきたいと言った。
「それならヘリテージ・ホスピタルに行くといい」
 と彼は言った。そこがバラナシで一番よい病院らしい。僕はわかったと言い、すぐに戻ってくると言って自分の宿に向かった。英和辞書を取りにいこうと思ったのだ。病院に行くのであれば病状を説明したりする必要がある。医学用語など、自分の知らない単語も向こうから聞かされる可能性が考えられる。意思の疎通で間違いを犯さないために辞書は必須だった。
 走って宿に戻ってバックパックから携帯用の小さな辞書を取り出すと、またシヴァ・ゲストハウスに向かって走った。

 その途中、シータ・ゲストハウスの前を通った。僕は一瞬考え、中に入っていった。フロントにはいつもの紳士なマネージャーがいた。
「友達が体調をひどく崩して大変な状態なのだが、病院に連れていくとしたらどこが一番いいだろうか?」
 僕はそう訊ねた。シヴァ・ゲストハウスのマネージャーを信頼していないわけではなかったが、見知らぬ土地で万が一変な病院に連れていってしまったら大変なので、一応セカンド・オピニオンを訊いておきたかったのだ。そして僕はこのシータ・ゲストハウスのマネージャーをかなり信頼していた。
 マネージャーはほとんど考える間もなく言った。
「ならヘリテージ・ホスピタルに連れていきなさい。あそこが一番いい」
 どうやらヘリテージ・ホスピタルで間違いなさそうだった。僕は彼に礼を言い、再び駆け出した。

 シヴァ・ホテルに戻るとトーコちゃんは依然としてソファーに横たわったままだった。眠っているようだった。
 マネージャーにリクシャーを呼ぶように頼むと、彼はすぐに了解して電話をかけた。
 電話が終わると彼は、君の好意に感謝するといった意味のことを言い、それからこんなことを言った。
「彼女は昨日も本当にひどい状態だった。だがここに宿泊している日本人たちは何もしない。さっき君がいなくなった間にも宿泊客が外から戻ってきたが、彼らは何もしない。ただ"大丈夫ですか?"と声だけかけて部屋に戻ってしまった。どういうことなんだ? 同じ国の人間だろう? なぜ誰も助けようとしない?」
 彼は憤っていた。僕も憤っていた。数日前にこの宿の屋上で会った男や、街で見かけた「沈んだ」者たちの顔が浮かび、彼らに対して感じていた違和感が一気に怒りに変わって沸騰したようだった。しかし今はそうした感情を爆発させているときではなかった。
 トーコちゃんはほとんどまともに歩けなかったので、マネージャーは比較的路地の奥まで入ってこれるサイクル・リクシャーを呼んでくれたようだった。やがて到着したとの連絡が入ったので僕はトーコちゃんを起こして海外旅行保険の手帳だけ取ってきてもらい、ふらつく彼女と一緒に数十メートル歩き、リクシャーに乗りこんだ。

 リクシャーは渋滞に巻き込まれてなかなか進まなかった。トーコちゃんの状態はどんどん悪化していっているようで、話しかけても鈍い返事しかしなくなっていた。どうにもならないとわかっていたが、とにかく急いでくれと運転手に言い続けた。

 ようやく到着した病院の中は人で混み合っていた。シータ・ゲストハウスのマネージャーに「着いたら外国人用の受付に行け」と言われていたので、その通りにした。受付はすぐに終わり、僕らは廊下の椅子に座って待つことになった。
 やがて病院のスタッフがやって来て、意識がもうろうとしているトーコちゃんに症状を訊ねた。彼女を手伝って状態を説明すると、すぐに救急治療室に運ばれることとなった。
 廊下には診療を待っていると思われるインド人たちが溢れ、その列は階段の踊り場まではみ出していた。とにかく治療が受けられそうだということに安堵しつつも、このひとたちも皆待っているのだなと思った。シータ・ゲストハウスのマネージャーは外国人用の受付に行けと言った。なぜならそこに行けば優先的に診てもらえるからだと。
 床に横たわっている人たちをすっ飛ばして治療室に行くことに何も感じないわけではなかったが、やはり一刻も早く診てもらいたかった。この列に並んで待つなど正直考えられなかった。こういうときは、やはりどうしようもなく自分の目の前の人が大事だった。

 彼女は救急治療室のベッドに寝かされた。
 その表情は青ざめ、身体がガタガタ震えていた。一体どんな病気にかかったのだろう。自分にはまったくわからなかったが、とにかくひどい状態になっていることは明らかだった。
「私、だめかもしれません」
 唇を震わせながら、青い顔で彼女が言った。そんなわけないよと言いつつも、自分もどんな症状なのかまったくわからないので不安は消えなかった。
「目を閉じると火葬場が見えるんですよ」
 彼女は小さな声で、寒い寒いと繰り返した。
 
 しかし治療はなかなか始まらなかった。
 早くなんとかしてくれと言うと、スタッフの男が僕のところに来て保険会社に電話をしてくれと言った。保険がおりると確認できない限り治療は始められないのだと言う。何を悠長なと思ったが、とにかく彼に連れられて事務所のような場所に行き、彼女が加入していた海外旅行保険の会社に電話をした。
 やがて電話がつながり、受話器の向こうから日本語が聞こえてきた。しかしザーッという電話のノイズがひどく、相手の声も遠くて半分くらいしか聞き取れない。それでもとにかく症状を伝え、早く治療を受けられるようにしてくださいと言うと、向こうは冷静なトーンのまま、わかりました、大丈夫のはずですので少しお待ちくださいと言って電話を切った。
 すぐに治療室に戻ろうとしたが、まだ手続きが終わっていないので事務所に残るようにと言われた。そこから再度かかってきた電話の応対をし、なにかのファックスを送ってもらい、保険関連の用紙に記入をして、ようやく治療ができるということになった。
 治療室に戻るとドクターがやってきて大丈夫、もう心配するなと言った。何本かの注射が打たれたが、彼女は依然として寒い寒いと言い続けた。ドクターに本当に大丈夫なのかと訊くと、
「ちょっと悪い病気にかかっただけでよくあることだ、すぐによくなるから心配するな」
 と言い、別の患者を見るためにいなくなった。

 依然としてトーコちゃんは救急治療室に寝かされたままだった。僕はベッドの横にある椅子に座り、ドクターたちが戻ってくるのを待った。
 集中治療室には複数のベッドが並べられており、それぞれのベッドで治療が行われていた。向かいのベッドにストレッチャーで男性が運び込まれ、すぐに心臓マッサージが始まった。昔見たドラマの「ER」を思い出した。しかし目の前の光景は現実だった。しばらく蘇生が試みられていたが、やがて男性の死亡が確認された。
 ガンジス河で何体もの死体を見ていたが、病院でもまた当たり前のように死がそこにあった。椅子に座りながら、シーツをかけられて運ばれていく男性をただ眺めていた。

 トーコちゃんはこのまま入院することとなった。
 レントゲンを撮り、血液検査をし、運び込まれてから4時間ほどが経ってようやく彼女は集中治療室から出た。点滴につながれてストレッチャーに乗せられた彼女の状態は幾分落ち着いたようにも見えたが、依然として顔色は青ざめたままだった。いずれにせよ自分にできることはもうなかったので、あとはドクターの言うことを信じるしかなかった。
 彼女は2階にある個室に運ばれ、そこのベッドに寝かされた。
 看護師たちが入れ替わりにやってきたが、彼女たちのほとんどは英語が話せず、状態を訊ねても困ったようにヒンドゥー語で返してくるだけだった。
 時計を見ると夜の10時をまわっていた。
 ロード・ビシュヌは夜10時になると門を閉めてしまう。このまま帰らないと宿のマネージャーが心配すると思ったので、僕は状況を伝えに一旦戻ることにした。
 トーコちゃんにすぐに戻ってくると言うと、病室の外に出た。1階のロビーに下りると、廊下には依然として診療を待つ人々が長い列を作っていた。
 
 リクシャーをつかまえてゴードウリヤーに戻り、そこからロード・ビシュヌに向かって走っていった。
 宿の門はまだ開いていた。遅かったじゃないかと言うマネージャーにトーコちゃんの状態を説明すると、
「俺にできることがあったら何でも言え」
 と言ってくれた。
「ヘリテージ・ホスピタルはいい病院だ。だから心配するな」
 彼もまた病院に太鼓判を押してくれた。それを聞いてまた少し安心することができた。
 部屋に戻って小さなバッグに簡単な荷物を詰め、マネージャーに今日は病院に泊まるから門を閉めて構わないと言って外に出た。

 そこからシヴァ・ゲストハウスに行ってマネージャーに状況を説明し、近くにあるインターネットショップに行った。
 店はまだ開いていたので、中に入って素早くメールをチェックすると、ロバートからメールが届いていた。やはり彼もトーコちゃんの状態を心配していた。そして明日の14時50分の飛行機でデリーに行くので、正午くらいまではバラナシにいる、それまでに会えたら会おうと書いていた。今日の混乱ですっかり忘れていたが、ロバートは明日バラナシを発ってデリーに行き、そこからバンコクを経由してドイツに帰ることになっていた。僕はトーコちゃんが入院することになったことを伝え、ひょっとしたらもう会えないかもしれないが、時間が取れそうならまた連絡すると返信をして店を出た。

 再びリクシャーをつかまえて病院に戻った。
 トーコちゃんは病室でたくさんの注射を打たれ、ぐったりしていた。依然として状態は悪そうだった。
「こんなに注射を打つなんて不自然じゃないですか。もうやめてほしいんですけど……」
 彼女はそう言った。またやってきた看護師が今度は黄色い液体を点滴バッグに入れて注入し始めた。
 注入が始まるとすぐに彼女は寒い寒いと言って、ガタガタと震え始めた。看護師にこれはなんだと訊いても言葉が伝わらないので、ドクターを呼んでもらった。
 やってきたドクターに彼女が震えていることを伝え、こうした薬品は本当に必要なのかと訊ねた。彼もまた英語があまり話せなかったが、なんとか意思は伝わったようだった。ドクターは彼女の状態をチェックすると、
「ひょっとしたら何かのアレルギーかもしれない」
 と言って、点滴の薬品を取り換えた。トーコちゃんはもう注射はやめてくださいと言い、ドクターもそうしようと言った。その様子を見ているうちに、あるいは彼らは保険がおりるとわかったことで、なるべく治療代を高くしようとしているのではないかという思いが頭をよぎった。もちろん専門知識のない自分には、はっきりしたことなど何も言えなかったのだが。
 ドクターはこれが最後の一本だと言ってもう一度注射をすると、水をたくさん飲むようにと言って去っていった。
 
 ドクターが去ってしばらくすると、ようやくトーコちゃんの震えが止まった。
 彼女は僕が持ってきたクッキーを少しだけ食べ、看護師に渡された錠剤を飲んだ。
 時刻は午前2時を過ぎていた。ようやく少し落ち着いたらしい彼女は、横たわりながら話をした。
「今度インドに行ったら父親に縁を切るって言われました」
 ぜんそく持ちというだけでなく、彼女は元々身体が弱いようで、これまでも何度か病院の世話になってきているようだった。
「自分ではしっかりしてるつもりだったけど、私やっぱりどこか抜けてるんですかね……」

 やがて彼女は眠りについた。
 病院のスタッフが病室に簡単な寝床を用意してくれたので、僕もそこに横になり、部屋を消灯して少し眠った。




<Day 19 バラナシ >



               1月24日

 朝起きて、部屋のテラスから朝陽が昇るのを眺めた。
 ロード・ビシュヌ・ゲストハウスから河までは数十メートルの距離があるので、シータの屋上のようにすぐ目の前が河というわけではなかったが、自分の部屋からガンジス河と朝陽が見られるのはやはりなかなか贅沢なことだった。

f:id:ryisnow:20160124184420j:plain


 1階に下りていくと、すでに起きていたマネージャーがデッキチェアに座っていた。
「チャイを飲むか?」
 なんでも近くのレストランに電話で注文すれば届けてくれると言う。食事なども注文できるらしい。それはいいとチャイを頼むと、5分ほどしてお店のひとがチャイを持って現れた。

f:id:ryisnow:20160124184258j:plain

 椅子に座ってチャイを飲みながらマネージャーと話をした。
「バラナシにはとても有名な"ババ"がいるんだ」
 話の中でマネージャーが言った。いわゆるサイババのような特殊な力を持ったひとらしい。マネージャーいわくババはたくさんいるが、このババは特にすごいのだと言う。
「彼はひとの過去と現在と未来を見ることができる。興味があれば紹介してやってもいいぞ」
 そうマネージャーは言ったが、この手の人物にどうも胡散臭いものを感じていた自分は、あまり興味はないと言って断った。

 しばしくつろいだあと、シータ・ゲストハウスに向かった。
 昨日のリクシャーを含む一連の出来事でなんとなくコジマ君と気まずい感じになっていたので、話をしておきたかった。またサールナートからバラナシの駅までのリクシャー代金をコジマ君が立て替えていたので、その分の代金をトーコちゃんから預かっていたこともあった。
 部屋をノックしても返事がなかったので屋上に行ってみると、そこでコジマ君がチャイを飲んでいた。
 立て替えてもらっていた代金を渡し、昨日の出来事についてしばし話をした。
 コジマ君は昨日はさっさと帰ってしまってすみませんと言い、それから少し自分の身の上話をした。
 彼は日本で長く務めた会社を辞めてインドに来ていた。詳しくは語らなかったが、どうやら同僚とうまくいかなくて精神的なバランスを崩してしまったことが原因のようだった。
「インドに行くと人生観が変わるとか言うじゃないですか。深夜特急とか読んでもそんな風に書いてあるし。海外には行ったことがなかったけど、それならインドに行ってみようと思ったんです」
 彼もまたいろいろな想いを抱え、一大決心してこの旅に出てきたようだった。初めての海外旅行が宿も決めない単独でのバックパック旅行というのは、本当に一大決心だったに違いないと思った。
 僕は彼に昨晩作成した一枚の紙を渡した。それは旅先で使うことが多いと思われる英語のフレーズを、いくつかまとめて書きつけたものだった。旅行中というのは誰かと深い会話をするケースなどを抜きにすれば、何度も何度も繰り返し使うフレーズというものが発生する。そうしたものをいくつか覚えておくだけで、旅がかなり楽になることを僕は経験上学んでいた。
 旅をするにおいて大切なのは言語の知識ではなく、伝えようとする意志だという考え方がある。僕もそれに大いに賛成する。ただしインドにおいては多少の例外があるようにも感じていた。ここでは否が応でも彼らとの交渉事が発生する。そしてその交渉を楽しみ、その向こうにどれくらいの悪意と善意があるのかを見極めるのは、英語、さらに言えばヒンドゥー語の知識がなければかなり難しい。インドで会った日本人旅行者からインド人やインドの悪口を聞くたびに、そこにはひょっとしたら言葉によるロスト・イン・トランスレーション(外国語を使って意思の疎通を行う際に生じる誤解)がなかっただろうか、と感じることが少なくなかった。誤解によってその国を嫌ってしまうのは残念なことだった。
 
 コジマ君はできれば予定通り今日カジュラホに向けて発ちたいということだったので、ひとまず僕らはシータのフロントに行き、マネージャーにチケットを手配できないか訊いてみた。マネージャーはしばらく調べたのちに、今日の午後4時に出発するチケットなら取れそうだと言った。チケットが手に入るまでには少し時間がかかるということなので、僕らは礼を言ってひとまず外に出た。

 コジマ君に今朝ロード・ビシュヌのマネージャーから聞いたババの話をすると、彼は興味を覚えたらしく、会ってみたいと言った。そこで僕らは2人でロード・ビシュヌに行き、マネージャーにババに会えるかと訊いてみた。
「話をしておくから12時にまた戻ってきてくれ」
 そうマネージャーは言った。ちなみに値段はいくらくらいなのかなと訊くと、
「ババはビジネスでやっているわけではない。だからいくら渡すかは自分次第だ」
 と彼は言った。

f:id:ryisnow:20160124184756j:plain


 一旦コジマ君と別れた僕は、ベンガリー・トラ通りのインターネットショップに向かった。
 ロバートが今日バラナシに来ると言っていたので、どうなったかとメールをチェックしてみると、彼から返信が来ていた。読んでみると、なんと昨日の昼にすでに到着したという。どこに泊まっているかは書かれていなかったので、今日の夜7時にシータ・ゲストハウスの屋上で会おうと返信をした。
 続いてトーコちゃんにもメールを書き、今日コジマ君がカジュラホに発つことになったことを告げた。彼女もまた昨日の出来事をかなり気にしていたので、朝コジマ君と少し話をしたことを伝え、よかったら夜7時にシータの屋上に来ませんかと書いた。
 
 ロード・ビシュヌでコジマ君と合流すると、僕らはマネージャーに連れられてババのいるという場所に歩いていった。
 それは2階立ての小さな建物で、ベンガリー・トラ通りからさらに狭い路地に入ったところにあった。中に入ると受付のようなテーブルがあり、そこにいた男がコジマ君に紙を渡した。そこに自分の名前や生年月日などの情報を記入するようにとのことだった。
 コジマ君が用紙に記入をすると、建物の奥からババが現れた。世捨て人のような老人が現れるのだろうかと想像していたら、ババはまだ40代くらいの、身なりもきちんとした男性だった。なんだか意外に俗っぽい感じだなと思っていると、ババはいきなり流暢な日本語でコジマ君に話しかけた。それを聞いた瞬間、なんとなく嫌な予感がした。
 ババはコジマ君の手を取って手相を見ると、あなたは4人家族でしょう、と言った。そして未来を見るにはある程度御礼をいただくことになるがよいか、と訊ねた。
 いくらなのですか、と訊ねると、
「5100ルピーです」
 と彼は言った。
 ジャイプルの旅行代理店で2700ルピーと言われたときと同じように、僕はまた声を出して笑った。5100ルピーと言えば1万円以上だ。日本にいるときですら高く感じるその額は、インドの物価に慣れつつあった自分にはなおさら途方もない額に聞こえた。
 高すぎるだろうと言うと、彼はもらうお金のほとんどはアシュラム(孤児院)に寄付され、恵まれない子供たちのために使われる、だからこの5100ルピーという額は妥当であり、ディスカウントは一切ないと言った。寄付が本当であればそれは意義のあることかもしれないが、金額が固定されていることの説明にはなっていなかった。なぜ1000ルピーの寄付ではだめなのか? なぜ500ルピーではだめなのか? 僕はもうこのおやじは完全に信用できないと思ったが、見てもらうのはコジマ君なので一応彼にどうすると訊くと、彼もさすがに5100ルピーは高すぎるのでやめると言った。
 するとおやじはアルバムのようなものを取り出して僕らに見せてきた。そこにはこれまで彼に見てもらったらしい旅行者たちの写真が貼られており、彼らのメッセージなどが添えられていた。西洋人が多かったが、日本人の写真もあった。しかしコジマ君の考えは変わらず、僕らはそのまま建物の外に出た。
 建物の外ではマネージャーが待っていた。
「高すぎるよ」
 彼の顔を見た瞬間、僕は言った。いくらだったと訊かれたので5100ルピーだったと言うと、マネージャーは「本当か?」と言い、本当だと言うとそれなら仕方ないといった風に肩をすくめた。いくら渡すかは自分次第、という彼の言葉はなんだったのだろうと思ったが、もう終わったことだし特に追及はしなかった。

f:id:ryisnow:20160124184920j:plain


 僕らはマネージャーと別れ、昼食を食べるためにアルカ・ホテルのレストランに行った。
 そして今日もガンジス河を見渡せる席に着き、さて何を頼もうかなと考えた。
 そのとき、頭上から自分の名前を呼ぶ声がした。
 見上げると、ホテルの2階の部屋のテラスからロバートが手を振っていた。
「ロバート! ここに泊まってたのか!」
 驚いた僕も頭上に向けて声を上げ、手を振った。プシュカルで別れて以来の再会だった。 
 少しするとロバートもレストランに下りてきたので、3人で話をした。
「アルカがよいとメールに書いてあったから、ここに来て訊いてみたら空き部屋がひとつだけあったんだ。料金はやや高かったが部屋は悪くないよ」
 と彼は言った。ロバートとコジマ君も僕が通訳をする形で少し話をした。
「デリーはどうだった?」
 と訊くと、自分でも意外だったが結構気に入ったと言った。特にオールド・デリーが面白かったらしい。
 コジマ君の列車の時間が近づいてきていたので、僕はロバートにまたあとでここで落ち合おうと言い、一旦シータ・ゲストハウスに戻った。

 マネージャーが取ってくれたのはSL、A/Cなしの寝台シートのチケットだった。チケットの値段が300ルピー、手配料が100ルピーで、合計400ルピーとのことだった。まあ妥当な金額だろうと思えた。
 マネージャーが大通りにリクシャーを呼んでくれたので、僕は荷造りを終えたコジマ君をそこまで送っていった。僕らはリクシャーの前で握手をし、別れの挨拶をした。アーグラの駅でのドタバタから始まり、彼とはバラナシに来てから毎日のように一緒に行動をしていた。多少負担に感じる瞬間もなくはなかったが、彼と出会ったことがここでの時間を豊かにしてくれたことは確かだった。
 リクシャーに乗って去っていく彼を見送りながら、彼のこの先の旅がよいものになることを願った。

 その後宿に戻ってしばらく物思いに沈んでいたが、やがてもう一度インターネットショップに行った。
 午前中にメールをチェックした際、ロバートとは別にもう一通、日本にいる女性からメールが届いていた。それは僕がプシュカルでインドの滞在を延長した後に送ったメールに対する返信であり、それを読んで以来自分の中である想いが強まっていた。彼女は僕が今回インドに来るきっかけとなった人物でもあり、旅をしている間常に頭の中にその存在があった。僕は少し長いメールを書いて送信し、店を出た。

 メールを書くのに時間がかかったことで、ロバートとの待ち合わせ時間がすでに過ぎようとしていた。僕はベンガリー・トラ通りをアルカ・ホテルに向かって走っていった。ところがインドでは道を走っている人間というのはあまりいないようで、何事かと警察に呼び止められてしまった。
「ワット・イズ・ユア・プロブレム?」
 そう言われ、いや何も問題などないのだと答えたが、実際僕は問題を抱えていたのかもしれなかった。

 少し遅れてアルカ・ホテルに到着すると、そこにはすでにロバートがいた。
「昨晩ガンジス河のほとりで宗教的儀式のようなものを見たよ」
 そう言って彼はプジャと呼ばれる、河のほとりで毎晩行われているセレモニーについての感想を語った。僕はなんとなく彼に今の状況を打ち明けたくなり、親しい付き合いをしていた女性がいること、互いに精神的に参ってしまい別れ話をして日本を出てきたが、いまだにその関係が微妙な形で続いていることなどを話した。ロバートは真剣に耳を傾け、自分のパートナーの話などをしながら、最後にはあまり気に病むな、なるようにしかならないさと言った。

f:id:ryisnow:20160124190305j:plain


 ロバートは今晩は火葬場に行くと言うので、僕はひとりでシータ・ゲストハウスの屋上に向かった。トーコちゃんに夜の7時にとメールをしていたので、ひょっとしたら来ているかもしれないと思ったからだ。
 屋上には7時15分頃に到着した。
 彼女の姿はなかった。もう帰ってしまったのかもしれないと、レストランのスタッフの男にここ30分くらいの間に日本人の女の子を見なかったかと訊いてみたが、見ていないと言われた。
 とりあえずもうしばらく待ってみようと、チャイを頼んで椅子に腰を下ろした。
 7時半になっても彼女は現れなかった。ひょっとしたら今日はメールをチェックしていないのかもしれない……そんなことを思っていると、さっき話をしたスタッフの男がやってきて、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座った。
「残念だったな。まあ、そう気を落とさないことだ」
 イッツ・オーケー、と彼は言った。どうやら彼は僕が女性を食事に誘ったものの、つれなく振られてしまった哀れな男かなにかだと思ったようだった。いやそうじゃないんだと言おうとしたが、いやある意味そういうことでもあるのかと思い、僕はうん大丈夫さ、と返事をした。彼は30歳前後くらいの、気のよさそうな男だった。
「バラナシは聖なる場所だ」
 唐突に彼は言った。何を言い出すのかと思っていると、彼はさらに言葉を続けた。
「ここはインドの中で日本人に最も人気のある場所だ。たくさんの日本人がこの街にやって来る。そして彼らは長い間滞在する。なぜだかわかるかい?」
 そう訊ねられ、僕はどうだろうと呟き、そして言った。
「ここに長期滞在する日本人の多くは、日本で何か悲しいことや辛いことがあったひとが多い気がする。そしてここにいれば彼らはその現実と向き合わなくても済む……そういうことじゃないかな」
 話しながら、その言葉にはすでに自分自身のことが含まれているなと思った。
「私が思うにね、彼らは逃げているんだ」
 彼は言った。
「でも逃げることなんてできないんだ。なぜなら安らぎというものは外に出て見つけるものではなく、自分の中に見つけるものだからね」

 闇に包まれたガンジス河を眺めながら、彼の言葉を考えた。そしてなんとなく、この夜は自分の人生にとって何か重要な夜なのではないかと思った。
 チャイを飲み干し、勘定をして席を立つと、自分の身体がひどく疲れているのを感じた。日本にいたときに感じていた、あの重さが戻ってきていた。それはインドのカオスや移動の高揚感に身をゆだねることで、半ば忘れることに成功していた感覚だった。
 また捕まったか……そう思いながら、重い身体を引きずるようにしてシータを出た。

 帰り道にインターネットショップに立ち寄ったが、トーコちゃんからはいまだ返信が届いていなかった。何も連絡がないというのが少し気になったので、都合が合えば明日の午後3時にアルカで会いましょうとメールを書いて送信した。

 宿に戻ると庭にオリバーがいた。
 オリバーは明後日バラナシを発ってアーグラに行くことにしたと言い、その後の列車のチケットもすべてまとめて予約してきたと言った。そうか彼も去るのだなと思い、少し寂しい気持ちになった。自分もまたそろそろ具体的に列車のチケットを抑える必要があった。
 今晩はパーティをするという話だったが、僕は疲れたので部屋に戻って休むとマネージャーに言い、明日頼んでいたヨガもパスするかもしれないと言った。そしてもしドイツ人が訊ねてきたら部屋に通してくれと頼んだ。ロバートがひょっとしたら夜に遊びにくるかもしれないと言っていたからだ。
 部屋に戻り、ベッドに横になった。身体が重く、動く気力が起きなかった。
 しばらくそうして横たわっていると、誰かが部屋のドアをノックした。ドアを開けるとロバートが立っていた。しばらく話をし、明日の朝ボートを乗りにいくからどうだと誘われたが、ちょっとわからないと返事をした。彼は了解し、「まあ力を抜くことだ」と言って去っていった。
 その夜は10時前に眠りについた。





<Day 18 バラナシ >



                1月25日

 6時15分にコジマ君が部屋のドアをノックした。
 ボートに乗って朝陽を見ることになっていた僕らは、そのまま宿を出て河に下りていった。太陽はまだ昇っていなかったが、空はうっすらと明るくなり始めていた。
 コジマ君の知り合いの女性とも落ち合い、ボートを探そうとすると、昨日一緒に朝食を食べた少年の姿が目に留まった。昨日も同じ場所にいたからここが彼の持ち場ということなのだろう。少年は僕を見つけると挨拶してきて、さらに一緒にいる女性を見て言った。
「アニョハセヨ~」
 少年が彼女のことを本当に韓国人だと思ったのか、それとも冗談で言ったのかさだかでなかったが、バラナシの街に韓国人の旅行者が多いことは確かだった。街で話したあるインド人によると、ここ数年になって急激に増えたらしく、かつては日本語の勉強をしていた者たちも、最近は韓国語の勉強にいそしんでいるらしい。アジア人旅行者と言えば日本人という、彼らの認識も変わりつつあるようだった。
 少年はボートをこいでくれると言うので値段を訊くと、1時間で75ルピーだと言う。昨日は30分で70ルピーだったので大分安い。ひょっとしてひとり75ルピーということかなと、念のため3人で75ルピーかと訊くとそうだと言う。僕らは承諾し、3人でボートに乗り込んだ。
 
 早朝の空気に包まれたガンジス河の上を、ボートはゆっくりと動いた。河の上には僕ら以外にも、朝陽を見ようとする観光客を乗せたボートがまわりに漂っていた。

f:id:ryisnow:20160122180117j:plain

 やがて対岸の向こうの空が少しずつピンク色に染まり始め、地平線からゆっくりと太陽が昇り始めた。空には雲もなく、はっきりと太陽の形が見えた。鳥たちが水上を羽ばたき、それ以外に聴こえるのはオールをかくときに発せられるチャプッ、チャプッという音だけだった。僕らは幻想的な空気に浸りながら、カメラで写真を撮った。

f:id:ryisnow:20160122180203j:plain

f:id:ryisnow:20160122180738j:plain


 ほどなくして対岸に上陸した。
 昨日と同じスタンドでチャイを買い、少年やそこにいたインド人のおじさんとしばらく話をした。ひょんなことからインド映画の話になり、僕がジャイプルで観た映画の話をすると、「そうか、あれを観たのか」と言っておじさんは嬉しそうに笑った。
 おじさんはジャイプルでも見たような凧を持っており、僕らにやり方を教えてくれた。上空は結構風が吹いているらしく、凧は勢いよく空を舞った。僕らは交代で凧を持ち、しばし凧揚げを楽しんだ。

 その後再びボートに乗り、シータ・ゲストハウスの前のガートで降ろしてもらった。砂地にいた時間も含めて1時間半が経過していた。1時間で75ルピーということだったので、少し多めに120ルピーを渡すと、さっきまでにこやかだった少年の態度が変わり、ひとり120ルピーだと言ってきた。
「3人で1時間75ルピーだと確認したじゃないか」
 そう言ったが、少年はゆずらず、議論は次第にヒートアップしていった。コジマ君はもう払いましょうと言ったが、女性のほうがそれはだめだと言い、結局僕らは3人で120ルピーという値段で押し切った。乗る前に3人の値段であることを確認したのは間違いなかった。少年がなぜあそこまで頑強に主張したのか、その理由はさだかでなかったが、彼について多少の好感を抱いていただけに後味の悪い結果となってしまった。

 その後はアルカ・ホテルのレストランに行って3人で朝食を食べた。
 そう言えば自己紹介をしていなかったと、女性に自分の名前を告げると、
「トーコです」
 と彼女は答えた。関西の出身だが、今は沖縄に住んでいるらしく、ホテルで働いていると言った。ぜんそく持ちらしく、それもあって空気のきれいな沖縄に移り住んだらしい。
「だったらインドの空気なんて相当きついんじゃない?」
 思わず僕は訊ねた。僕はインドに来て以来、コホコホとこまかい咳をし続けていた。バラナシはまだましなほうだが、デリーなどはスモッグで一日中街が白く煙っているようだったから、自分の咳が空気の悪さによるものなのは明らかだった。
「いや、絶対よくないんですけど、ここが好きなんでどうしても来ちゃうんです」
 そうトーコちゃんは言った。

f:id:ryisnow:20160122180938j:plain

 僕らは12時にシータ・ゲストハウスの屋上で待ち合わせ、サールナートに行くことになった。
 宿に戻って荷造りをし、マネージャーにチェックアウトをしたいと告げた。シータはよい宿だったので、去るのは少し残念だった。マネージャーはパレス・オン・ステップスの返金交渉のときに相談に乗ってくれたし、その後も宿に戻ったおりにフロントで世間話をしたりする機会があり、紳士的で信頼できる人間であることはわかっていた。
 他の宿に移ることにした、と言っても彼は別に嫌な顔もせず、僕に宿のカードを3枚渡して、また機会があったら泊まってくれと言った。握手をして礼を言い、バックパックを背負って外に出た。

 そのままロード・ビシュヌ・ゲストハウスに行き、また庭のデッキチェアに座ってくつろいでいたマネージャーに挨拶をして2階の部屋に案内してもらった。2階には全部で8部屋あり、ガンジス河が見える部屋が400ルピーから500ルピー、見えない部屋が100ルピーから250ルピーということだった。僕はガンジス河が見える部屋を400ルピーで借りることになった。

f:id:ryisnow:20160122181028j:plain


 部屋はまったくもって申し分がなかった。広いダブルベッドが置かれた部屋に、トイレと温水の出るシャワー、さらにプラスチックの椅子が置かれたテラスもあった。唯一残念だったのはテラスの外が金網で覆われていて、ガンジスの眺めを若干遮っていることだったが、猿の多いバラナシでは仕方がない措置かと思った。

 部屋を出てシータの屋上に戻ると、まだ誰も来ていなかった。
 チャイを頼んで飲みながら待っていると、やがてトーコちゃんが現れ、続いてコジマ君もやって来た。
 僕らはリクシャーの拾える大通りまで行き、ひとりの運転手に声をかけた。60ルピーで駅まで行くと言ったが、トーコちゃんはそれは高いと言い、ヒンドゥー語で交渉を始めた。彼女はカタコトながらヒンドゥー語がしゃべれるようだった。

 交渉がまとまり、僕らはリクシャーに乗ってバラナシの駅に行った。
 コジマ君とトーコちゃんは列車のチケットを確認したいと言うので、まずチケットオフィスに行った。2人ともこの後はカジュラホに向かうらしく、僕もついでにブッダ・ガヤまでのチケットを調べることにした。訊いてみるとブッダ・ガヤまでは毎日列車が出ているらしく、それも一日に3本もあると言う。これはチケットの心配はなさそうだと安心した。オフィスのスタッフは丁寧に列車の番号と発車する時刻を紙に書き留めて渡してくれた。
 一方カジュラホに行く列車のチケットは、明後日まですべて売り切れていた。コジマ君はそれでは日が空いてしまうので、ウェイティングリストかバスを試してみると言った。トーコちゃんはバスはきついので、とりあえず様子を見るとのことだった。そんなことを話していると、スタッフから今日はオフィスはクローズだと言われてしまった。日曜日は午後2時にオフィスを閉めてしまうらしい。

 バスステーションは駅の近くにあり、多少見つけるのに苦労したが、僕らはどうにかサールナート行きのバスに乗り込むことができた。料金は8ルピー、約16円とかなり安い。
 バスはなかなかのオンボロで、走り出すと上下にガタガタとよく揺れた。途中ひどい渋滞に巻き込まれてしばらく動かないようなことが何度かあったが、それでも1時間ほどでサールナートに到着した。

 サールナートはのんびりしたところだった。
 ブッダゆかりの地であるここにはストゥーパと呼ばれる仏教建築物や、いくつかの寺院などが集まっているらしく、バス停からはそれらが集まる一画に向かって一本の道が伸びていた。
 道の両脇にバラックが立ち並ぶ田舎道を僕らはテクテクと歩き始めた。しばらく歩いて気がつくとトーコちゃんの姿が見当たらず、振り返ると数十メートルほど遅れる形でゆっくりと歩いているのが見えた。男のスピードで遠慮なく歩いてしまったので、置き去りにしまったようだ。追いつくのを待ってゆっくり歩き始めると、すみません私歩くのが遅くて、と彼女は謝った。ぜんそく持ちだと聞いていたのに勝手に歩いてしまい、謝るのはこちらのほうだった。

f:id:ryisnow:20160122181126j:plain

 バラックから子供たちが出てきて僕らを取り囲んだ。みんなお金をねだってくる。僕とトーコちゃんはノーと言い続けたが、コジマ君はいくらか小銭を取り出して分け与えていた。特に強固なポリシーがあったわけではなかったが、僕はこうした物乞いに対して基本的にはお金を与えないスタンスを取っていた。渡すときもないわけではなかったが、なんとなく際限がないような気もして、カバンにお菓子などが入っている場合はなるべくそうしたものを渡すようにしていた。本当はあげるもあげないも、その時の判断で決めればよいのだと思うのだが、インドではここから先は譲らないといったラインをどこかでさだめておかないと、あらゆることで自分が右に左に振り回されそうな気がしていた。さっきのリクシャーの交渉や子供たちとのやり取りを見ている限り、トーコちゃんもそれに近いスタンスを取っているように感じた。
 彼女の歩調に合わせて歩きながら、物乞いへの対応や、バラナシに沈む日本人についてなど、いろいろな意見を交換した。彼女のインドに対する物の捉え方は共感できることが多く、話をしていて面白かった。
 
 やがて前方に木々に囲まれた公園のような場所が現れた。
 100ルピーの入場料を払って中に入ると、砂地にレンガのようなものを積み上げたような石群があり、その向こうに大きなストゥーパがそびえ立っていた。
 ここがブッダが最初の説法をした場所なのか……そんな思いに浸りながら公園内を歩き回った。芝生の上にはいくつかのベンチが設置されており、インド人のカップルが座ってのんびりくつろいでいたりした。こうしてインド人の男女が普通にデートをしているような光景は、インドに来てから初めて見たような気がした。

f:id:ryisnow:20160122181248j:plain

 公園内には僧衣をまとった観光客も多く、10人くらいの僧侶が団体でストゥーパを背後に記念撮影している姿などは、なかなか微笑ましいものがあった。彼らにとってはここがビートルズファンにとってのアビー・ロードのような場所なのかもしれないな、と思った。またオレンジの僧衣をまとった僧侶たちに加え、ダライ・ラマが着ているような紅色の僧衣をまとった者の姿も多く目についた。チベット僧なのだろう。ストゥーパの近くには、タルチョーと呼ばれるチベット仏教の五色旗も飾られていた。

 その後はムールガンダ・クティー寺院というなかなか立派な寺院に入って日本人が描いたという壁画を眺め、それから近くにある日本寺に行ってみた。
 「HORINJI」と英語で書かれた看板の示す方向に歩いていくと、そこにはまさしく日本の寺があった。境内はきれいに掃除されており、ゴミひとつ落ちていない。建物自体もまた、日本のどこにあっても違和感ないような瓦屋根の建築だった。唯一ここがインドであることを思い出させるのは、境内でボール遊びをしている子供たちの姿で、それを除けば手入れの行き届いた庭の感じといい、潔癖なまでの清潔感といい、そこはまさに日本だった。

f:id:ryisnow:20160122181342j:plain

 寺の中では念仏が唱えられていた。
 20人くらいが正座やあぐらをかいて座っており、西洋人の観光客らしき者や、地元のインド人らしき人々の姿もあった。その発祥地でありながら仏教はインドではすっかり廃れてしまったそうだが、こうした土地だけにやはりインド人でも仏教徒はいるのだなと思った。遅れて入ってきた僕たちは、隅のほうに正座し、しばし念仏に耳を傾けた。
 西洋人の観光客たちは紙を見ながら一生懸命念仏を唱えていた。本来なら僕らこそこの場所に相応しい人間なのかもしれなかったが、彼らの熱心な表情を見ていると自分たちのほうが場違いな存在のようにも思えた。

 念仏が終わると、奥のほうから60歳くらいの僧侶が現れた。黄色い僧衣をまとい、プラスチックの小さなケースを抱えている。そしてその僧侶が姿を現した途端、外で遊んでいた子供たちがわあっと寺の中に駆け込んできた。
 僧侶は子供たちの前に立つと、太くよく通る声で語りかけた。
「ナマステ」
「……ナマステー!!」
南無妙法蓮華経
「……ナンミョーホーレンゲキョー!!!」
 僧侶の言葉を子供たちが元気に復唱する。すると僧侶はよしよしといった感じでプラスチックのケースからお菓子を取り出し、子供たちに分け与えていった。子供たちは受け取るのが待ちきれないといった感じながらも、一応はしっかりと列を作って順番に受け取っている。それはなかなか見ていていい光景だった。

f:id:ryisnow:20160122181405j:plain


 帰りはバスではなくリクシャーでバラナシの駅まで戻ることにした。
 僕らは日本寺の前でリクシャーをつかまえ、3人合計で100ルピーで行くという条件で乗り込んだ。
 日本寺での体験がなかなか考えさせられるものだったこともあり、リクシャーの中ではトーコちゃんと宗教についての話題で盛り上がった。仏教やヒンドゥー教やイスラム教、そしてユダヤ教と、インドに存在する様々な宗教について、そして日本人の宗教観とインド人の宗教観の違いなど、話題は尽きることがなかった。

 バラナシの駅に到着すると、コジマ君がここはとりあえず自分が出しときますと言って100ルピーを運転手に渡した。運転手は「サンキュー」と言い、僕らと握手をして走り去った。
 駅から宿のある一画のゴードウリヤーという場所までは数キロの距離があるので、ここからはサイクル・リクシャーで行きましょうとトーコちゃんが言った。僕はサイクル・リクシャーに乗ったことがなかったが、彼女いわくサイクルのほうが値段が安いのだと言う。
 彼女は1台のサイクル・リクシャーをつかまえて料金の交渉を始めた。50ルピーで行くというその男を彼女は高すぎると言って拒絶した。今度も交渉はヒンドゥー語で行っていた。
 次に僕が声をかけた運転手は14ルピーで行くと言った。
 少し安すぎるように感じたので40(フォーティ)でなくて14(フォーティーン)でいいのかと確認した。初老の運転手はイエスと言い、ひとりではなく3人分の値段なのかと確認するとまた頷いた。なんとなく運転手はあまり英語がわかっていないような気がしないでもなかったが、僕らはとにかくそのリクシャーに乗りこんだ。
 3人を乗せたサイクル・リクシャーはゆっくりと走り始めた。人力のスピードのため景色がゆるやかに流れていき、視点もオート・リクシャーに比べてやや高い。また座席を覆う壁や屋根などもないので、ダイレクトに街の空気を感じながら移動できるのがよかった。
 トーコちゃんによるとバラナシの駅からゴードウリヤーまでの相場は大体20ルピーぐらいらしい。3人乗せてこいで14ルピーというのは、やはり少し安いのではないかとまた思った。

f:id:ryisnow:20160122181443j:plain

 ゴードウリヤーに着き、運転手に14ルピーを払おうとすると、彼はヒンドゥー語で何やら言い始めた。どうやらひとりずつ金を払えと言っているらしい。3人分の料金だと確認したでしょと言っても、彼は耳を貸さず、ヒンドゥー語でまくしたて続けた。さっきまではカタコトながら英語を使っていたのだが、もはや運転手は英語で話しかけてもヒンドゥー語でしか返さないようになっていた。トーコちゃんとてヒンドゥー語はカタコトなので、何を言っているのか詳しくはわからないようだった。
 僕は20ルピー札を取り出して彼に渡してみたが、彼は満足しないらしく、僕たちひとりひとりを指さしながら「テン、テン、テン!」と3回叫んだ。
 やがて近くにいたインド人たちが何事かと僕らのまわりに集まってきた。運転手はそのうちのひとりの中年男性に何やらまくしたて、それを聞いた男性が僕らに言った。
「あなたたちは彼に全部で25ルピーを払わなくてはならない」
 提示される金額が次々と変わっていくのはさておき、もっと払えと言われていることは確かのようだった。コジマ君はアイム・ソーリーと言って運転手に追加分を払おうとしたが、僕とトーコちゃんは待てと言ってそれを制止し、さらに議論を続けた。金額が問題なのではなかった。25ルピーなど、たかが50円に過ぎない。最初に交わした約束をちゃんと守ってもらう。僕もトーコちゃんもそこにこだわっていた。それはこちらが妥協すれば際限なく金額が吊り上がっていくインドにおいて、彼らに交渉負けしないためにおのずと身につけた、ある種のルールのようなものだった。
 トーコちゃんはヒンドゥー語を混ぜながら断固とした口調で主張し続け、僕もまたほとんど同じことを英語で繰り返し続けた。コジマ君はそれをしばらく見ていたが、やがて僕らの制止を振り切って運転手の前に行くと、10ルピー札を追加で渡し、彼の肩に手を置いて、ごめんなさい、というようなジェスチャーをした。
 僕らもそれ以上主張することはできず、それで交渉は終わりとなった。
 コジマ君は先に帰るといって去っていき、僕とトーコちゃんはなんとなく沈んだ空気のまま近くのレストランで夕食を取り、それから宿に戻った。

 ロード・ビシュヌではオリバーとマネージャーが庭の椅子に座ってラムを飲んでいた。
「お、移って来たんだな」
 オリバーはそう言って笑みを浮かべ、握手をしてきた。ちょうど僕も飲みたい気分だったので、椅子に座って2人と一緒にラムを飲みながら話をした。
「明日はここでパーティをやるからな」
 唐突にマネージャーが言った。
「明日は父親が街を留守にするんだ。だから俺はタバコも吸えるし、酒も飲める」
 いやあなた今もラムを飲んでるじゃないですか、と突っ込みそうになったが、いずれにせよ彼の父親というのがこの宿の実質的なオーナーのようだった。話から想像するになかなか厳格そうなひとで、マネージャーはその父親が明日いなくなるということで、思う存分羽を伸ばそうとしているらしかった。
 しばらく話をした後、軽く酔った僕は2人におやすみと言って部屋に戻った。





<Day 17 バラナシ >



                1月22日

 朝7時に起きて屋上に行くと、ガンジス河の向こうからすでに朝陽が昇っていた。
 河の上には何隻かのボートが浮かび、陽の光に照らされながらゆっくりと水上にその軌跡を描いている。ホテルやガートがあるこちらの岸とは対照的に、対岸には建造物がなく、白い砂地が一面に広がっていた。対岸は不浄の地、とされていることがその理由なのだという。

f:id:ryisnow:20160121212318j:plain

 屋上には僕以外に西洋人の女性がひとりいた。このホテルに泊まっているらしく、これまでも何度か姿を見かけていた。女性は屋上の柵の前の椅子にあぐらをかいて座り、朝陽に向かって瞑想をしていた。
 彼女とは階段の踊り場で顔を合わせた際に軽く話をしたことがあった。自らのスピリチュアリティをアピールするような、やや神経質な感じの女性で、その時はあなたのような俗っぽい人間に興味はないとばかりに邪険な対応をされた。そのときの経験が思い出されたので、僕は話しかけることはせず、その後ろでタバコを吸いながら朝陽を眺めた。
 あなたにとっての清浄さとは何だい? あなたにとっての毒とは何だい?
 タバコの煙を吐き出しながら、僕は心の中で女性の背中に問いかけていた。ヨガを真剣にやっているという彼女だったが、彼女の心がそれによって平安を確立しているようには思えなかった。
 そんなことを考えながらも、せっかくバラナシにいるのだからヨガを習ってみるのもいいかもなと思った。

 すっかり明るくなった頃に、河に下りていった。
 沐浴をする人々を眺めながら、さて今日はどうしようかと思っていると、河岸にいたひとりの中年男性が声をかけてきた。
「ミスター、ボートに乗らないか?」
 バラナシではお金を払ってボートに乗せてもらい、ガンジス河をしばし遊覧するという行為が人気で、朝から晩まで河の上には観光客を乗せたボートが漂っていた。自分も一度は乗ってみたいと思っていたので、値段を訊いてみると30分で70ルピーだと言う。やや割高のような気もしたが乗ってみることにした。
 男は河岸につないであるボートに僕を案内し、そこにいたひとりの少年に何事か話しかけた。どうやら少年は彼の息子のようで、彼がボートをこいでくれるらしい。ボートの後ろの部分に腰かけると、少年は長い竹の棒で作られたオールを使ってゆっくりとボートを動かし始めた。

f:id:ryisnow:20160121212602j:plain

 河の上からは岸辺に並ぶガートが見渡せ、岸の上から見るのとはまた違い、新鮮な感じがした。沐浴をする人々、洗濯をする人々、石段でクリケットをする人々、ガートには朝から様々な営みに従事する人々の姿があった。
 自分でもボートをこいでみたくなり、少年にこがせてくれるかいと訊くと、オールを渡して席を代わってくれた。最初は戸惑ったが、次第に慣れて自由に動かせるようになった。広いガンジス河を自分でボートをこぎながら移動していくのは、なんとも気持ちがよいものだった。
 しばらくガートの景色を楽しんだ後は、対岸に向かってこぎ、そこにボートをつけて上陸した。不浄の地とは言われているが、上陸することは構わないようで、白い砂地の上には同じようにボートで渡ってきた観光客や、それを相手に商売をする者、それにこちらでも沐浴をする人々の姿があった。
 白い馬を連れた小さな男の子が、馬に乗らないかと声をかけてきた。詳細はよくわからなかったがラクダにも乗ったし馬に乗るのもよいかなと思い、値段を訊いてみた。
「200ルピーだよ」
 男の子がそう言うので、それは高すぎる、50ルピーだったらいいよと言うと、彼はあっさりとオーケーと言い、僕を馬の上に乗せた。そして馬を引いて白い砂地の上を歩き回った。目的地のようなものがあるわけでもなく、辺りは見渡す限り白い砂なので、風景が特に変わるわけでもない。砂地を5分くらいかけてぐるっとまわって、それでおしまいだった。これは50ルピーでも高かったなと思ったが、僕は男の子にありがとうと言って馬を降りた。

f:id:ryisnow:20160121212931j:plain

f:id:ryisnow:20160121213002j:plain

 砂地にはチャイと軽食を売る簡易スタンドもあったので、僕はそこでチャイと揚げ物のようなおやつを買い、ボートをこいでくれた少年と一緒に立ち食いをした。
 その後は少年にボートをこいでもらい、シータ・ゲストハウスの前のガートで降ろしてもらった。腕時計を見ると乗ってから37分が経過していた。少年は120ルピーくれと言ったが、30分で70ルピーなのでそれは多いはずだと言い、100ルピーを渡した。少年は納得してボートをこいで帰っていった。

 降りたガートには他にもいくつかのボートがつながれており、そのうちのひとつに若い日本人の女の子とインド人の少年が腰かけて話をしていた。声をかけられたので僕もその仲間に加わり、しばらく話をした。
 女の子と少年は顔見知りのようで、これからここで朝食を食べるから一緒にどうかと言われた。やがて少年の友人らしき子供が2人来て、カレーとチャパティと軽食のようなものを届けてくれた。僕はありがたくいただくことにし、ボートの上に座りながら彼らと一緒に朝食を取った。
 女の子は2ヶ月前からインドに滞在していると言った。その雰囲気から長期滞在者だろうなと思っていたが、彼女もまたバラナシに「沈んだ」ひとりということなのかもしれなかった。オム・レストハウスというシータのすぐ近くにある宿に泊まっているとのことで、僕がシヴァ・ゲストハウスの屋上で会った男性のことも知っていると言った。
 彼女はもう少しインドに滞在した後にバングラデシュのダッカに行き、そこから日本に帰るとのことだった。しばらく話をしたあとで「またどこかで」とお互いに言って別れた。

 その後河から離れて路地を散歩していると、前方からコジマ君がひとりの日本人女性と一緒に歩いてきた。バラナシには日本人がたくさんいると聞いていたが、確かにこれまでの土地と比べ、街で見かける日本人比率は飛び抜けていた。コジマ君とその女性は数日前にデリーで知り合ったらしく、お互いにバラナシに来ていることがわかったので今日待ち合わせをしたのだと言う。
 女性はインドで購入したと思われるサイケデリックな模様のダボダボのズボンを履き、上半身には毛糸で編まれた上掛けのようなものを羽織っていた。年齢は自分より少し下だろうか。彼女もまたインド滞在が長そうな雰囲気だったが、シヴァ・ゲストハウスの男性や先ほどボートで会った女の子と比べると、その表情には屈折感がなかった。
 どうやってコジマ君と知り合ったの、と訊くと、
ニューデリー駅の2階のチケットカウンターで、切羽詰まった顔をしたコジマさんに列車のチケットの買い方を訊ねられたんです」
 そう言って彼女は笑い、コジマ君もそうなんですと照れくさそうに言った。彼女はやはりインドに何度か長期滞在した経験があるらしく、今回も3月の末までいる予定だと言う。

 しばし話をしたあと、彼女は少し見に行きたい場所があると言って去っていった。それを見送ると、コジマ君が言った。
「実は彼女、ちょっとしたトラブルに遭っていて……」
 なんでも昨日こんなことがあったらしい。彼女がマーケットの店で買い物をしていると、突如停電が発生し、店内が真っ暗になったのだという。とはいえ停電はバラナシではよくあることで、一日に数回は電気の供給が途切れることがあり、宿によっては発電機を用意しているところも少なくなかった。ただ彼女のいた店の主人が悪質な男、というより助平な男で、店内が暗くなるなり彼女の手を握り、「私がついているから大丈夫だ。灯りがつくまでここにいなさい」と言って離そうとしなかったのだと言う。悪いことにその店は外の通りからは見えない密室のようになっており、結局彼女は2時間近くもその店に拘束された挙句、最後には買った品物も置いてどうにか逃げ出してきたのだという。
「それでその品物を取りに行きたいから、一緒についてきてくれないかって頼まれてるんです」
 とコジマ君は言い、12時にガートのひとつで待ち合わせをしているので、よかったら一緒に行きましょうと言った。

f:id:ryisnow:20160121213158j:plain

f:id:ryisnow:20160121213338j:plain


 再びひとりになった僕は、街中に出ていた標識を見て気になっていたヨガ・センターという場所に行ってみることにした。ヨガをやろうと思ってもどこに行ったらよいかわからなかったので、とりあえず名前からしてここに行けば何か教えてもらえるのではないかと思ったのだ。
 しかしヨガ・センターには誰もいなかった。センターというわりには小さな建物で、中を覗くとヨガをやりそうなスペースはあるのだが、誰もいないので確かめようもない。仕方ないのでまた出直すことにし、しばしぶらついた後にコジマ君に言われた待ち合わせ場所まで歩いていった。

 ガートにはすでにコジマ君がおり、ひとりのインド人の少年になにやら話しかけられていた。少年はドラッグの売人かなにかのようで、マリファナやハシシをやらないかとしきりに誘い、それをコジマ君がはねつけていた。
 待ち合わせ場所には来たものの、僕は正直どうしたものかと迷っていた。あの女性はコジマ君を頼って頼んできたわけだし、なんとなくそこに会ったばかりの自分がついていくのは無粋なのではないかという気がしたからだ。そのようなことを遠回しにコジマ君に伝えると、
「いや、彼女既婚者なので……」
 と答えになっているような、なっていないような返答をした。 
 やがて彼女が姿を現した。僕はやはりなんとなく遠慮して、自分はしばらくここにいるから何かあったら呼んでと言い、店に向かって歩いて行く2人を見送った。
 
 僕はガートに座り、買ったばかりの新聞などを読みながら、話しかけてきた売人の少年の相手をした。少年はまだ15歳かそこらに見え、その商売内容はさておき話してみると素直そうな性格をしていた。彼はガートの横に建てられたテントに住んでいるらしく、話しているうちにそのテントに来ないかと言ってきたので行ってみることにした。
 テント、といってもそれは6畳ほどの広さはあろうかというもので、天井も高く、2人で入ってもまったく窮屈な感じはなかった。中には毛布を敷いた簡単な寝床があるだけでガランとしていた。
「ビールを飲むのは合法だよ。マリファナも大丈夫。警察に見つかっても問題ない。僕はコネクションがあるからね。でもハシシは完全に違法だ。僕でも警察に見つかったら捕まっちゃう」
 そう言って彼はインドあるいはバラナシにおけるドラッグ事情を説明してくれた。なかなか面白い話だったので僕もいろいろと質問をしながら彼の話に耳を傾けた。やがて彼は大麻樹脂のようなものを見せてやらない?と訊いてきた。いや結構だと言うと、彼はじゃあ外に出ようかと言ってテントの外に僕をうながした。

 僕らは再びガートの石段に座り話をした。
 このガートにもまた小さな火葬場があり、話をする僕らの目の前で何体かの身体が焼かれていた。
 僕が手に持っていた英字新聞を見て彼は言った。
「僕は新聞を読むのが好きなんだ。新聞を読むといろいろなことを学べるから。でも英語は読めないから、僕が読むのはヒンドゥー語の新聞だけだけど」
 学校には行っていないだろう彼にとって、外の知識を得るための数少ない情報源が新聞なのかもしれなかった。普通に学校に行けるような暮らしをしていれば、彼もいろんなことを嬉々として学んだのかもしれないなと思った。
 そんな風に思いを巡らせていると、ふいに彼が言った。
「あ、顧客が来た」
 そう言って彼は立ち上がり、向こうから歩いてきた旅行者らしき男のほうに走っていった。彼がマイ・カスタマー、と呼んだ男は20代後半くらいの日本人だった。その覇気のなさそうな表情から「沈んだ」人間であることはすぐにわかった。少年はしばらくセールストークを繰り返していたが、やがてダメだった、と言って戻ってきた。
 その後も何度か少年は「顧客だ」と言って旅行者に声をかけに行ったが、そのすべてが日本人だった。顧客と呼ぶからには、彼らが日常的に買っているのだろう。やはりバラナシには「沈んだ」日本人がたくさんいるようだった。
 やがて少年はこれから服を買いにいくと言って去っていき、コジマ君たちも戻ってこなさそうだったので僕もその場を離れた。

 少し離れた場所にあった公園に行き、インド人たちがクリケットをする様子を眺め、大通りの店で小さなカバンを買い、続いてカメラのSDカードを買った。インドに来て以来写真を撮り続けたせいで、カードのメモリーが一杯になってしまっていた。いらない写真を削除したりしてしばらくやりくりをしていたが、まだまだ日数もあるので買ってしまおうと思ったのだ。

f:id:ryisnow:20160121213822j:plain

f:id:ryisnow:20160121213849j:plain


 夜はまたマニカルニカーガートの火葬場に行った。
 インドではすべてがむき出しのように見えた。観光客相手の商売が行われるその横で、人の身体が焼かれて天に昇っていく。そしてここにいると段々そのことが自然に感じてくるのだった。何が普通で何が普通じゃないかなど、所詮その国の事情に過ぎないのだということを改めて思った。

 夕食は今日もベンガリー・トラ通りで食べることにした。
 昨晩入ったスパイシー・バイツを通り過ぎ、さらに宿の方へと歩いていくと、一軒の活気あるレストランが目についた。中は客で混み合っていたが、店員に食べられるかと訊くと一箇所だけ空いていたテーブルに案内してくれた。店員の態度はインド人にしては珍しく弾むような陽気さがあり、まるで「お客様一名ご来店!」とでも言うように厨房に向けて元気な声を発していた。
 席について注文をし、料理を待ちながら日記を書いていると、やがて後から入ってきた客が同じテーブルの向かいの椅子に腰かけた。見ると自分とさほど年齢は変わらなそうな白人の男だった。合席となったので互いに軽く挨拶をし、やがて運ばれてきた料理を食べながら話をした。
 彼はイギリス人だった。ロンドンから来たと言い、名前をオリバーと言った。ロンドン人らしく彼の英語は綺麗なブリティッシュ・イングリッシュで、久しぶりに聞くそれは何か新鮮な感じがした。職業はフリーランスのフォトグラファーで、今回は純粋に旅行だが写真はたくさん撮っているので、それを何かのプロジェクトにつなげられればいいと思っていると言った。ロンドンからデリーに着いて、そこからバラナシに来たらしい。
「ここから西に行こうと思ってるんだけど、何かいい場所とかお勧めのホテルなんかはあるかな?」
 そう訊かれたので、僕はプシュカルやジャイサルメールがよかったと言い、自分がこれまで見てきた宿の名前などを彼に教えた。これは後日知ったことだが、結果的に彼は僕が通ってきたルートをほぼ逆向きにたどることとなり、ツーリスツ・レストハウスやレヌーカなど、僕が勧めた宿に泊まりながら旅をすることとなった。
 隣のテーブルにはギターを抱えたドイツ人の男がおり、僕らはやがてその男を介在に隣のテーブルの客とも話し始め、レストラン内は話声と歌声に溢れた陽気な空間へと変わった。 

 食事が終わり、オリバーと一緒に店の外に出た。
「君はどこに泊まっているんだい?」
 そう僕が訊くと、すぐ近くにあるゲストハウスだと言う。
「とてもいい宿だよ。値段も悪くないし、マネージャーが親切でいい男なんだ」
 なんとなく興味を覚えたので、見てみたいなと言うと、もちろんと言って宿まで連れていってくれた。

f:id:ryisnow:20160121214148j:plain


 オリバーの泊まっていたのはロード・ビシュヌ・ゲストハウスという、小さな宿だった。ベンガリー・トラとガンジス河の中間あたりに位置しており、どちらからも目につきにくい場所に隠れるように立っていた。
 小さな門のようなものをくぐると、目の前に2階建ての建物があり、横並びに5つの部屋が並んでいた。1階の部屋の前は小さな庭のようになっており、そこに椅子やテーブルが無造作に置かれていた。そうしたテーブルのひとつがフロント代わりにもなっているらしく、オリバーはその横のデッキチェアに座っていた男を僕に紹介した。彼がここのマネージャーとのことだった。
 マネージャーは40前後くらいの、陽気な男だった。オリバーと一緒に椅子に腰かけ、外の空気に浸りながら3人で話をしていると、ふと自分もこの宿に泊まろうかなという気になってきた。興味本位で見に来ただけだったが、この宿の力の抜けた感じがなにか心地よかったのだ。それはマネージャーの人柄にも表れていて、ちょっといい加減そうだがオリバーの言うように親切そうな男のように思えた。また話の流れで自分がヨガに興味があることを口にすると、それならこの宿の屋上で習うことができると言う。オリバーいわく2階の部屋であれば窓からガンジス河も見えるらしい。
 僕は2階の部屋に空きがあることを確認し、いよいよこの宿に移る気になった。明日の12時にまた戻ってくるとマネージャーに約束すると、僕はオリバーに礼を言ってその場を離れた。

 シータ・ゲストハウスに戻り、3階にあるコジマ君の部屋に行ってみた。
 彼は部屋におり、品物も無事に取り返すことができたと言った。彼が店に入っていった瞬間、男はオーケーオーケーと言って品物を差し出してきたらしい。
 僕は明日別のゲストハウスに移るつもりだと言い、コジマ君は明後日バラナシを発ってカジュラホに向かうつもりだと言った。写真が趣味の彼は、その後は石窟で有名なアジャンターやエローラなどをまわるつもりのようだった。
「明日の朝ボートに乗って朝陽を見て、それからサールナートに行こうという話をあの子としているんですが、一緒にどうですか?」
 そう彼に誘われた。サールナートというのはバラナシから北に少し行ったところにある土地で、ブッダが最初に説法を行ったことで知られている聖地だった。それほど距離はないので日帰りで行けるという。サールナートもまたちょっと気になっていた場所だったので、一緒に行動させてもらうことにした。

 部屋に戻り、そうかコジマ君は明後日ここを発つのかと思った。
 当初の予定ではここからブッダ・ガヤに行くつもりだった。ガイドブックを読むと水曜日と木曜日はブッダ・ガヤに行く列車がないと書いてあり、今日は土曜日なので、そうすると次の火曜日までに列車に乗ることが現実的だった。その場合バラナシの滞在はサールナートに行く明日を含めてあと3日ということになる。
 もう少しここにいたいような気もした。面白そうな宿も見つけたし、あるいはブッダ・ガヤに行くのはやめて、バラナシの滞在を延ばしてもよいかもしれないなと思った。
 バラナシはのんびりしていて、確かに長期滞在によさそうな場所だった。少年の「顧客」のような深さでこの街に沈みこみたいとは思わなかったが、僕もまたこの土地のゆったりとした時の流れにからめとられつつあるようだった。





<Day 16 バラナシ >



                1月21日

 当初の予定であれば今日、日本に帰国していたはずだった。
 8時半に起床して屋上に上がり、椅子に座って過去2日分の日記を書き、コジマ君の宿をキャンセルするための戦略を考えた。
 妥協しない姿勢を見せることは大事だが、ケンカ腰でいっていたずらに議論を白熱させるのは逆効果だろう。やはり熱くならず、友好的に話を進めるべきだろうと思った。

 11時半にパレス・オン・ステップスに行くと、コジマ君はまだ部屋で寝ていた。チェックアウトは12時までだったので、彼は寝ぼけ眼のまま荷造りをし、それが終わると僕らはフロントに向かった。
「聞いていると思うけど、彼はこの宿の宿泊をキャンセルしたいんだ」
 そうフロントにいた男に告げると、男はキャンセルする場合は48時間前までに伝える必要があり、そうしない場合はキャンセル料が発生すると言った。そして彼に返却できるのは一泊分の料金750ルピーだけだと言った。
「ここはホテルだ。たくさんの人が我々のホテルを予約したがっている。だから自分の好きなときにキャンセルするなんてことはできない。どこのホテルだって同じようにキャンセル料を取る」
「そんな話は聞いたことがない。以前にホテルをキャンセルしたことがあったけど、キャンセル料など取られなかった」
「どこのホテルだ?」
ジャイプルのパール・パレスだ」
 これはブラフだった。僕はパール・パレスに泊まったことはなかったが、あの宿のスタッフならキャンセル料など要求しないだろうという確信に近い思いがあった。バラナシの宿の名を出すのを避けたのは、彼らがどのようなネットワークによってつながっているかさだかでなかったからだ。もっともリクシャーの料金を不当に要求しようとしたあのサンカタ・ゲストハウスでさえ、僕のドタキャン要求に対してはすんなりと返金を行ってくれていた。
 男は僕の返答を聞いてしばし黙り、やがて言った。
「わかった。私のボスが3時にここに来るから、そのときに2日分の料金を返却できるか頼んでみる。だから3時にまた来てくれ」
 そう言うと彼は、君もこの宿に泊まらないかと僕を説得し始めた。いい部屋があると言って、僕を2階にある部屋に連れて行った。そこもまたガンジス河を一望できる眺めのよい部屋だった。
「君はよい人間だ。だからこの部屋を350ルピーにしてあげよう。よい人間に対しては、お金など関係ないんだ」
 なぜ僕が彼にとって「ナイス・ピープル」なのか不明だったが、一気に値段が半分以下になった。彼の言葉はいかにも調子がよく、もちろん泊まる気になどなれなかった。
「……だから君の友人にすべて問題はないと伝えてくれ」
 そう彼はつけ加えた。あるいはこれはコジマ君を750ルピーの部屋に引き留めるためのディスカウントなのかもしれなかった。
「彼はこの宿のスタッフに不快な対応をされたと言っていたよ」
「それは違う。彼は英語がわからないので我々の言うことに過敏になっているだけだ。彼は昨晩とても混乱していて、我々の話をまともに聞こうとしなかった。君が泊まっていれば彼も安心するだろう」
 ひょっとしたら彼の言うことにもいくらか真実が含まれていたかもしれない。昨夜コジマ君と話したとき、彼はもう少しで逆上してスタッフを殴るところだったと言い、さすがにそれは過剰反応だろうと僕も感じたからだ。相手の言っていることが理解できないとその不安から相手を疑い、過剰に敵視してしまうというのはあり得ることだった。しかしだからといって彼らの対応は肯定できるものではなかった。僕はとにかく自分には部屋があるから結構だと言い、コジマ君と一緒に宿を出た。

 とにかく3時まで待たなくてはならなくなった。
 僕らはシータ・ゲストハウスに行き、フロントにいたマネージャーに空き部屋はあるかと訊いた。コジマ君はこの後の宿を探す必要があったからだ。
 マネージャーは40代から50代くらいの、紳士的な雰囲気を持つ誠実そうな男だった。彼は空き部屋はあると言い、部屋に案内しようとしたので、少し待ってくれないかと言ってコジマ君が抱えている問題について説明をした。
「キャンセル料を要求するなんてのはまったくもって普通のやり方じゃない。通常は泊まった日の料金だけ払えば問題ない」
 そうマネージャーは言った。
「もし彼らが返金を拒絶したら私に言いなさい。ツーリスト・オーガナイゼーションに報告し、インターネットにも書き込みをしてやる」
 インターネットに書き込み、というのがなんとなく可愛らしかったが、僕はマネージャーの親切に感謝し、バラナシでホテルを経営する者のお墨付きをもらったことで、3時からの交渉に対して自信を持つことができた。
 マネージャーは問題が片付くまで、空いている部屋にコジマ君の荷物を置いておいて構わないと言ってくれた。

 3時まではまだ時間があったので、ダシャーシュワメード・ガートの近くの河沿いレストランに行き、そこで食事をしながら時間を潰した。

f:id:ryisnow:20160120164430j:plain

 コジマ君はいろいろ迷惑かけてすみませんと言い、レストランの勘定は自分に払わせてくれと言った。

 3時になり、再びパレス・オン・ステップスに行った。
 フロントには4人の男がおり、そのうちのひとりがボスのようだった。話を始めようとすると、今は忙しいからソファーで待っていろと言われた。その邪険な応対にまた少し嫌な気分になったが、とにかく僕らは言われた通りロビーにあったソファーに腰かけ待つことにした。
 10分くらい待ってもまだ声はかからなかった。フロントの男たちは特になにをしている風でもなかったが、僕は仕方なく置いてあった新聞を読み、コジマ君は緊張した面持ちでただ座っていた。
 一組のヨーロッパ人らしきカップルがチェックアウトをするためにフロントにやって来た。彼らは駅までリクシャーを呼んでくれないかと頼んでいたが、それに対する男たちの応対も見ていてもやはりぶっきらぼうで感じのよいものではなかった。
 カップルが出ていってもまだ声がかからないので、立ち上がってフロントの前に行き、キャンセルの手続きをしてくれと言った。すると午前中に話をした男がすでに準備をしていたかのように、さっと僕に1000ルピーを手渡した。
「一泊750ルピーなのだから、全部で1500ルピーのはずだ」
 そう言うと、彼はこれもまた準備していたかのように何も言わずに500ルピー札を投げてよこした。結局向こうはこっちが自然に折れるのを待っていたのかもしれなかった。何も反論しなかったところを見ると、自分たちの言い分に正当性がないことは最初からわかっていたのだろう。
 僕はありがとうと言ってソファーに戻り、コジマ君に1500ルピーを渡した。あまり気持ちのよいやり取りではなかったが、とにかくこれでキャンセルは完了だった。
 
 コジマ君は荷物を置かせてもらっていた、シータ・ゲストハウスの3階の部屋に宿泊することになった。ようやくすべて片付いたので、今日はひとりで町を歩いてみると言って外に出かけた。
 河から100メートルほど離れたところにベンガリー・トラという通りがあり、河と並行するようにして南北に伸びていた。河沿いの宿周辺の道と比べれば幾分広いものの、ここもリクシャーが通れるほどの幅はなく、両脇には小さな店やレストランが立ち並ぶ活気のある通りだった。僕はここをぶらぶらと散歩しつつ、一軒のインターネットショップに入った。

f:id:ryisnow:20160120184500j:plain

 インドのインターネットショップの多くはいわゆる日本のような「カフェ」ではなく、狭い店内にパソコンが並べられ、ルピーを払うことでそれを使うことができるという、純粋にインターネットをするためのスペースだった。
 ベンガリー・トラにあった店もそういう店だった。従業員はまだ10代に見える少年がひとりいるだけで、僕は彼にプリンターを使えるかと訊ねた。使えると言うので、僕は1台のパソコンの前に座り、ホットメールにサインインしてメールをチェックした。
 ロバートからメールが届いており、彼は日曜日にバラナシに到着する予定だと書いていた。日曜日と言えば明後日だ。どうやら僕らはバラナシで再会することができそうだった。バラナシでどこかお勧めの宿はあるかと書いてあったので、個人的にはアルカ・ホテルという場所がよいと思うが満室だったということと、今自分はシータ・ゲストハウスという場所に泊まっているということを返信に書いた。
 そんな風にメールを書いていると、入口のほうから日本語が聞こえてきた。
「ここ日本語使える? プリンター、オーケー?」
 見ると20代半ばくらいの日本人の男が、従業員の少年に日本語で訊ねていた。少年は日本語がわかっていなさそうだったが、日本人の彼は「オーケーね?」と言って席に着いた。
「なにコレ、ワカンネェ。プリントアウトどうやってやんの?」
 彼の話す言葉はすべて日本語だった。普通に考えると伝わるわけはないのだが、こういうタイプの人間というのはどういうわけか会話を成立させてしまうもので、彼は少年の英語の説明に対し「いやオレ、英語わかんないから」などと言いながらもプリントアウトをしていた。
 僕はロバートへの返信を書き終え、シンガポール航空からメールで届いていた新しい「Itinerary」をプリントアウトした。電話で話した職員の女性いわく、これを空港のカウンターに持っていけば飛行機に乗れるとのことだった。
 料金はインターネットが30分で10ルピー、プリント代もまた10ルピーだった。ホテルでパソコンを借りるより安かったので、これからはここに来ようと思った。

 その後は河からさらに離れたところにある大通りを散歩した。こちらは通りにリクシャーと、乗用車と、人と、牛が無造作に溢れているという、インドならではのカオスが展開されていた。これはデリーでもジャイプルでもそうだったが、道の真ん中に平然と牛が寝ていたりするので、リクシャーや車などはそれを避けるように巧みなハンドリングで走り抜けていく。寝そべる牛が数頭にもなるとそれによって渋滞が発生したりもするのだが、インド人たちは特に苛立つ風でもなくゆっくりと車を進めていく。単に宗教的理由というだけでは言い切れないような、不思議な寛容さが彼らにはあった。

 日が暮れる頃に火葬場に行った。
 ダシャーメーシュワメード・ガートから北にしばらく行くとマニカルニカー・ガートという場所があり、そこに死体を焼く火葬場があった。この火葬場もまた、沐浴を行う人々と同じようにバラナシを象徴するもののひとつとして知られていた。昨日サンカタ・ゲストハウスなどを周った際にちらっと見ていたのだが、もう一度行ってみようという気になり、午後6時頃にガートに到着した。
 薄暗くなった河原に死体が運びこまれ、順番に焼かれていった。
 死体は竹か何かでできた担架のようなものに乗せられ、それを複数の男がかついで運んでくる。そして彼らは白い布にくるまれた死体を一度ガンジス河の水につけると、今度はそれを河原に長方形に組み上げた木の上に寝かせ、火をつける。
 布に包まれているため年齢や性別もさだかでないが、その形から人間であることはわかった。火は大きくなり、真っ赤な炎が身体を包み込む。その炎の中で、身体は少しずつ小さくなっていった。痩せこけた野良犬たちが集まり、炎のまわりをうろうろと歩き回っていた。焼ける肉の匂いに吸い寄せられているように見えた。その光景を見て、ここでは人間と動物が同じ高さにいる、と思った。
 火のまわりで火葬を担当するインド人たちは、ただ自分たちの日課をこなしているといった風に淡々としていた。そのまわりに死者の親類らしき者たちがおり、さらにそのまわりでは僕のような観光客や、それに話しかける地元のインド人たちが立ってそれを見物していた。この状態を罰当たりと取るべきか、皮肉と取るべきか、自然のことと取るべきなのか、わからなかったが、ここにいるインド人たちにとっての死生観とはどんなものなのか、それを知りたいと思った。火の粉は夜空に高く舞い上がり、それが焼かれている人の魂のように見えた。さっきまでここにいた彼らはどこに行ったのだろう? 暗い空を見ながら思った。
 
 2時間ほどそうして火葬場で過ごした後、ベンガリー・トラ通りを宿に向かって歩き、途中にあったスパイシー・バイツという名のレストランで夕食を食べた。
 レストランはアジア人に人気の場所らしく、客の多くが日本人と韓国人だった。昨日訪れたシヴァ・ゲストハウスの近くだったので、それも関係しているのかもしれなかった。なかなか居心地のよいレストランで、僕はチキンカレーとナン、それに「maaza」というマンゴージュースのようなものを注文し、食べながら日記を書いた。

f:id:ryisnow:20160120164608j:plain

 午後9時頃にレストランを出て、売店でスナックを買って宿に戻った。
 部屋に戻り、一服して窓の外を見ながら、やはり自分は頼られるのが苦手なんだよなと思った。僕はいつもそうだった。誰かに頼られると、いつもそこから逃げたくなってしまい、実際逃げてきた。今回インドに来たのも、ある意味それが原因でもあった。
 だからきっと、ひとりでいるほうがいいのだ。





<Day 15 バラナシ >



               1月20日

 8時半に起き、階段を下りてガンジス河に出ると、人々が沐浴をしていた。
 河の中に腰まで浸かり、上半身に水をかけ、祈るような動作を行う。プシュカルと同じように、いやそれ以上の聖地とされているバラナシでは、このように沐浴をする人々も町を象徴する風景のひとつだった。
 歩きながらそんな様子を眺めていると、写真を撮っているコジマ君と出くわした。彼は最近趣味として写真を始めたということで、なにやら高そうなデジタル一眼レフのカメラと何種類かのレンズを携帯していた。

f:id:ryisnow:20160119181954j:plain

f:id:ryisnow:20160119184526j:plain

 
 とりあえず今日の目的は新しい宿を探すことだった。
 僕らはまずブッダ・ゲストハウスのすぐ近くにあり、こちらはガンジス河に直接面しているパレス・オン・ステップスという宿を訪れた。見せてもらった部屋は狭かったが、バルコニーのように突き出した広い窓の向こうにガンジス河が広がっているという、眺めの面においては素晴らしい部屋だった。
「これはいいですね」
 コジマ君はその部屋がかなり気に入ったようだった。僕もその眺めには惹かれるものがあった。ただ部屋の狭さのわりには値段が750ルピーと高いのと、なんとなく宿のスタッフの雰囲気にあまり好きになれないものを感じたので、自分はもう少しほかを見てから考えたいと言った。コジマ君もひとまず部屋を取るのを保留にし、僕らはふたりで外に出た。

 コジマ君が見てみたい宿があるというので、次はそこに行った。
 シヴァ・ゲストハウスという名の宿で、それは河から少し離れた狭い路地の中に建っていた。カウンターにいた男性に空き部屋の有無を訊くと、
「今は100ルピーの部屋がひとつだけ空いている。ただ午後には400ルピーの部屋がひとつ空くことになると思う」という返事が返ってきた。
 100ルピーとは随分安い。ドミトリーですかと訊くと、いやシングルだと言う。ただ見せてもらった部屋は正直あまりよいものではなかった。まず部屋に窓がない。これは僕にとって大きかった。さらに窓がないために当然ながら自然光がまったく入らない。そのため昼間から電気をつける必要があり、部屋全体にどこかじめっとした雰囲気が漂っている。もちろんだからこその100ルピーなのかもしれなかったが、よっぽど切り詰める必要でもない限りここに泊まる理由はないなと思った。
 宿に泊まっているのはほとんどがアジア人のようだった。日本人も多いと見え、ロビーですれ違う旅行者の口からは日本語が聞こえてきたりもした。ジャイサルメールで会ったジュンが、バラナシには日本人のたまり場になっているような宿があると言っていたが、ここもそういう場所なのかもしれなかった。

 屋上にレストランがあるというので上がってみた。
 いくらかの開放感を感じるその場所で周囲の景色を眺めていると、背後からどうも、と日本語で声をかけてきたひとがいた。振り向くとそこには日本人の男性がいた。長髪を束ねて無精ひげを生やし、いかにもインドに長期滞在をしていそうな雰囲気を醸し出していた。年は僕と同じくらいか、あるいは上のようにも見えたが、どことなく存在に覇気がない感じがした。
「ここに泊まるの?」
「いや、多分泊まらないと思います」
「インドにはどれくらい?」
「トータルで1ヶ月くらいですね」
「1ヶ月か、短いなあ」
 彼は話し続けた。
「このあたりは大したレストランはないよ。どこもダメだね。まあ……"ジョッティ"はまだマシかな。食べるんならあそこに行くといいよ。あと酒が安く手に入る店もいくつか知ってるから、なんなら教えるよ。俺? インドは長いよ。バラナシは4回目かな。大体来ると4カ月以上はいるね。こっちのひととも知り合いになってるからさ。今回は来るときに村上春樹の『1Q84』を売りたいから買ってきてくれって頼まれてさ、10冊くらい買い込んで持ち込んだよ。マジかよって思ったけど、まあ長くいるとそういうしがらみもできちゃうからね。南のほう? いや、行ったことないからわからないな。タージ・マハルは行った? 全然見えなかったでしょ? タージは人も多いし、空気が悪いから実際ほとんどまともに見えないんだよね。値段も高いしあれは行く価値ないね。ジャイサルメール? いや、行ったことないな。……プシュカルってのはいいんだ? へえ。でもやっぱりバラナシがいいよ。何ヶ月いても飽きない。だからみんなここに沈むんだよね。ここで何をしてるかって? そうだな、まあ別にやることなんてないから毎日本を読んだりとかそんな感じ。あとはハッパ吸ったりとか。他のみんなも大体……」
 こちらが訊ねたわけではなかったが、彼はインドに関するウンチクのようなものを話し続けた。そのほとんどはどうでもいい内容だったが、ひとつだけ彼の発した言葉の中で印象的なフレーズがあった。話の中で彼は自分を含めた日本人の長期滞在者を「沈んだ者」と表現した。こうしたいわば「沈没者」たちは大体日本で2ヶ月くらいアルバイトをして金を貯めてはインドにやって来て、その金で半年くらい過ごすといったことを繰り返すのだという。彼もまた、そうしたひとりのようだった。

 何かを捨てて異国の安宿を放浪し、日本の日常とは切り離された空間に身を浸し、ゆっくりと沈んでいく。この「沈む」という行為に対して、ある種破滅的な美学を感じる者もいるかもしれない。あるいは僕もそのようなものに惹かれていなかっただろうか。この旅をする中で、どこかでそうした退廃への道を思い描いていなかったか。
 しかし僕は目の前にいる「沈没者」の彼に、なんら魅力を感じることができなかった。彼と一緒にこの宿で沈没するなどまっぴら御免だと思った。僕は彼がこんなに何度もインドに来ていながら、その行動範囲が極めて限定されていることが不思議だった。僕がたかだか2週間の間に訪れた多くの場所に彼は行ったことがなかった。バラナシにしても彼の知識は変に偏っており、ある部分に関してはものすごく詳しいが、そこからちょっと外れたことになると何も知らないといった感じだった。あるいはそうした、ある種の好奇心や移動活力の欠如こそが沈没者になる条件のひとつなのかもしれなかったが、だとすれば僕にはまだその仲間になる資格がなさそうだった。
 彼はまだ喋りたそうにしていたが、僕らは彼にじゃあまた、と言って階段を下り、宿を出た。
 
 僕には昨日から気になっていた宿があった。
 それはアルカ・ホテルという名の宿で、カンジス河の目の前、それも最も人々でにぎわうガートの近くに建っていた。なにより僕が気に入ったのは、ホテルの1階にオープンカフェレストランのようなスペースがあり、そこからガンジス河が一望できたことだった。たとえ部屋の窓が河に向いていなくても、部屋を出てここに来ればコーヒーかチャイでも飲みながらのんびりと河を眺めることができる。建物は小奇麗で立地もいいことから宿泊料は若干高めだったが、それでもここに泊まれるならそれぐらい出すのもありかなと思った。

f:id:ryisnow:20160119182041j:plain


 しかしアルカ・ホテルに空きはなかった。昨日も散歩の途中に訊いて満室だと言われていたのだが、今日もまた満室だった。やはり人気があるのだろう。シヴァ・ゲストハウスとは異なり、ここの客のほとんどは西洋人のようだった。僕らはそこのレストランで朝食を食べると、再び宿を探して街を歩き回った。

 アルカ・ホテルから路地を少し入ったところに、サンカタ・ゲストハウスという宿があった。中に入って訊いてみると、値段は350ルピーと手頃で、部屋も悪くなかった。僕はとりあえずここに泊まってみることにした。コジマ君は最初に見たパレス・オン・ステップスの部屋が気になっているようで、もう一度そこを見に行くと言った。
 僕は2日分となる700ルピーを宿の親父に渡した。そしてブッダ・ゲストハウスから荷物を取ってくるよと言うと、親父はそれならリクシャーを呼んでやるからそれに乗っていくといいと言った。
「いや、歩いて行くからいいよ」
 そう言ったのだが、親父はわりと粘り強くリクシャーを勧めてきた。どうせ大した距離じゃないからまあいいかと思い、じゃあそうするよと返答した。
 代金はいくらくらいかなと訊くと、おそらく150ルピーくらいだろうと言う。そんなわけがなかった。まだ大分曖昧ながらも、昨日今日と歩いて僕の頭にはバラナシの地図が出来上がりつつあった。ブッダ・ゲストハウスまではそもそもリクシャーに乗るような距離じゃないし、乗ったところで10か20ルピーがいいところだろう。
「そんなにかかるわけないよ、せいぜい20ってところでしょ」
 そう言って、リクシャーまで案内するという別のスタッフと一緒に外に出た。

 サンカタ・ゲストハウスの前の路地もまた、リクシャーが入ってこれないほど狭かった。よってリクシャーに乗るには一旦広い通りまで出る必要があるのだが、宿のスタッフがこっちだと言って歩き出したのは、僕が一番近いと考えていた通りとは異なる方向で、それはブッダ・ゲストハウスの方向からも真逆だった。最初は変則的なショートカットでもあるのかなと思ったが、男は迷路のような路地を明らかに不自然な軌道を描きつつ10分近くも歩き続けた。ほんとうにこっちでいいの? と訊いても、イエス、イエスと言うだけだ。
 そのときふと頭をよぎったことがあった。彼はわざと遠いところまで連れて行き、リクシャーの代金を引き上げようとしているのではないか、ということだ。それで割り増しされた代金の何割かを運転手からもらうとか、そういうことなのではないだろうか。
 バラナシに来て驚いたことのひとつは、この町の人々が不可思議なネットワークでつながっているということだった。たとえば午前中にある宿に部屋を見に行き、その午後に大分離れたところにある宿に行ったとする。そうするとそこのフロントの親父に「お前はさっきあの宿で300ルピーで部屋を交渉していただろう」なんてことを言われたりするのだ。そんなことが2回くらいあった。
 いずれにせよこれでフロントの親父が言った150ルピーという値段が少しだけ腑に落ちた気がした。そしてその瞬間、サンカタ・ゲストハウスに泊まる気が失せてしまった。僕は横を歩くコジマ君と日本語で打ち合わせ、前を行く男に話しかけた。
「道はそっちじゃないだろう。だますのはやめなよ」
 何を言っているんだ、という顔をして立ち止まる男に対し、僕は歩いて帰るからリクシャーはいらないと告げた。そしてその場で背を向けると、コジマ君と一緒に走り出した。目的地はサンカタ・ゲストハウスだった。案内の男よりも先にサンカタに戻り、フロントの親父が事情を知らされて面倒なことになる前に宿をキャンセルしてしまおうと思ったのだ。「だまそうとした」などといったことを理由にキャンセルを迫れば、どうせ口論になることは目に見えていた。
 すぐに宿を見つけられるかあまり自信はなかったが、勘を頼りに走っていくとわりとすんなりサンカタにたどり着くことができた。僕は何食わぬ顔で中に入ると、親父にキャンセルを告げ、700ルピーを受け取って外に出た。
 宿を出て、試しに自分が思う最短のルートでリクシャーの拾える大通りまで歩いてみたが、やはり2分も歩かないうちに出ることができた。

f:id:ryisnow:20160119182306j:plain

f:id:ryisnow:20160119182322j:plain

 その後は歩いてブッダ・ゲストハウスまで戻った。
 宿には貯まっていた洗濯物を預けていたのだが、それが洗濯されて戻ってきていた。確かめてみるとすごく綺麗に洗濯されていて、太陽をしっかり浴びてフワフワに乾燥していた。
 口ひげ男に宿をチェックアウトしたいと告げると、なぜだと理由を訊かれた。ガンジス河が見える部屋に泊まりたいんだと正直に言うと、それを聞いた宿の経営者のひとりらしき年配の女性が言った。
「あたしらもね、この建物を建て増ししようと思ってるのよ。そうすれば前の建物より高くなるからね」
 そんな簡単に建て増しなどできるのかなと思ったが、ここは宿の人の雰囲気はいいし、河がはっきり見えるようになればその魅力は増すだろうなと思った。もっともそれによってその後ろの建物からは河が見えなくなるのだろうが……
 
 僕は結局、昨晩夕食を食べた屋上レストランがあるシータ・ゲストハウスに部屋を取った。このホテルもガンジス河の目の前に建っており、見せてもらった部屋は窓の向きこそ河に面していなかったものの、それでも一応視界の横のほうに河を見ることができた。また4階建ての屋上に行けば当然のごとく河を一望できた。料金は一泊700ルピーとなかなか高かったが、部屋は広く、トイレも温水シャワーもあり、宿の人間の感じもよかった。

f:id:ryisnow:20160119183306j:plain
(シータ・ゲストハウス。屋上レストランからの眺めが素晴らしい)

 その後外に出てコジマ君と合流した。やはり彼はパレス・オン・ステップスの部屋を取ったとのことだった。
「ただスタッフの感じがあんまりよくないんですよね」
 コジマ君はやや浮かない顔をして言った。その印象は僕も同感だった。なにがというわけでもないのだが、今朝部屋を案内されたときのスタッフの態度にどうも嫌なものを感じていたのだ。
 
  僕らはエヴェレスト・カフェという眺めのよい河沿いのオープンカフェで遅い昼食を取り、その後もガートに沿って歩きながら沐浴をする人々や、河に浮かべるボートを作る人々の様子などを眺め続けた。
 河沿いには様々な名前のついたガートがあり、それをつたって歩くことで河沿いを散歩できた。そして数あるガートの中でも中心地のようになっているのが、ダシャーシュワメード・ガートと呼ばれる場所だった。
 夜になると、このダシャーシュワメード・ガートで宗教的セレモニーのようなものが行われた。
 小さな祭壇のようなものが7つ設置され、その前に赤と黄色の衣服をまとった男たちが並んで立つ。そしてスピーカーから流れる音楽と祈りの言葉のようなものに合わせ、彼らは線香の煙で円を描いたり、いくつもの炎が灯された燭台を持ってゆったりとした舞いを行ったりした。

f:id:ryisnow:20160119182436j:plain

f:id:ryisnow:20160119182546j:plain


 空には明るい月が出ていた。そして河の上にはひしめくようにボートが浮かび、それに乗り込んだ多くの観光客たちがセレモニーを眺めていた。やがて男たちの舞いが終わると音楽も止まり、スピーカーから流れる声が見ている者に呼びかけるように同じフレーズを繰り返した。
「ザオー」と言っているように聞こえた。そしてそれを何度か繰り返したあとに「ハレ、ハレ、マハーレー」と声が発せられると、それに合わせるようにまわりにいたインド人たちがみな両手を上げて同じフレーズを唱和した。そうしてセレモニーは終わりを告げた。
 
 その後はそれぞれに新しい宿へと戻った。
 僕は屋上のレストランで夕食を食べ、部屋に戻って温水のシャワーを浴び、ベッドに寝転んでガイドブックなどを眺めた。
 しばらくすると誰かが部屋のドアをノックした。ドアを開けると、そこにコジマ君が立っていた。
「実はパレス・オン・ステップの宿泊をキャンセルしたいんですが、ちょっとトラブルになっちゃって……」
 そう彼は言った。彼はやはり宿のスタッフの対応が好きになれなかったので、宿泊をキャンセルしたいと頼んだらしい。しかし宿のスタッフはそれならば1泊分の宿泊料金しか返却できないと言うのだという。
 彼はすでに3泊分の宿泊料金となる2250ルピーを前金で払っていた。今晩の分は仕方ないにしても、それでも明日と明後日の分は返ってくるのが普通だ。しかしスタッフは頑として1泊分である750ルピーしか返却できないと主張するらしい。

 とりあえず時間も夜中に近かったので、明日の朝に行って交渉してみると約束し、ふたりで屋上のレストランに行った。レストランはもうやっていなかったが、僕らはそこの椅子に座り、タバコを吸いながらしばらく話をした。
 コジマ君は今回のインド旅行が人生初の海外旅行なのだと言った。初の海外旅行がインドだなんてそれは大変だろうと思ったが、やはり一癖も二癖もあるインド人たちとのやり取りは彼にとってなかなか堪えるようだった。当然だろうと思った。自分が初めて海外に行ったときなどJTBの団体ツアー旅行だったし、彼のようなスタイルで旅をすることなど想像すらできなかった。
「もう少しいれば慣れるんでしょうかね……神経質になり過ぎているのかもしれません」
 宿の人間と口論した際の興奮が醒めてきたのか、少し落ち着きを取り戻した彼は、夜のガンジス河を眺めて煙を吐き出しながらそう言った。





<Day 14 列車 ~ バラナシ>



               1月19日

 朝になり、下段のシートに下りて窓の外を眺めているとコジマ君がやって来た。
 車内はかなり空いていて、ガランとしていた。僕たちはバラナシに到着するまでしばし話をした。

f:id:ryisnow:20160118174403j:plain

 列車は1時間遅れでバラナシの駅に到着した。
 外に出るとリクシャーの運転手が声をかけてきたので、僕は彼にブッダ・ゲストハウスまで連れていってくれと頼んだ。別にその宿がよいと知っていたわけではなく、地図を見る限り位置的にガンジス河のすぐ近くで、まわりに安い宿が集まっていそうな一画にあったので、まずそこに行ってだめなら他を探せばよいと思ったのだ。
 運転手は60ルピーで行くと言った。駅からの正確な距離はわからなかったが、どの道大した値段ではないので承諾し、コジマ君と一緒にリクシャーに乗った。

 いざ出発となったとき、ひとりのインド人がリクシャーに乗り込んできた。どうも運転手の友人かなにからしい。リクシャーを途中まで相乗りしていくようなことはこれまでもあったので、今回もそういうことかなと特に気にしなかった。
 ところがリクシャーが走り出すとその運転手の友人らしき男が言った。
「もっといいゲストハウスがあるからまず最初にそこに連れていってやる」
 どうやら彼の目的は単なる相乗りではなさそうだった。別の宿を見ておいても別に損はないと思い、リクシャーの代金は変わらないということを確認した上でじゃあ頼むよと返答した。

 最初に連れて行かれたのは古いマンションのような形をした、背の高い建物だった。フロントに行くと、驚いたことに応対に出てきたのは日本人の女性だった。年は30代くらいだろうか。僕とコジマ君は部屋の値段を訊き、複数階に分かれて横並びに並んでいる部屋のうちの二部屋ばかりを見せてもらった。部屋はよくもなく悪くもなくといった感じだったが、日当たりがあまりよくないのか室内は薄暗くてじめじめしていた。ガンジス河からは少し離れているようで、窓からは目の前の通りとその向こうに建つ建物が見えるだけだった。
 あまり惹かれる感じではなかったので、僕は女性に別の宿も見てみますと告げて去ろうとした。すると女性はこの建物の屋上は眺めがいいので行ってみます? と訊いてきた。僕らは女性と一緒にホテルの屋上に上がった。
 屋上からの眺めは確かによかったが、それでもこの宿に泊まろうという気にはならなかった。僕はなんとなく興味があったので、どうしてここで働いているのですかと女性に訊いてみた。
「バラナシに通っているうちに、インド人と結婚してこういうことになったんです」
 そう彼女は言った。僕はそのような答えを予期しておらず、妙に驚いた声をあげて、ついつまらない返答をしてしまった。
「え、インド人と結婚ですか? すごいですねえ」
 なんとなく、彼女は僕の「すごいですね」という言葉をあまり好意的に受け取らなかったように見えた。続けてインドの生活はどうですか、と訊ねると彼女は「うん、まあね…」と言葉を濁した。その表情はどこか疲れているようでもあり、あまり今の自分の生活に確信を持っていないようにも見えた。あるいは彼女の選択は期待したような幸福をもたらさなかったのかもしれない、とつい余計な想像をした。
 
 その後3つか4つの宿に連れて行かれたが、どこも中心地から離れていそうな場所にあり、値段的にもそれほど素晴らしいものではなかった。僕はもういいからブッダ・ゲストハウスに連れていってくれと運転手に要求した。しかし運転手とその友人は話を聞かず、また別の場所に連れていこうとしたので、もういい自分たちで歩いていくからここで降ろせと言って料金を払った。彼らはしつこく引き留めようとしたが、無理やり制止して僕らはリクシャーを降りた。
 自分たちが今どこにいるのか正確にはわからなかったが、おそらくこっちだろうという方向に向かって歩き出すと、たった今降りたリクシャーが僕らの速度に合わせてゆっくりと背後からついてきていることに気がついた。しばらく歩いてもついてくるのをやめないので、なんとなく気味が悪くなり、別のリクシャーをつかまえ、ブッダ・ゲストハウスまで行ってくれと言って飛び乗った。
 リクシャーは数分ほど走ったところで停車し、これ以上はリクシャーでは入れないので歩いてくれと運転手に言われた。バラナシはガンジス河に近づくにつれて建物がひしめいて道が狭くなり、河の近くはほとんど車両が入れないようになっているようだった。僕らは細い路地を数十メートルほど歩き、ようやく当初の目的地であったブッダ・ゲストハウスに到着した。


 ブッダ・ゲストハウスは2階建ての小さな宿だった。
 応対に出たのは口ひげをはやした痩せた男で、若そうに見える顔と口ひげが妙にアンバランスな、なんとも年齢不詳の男だった。値段の異なる部屋が1階にひと部屋ずつ空いているというので、多少値切った上でコジマ君とコイントスを行った。コイントスはコジマ君が勝利し、彼が450ルピーの部屋、僕は550ルピーの部屋を借りることになった。
 部屋はいたって普通だった。窓がひとつあるが、路地に面しているため河を見ることはできない。この部屋で550ルピーは少し高いように思えたが、これ以上部屋を探すのは面倒だったので、今日のところはここでいいやと自分を納得させた。

f:id:ryisnow:20160118175450j:plain(ブッダ・ゲストハウスの部屋。バラナシは街の至る所に猿がいる)

 屋上に行けるというので上がってみたが、残念ながらガンジス河をはっきりと見れるような感じではなかった。河はほんの数十メートル先にあるのだが、目の前の建物によって視界がかなり遮られてしまっている。できればガンジス河が見える宿に泊まりたいと思っていた僕は、やはりこの宿に泊まるのは1日だけにしようと思った。
 屋上には受付をした年齢不詳の口ひげ男がおり、どうやら彼がこの宿のマネージャーのようだった。少し話をすると彼は自分には日本人の妻がおり、今はデリーで働いているのだと言った。このような話はこれまでも何度となく聞いていたが、ついさっき同じようにホテルの男と結婚した日本人女性に会ったばかりなだけに、まあ彼の言うこともひょっとしたら本当なのかもしれないと思うことにした。
 彼は携帯電話に入っているその日本人の奥さんの写真を見せてくれた。まだ大学生くらいに見える可愛らしい子で、正直こんな可愛い子がこのような口ひげ男と結婚するだろうかと思わずにはいられなかったが、まあそれでも人生何が起きるかわからないし、とあまり深くは考えないようにした。

 その後はコジマ君とガンジス河に行った。
 宿のすぐ横の路地からガートのようになっている階段をおりると、もうそこが河だった。ガンジス河はさすがに大きく、川幅は数百メートルはあるように見えた。「インド最大の聖地」とも言われるバラナシだけに、河べりのガートには多くの観光客やそれを相手にするインド人の姿があったが、目の前をゆったりとした大河が流れているだけに、のんびりとした開放感があった。

f:id:ryisnow:20160118175154j:plain


 ガートに沿って歩いていると、さっそくひとりのインド人が声をかけてきた。
「どこに行くの? 案内するよ」
 彼はまだ十代半ばか後半くらいに見えた。僕は案内は必要ないと言ったが、彼はお金はいらないから案内すると言う。僕はふと思いついてこの近くに何か安く食べられるレストランはないかと訊いた。時刻はすでに正午を過ぎており、僕もコジマ君も列車を降りてからろくに食べていなかった。
 彼は了解し、僕らを河から数十メートル離れたところにある大衆食堂のような場所に連れていった。ありがとうと言って店に入り、これで彼も諦めるかと思ったら、僕らが食事をしている間も彼は店の外に立っていた。食事をして外に出ると、やはり彼は再び僕らについて歩き始めた。

 僕らは彼を連れる形で郵便局に行ったり、いくつかの宿を訪れて値段を訊いたりしながら町を歩き続けた。バラナシの町は河から離れると狭い路地がこまかく入り組んでおり、まるで迷路のようだった。
 彼の名前はアブーと言った。僕は話相手をしながら、日本語を覚えたいという彼にいくつかの単語を教えたりした。しかしいつまでも彼を引き連れて歩くわけにはいかないので、あるところでもうここまででいいよと彼に告げた。
「ジュースでも飲む? おごるよ」
 僕はそう言った。最初の約束通り案内料を払う気はなかったが、小さなお礼くらいはしたいと思ったからだ。しかし彼はジュースはいらないと言い、代わりに物を買うためのお金をくれと言った。
「お金はいらないと言ったじゃないか」
「そのお金で僕は教科書を買う。だからいいでしょ?」
 教科書という言葉に一瞬迷いが生じ、いくらほしいのと訊くと「250ルピー」だと言う。それは今日の宿代の半分近い額で、教科書を買う代金にしても高すぎるように思えた。それに彼には悪いが、彼がその金で実際に教科書を買う可能性はかなり低いだろうと思った。
 それはできないと言って去ろうとすると、彼は僕を引き留め、やや迫るようにカタコトの日本語でこう言った。
「アナタハ ナニヲ ワタシニ クレマシタカ」
 それは文脈からするとおかしな言葉だったが、彼の言わんとすることはわかった気がした。僕はこれだけあなたを案内した。それに対してあなたは僕に何をくれたか、おそらくそう言いたいのだろう。
 いいか、よく聞いてくれ、と前置きして僕は話し始めた。
「君は最初にお金はいらないと言った。でも君はレストランの場所を教えてくれたし、いろいろ自分の話も聞かせてくれた。だから君は僕の友達になった。友達に代金は払えない。でもなにかをおごってあげることはできる。もし君がそれでもお金を求めるなら、少しは払ってもいい。でも僕と君は友達ではなくなる。それでもいいか?」
 我ながら白々しいことを言っているなと思い、自分に対してわずかな嫌悪感も覚えた。そんなきれいごとを言ってなんになるのか。彼にとって一番助かるのがお金なのだ。要は自分は払いたくないがゆえに、こんな理屈を並べ立てている。もう二度と会うこともないだろうと思ってるのに友達だなんてよく言う……それにこんなことを言ったところで彼に伝わるわけがない、そう思いながらもとにかくしゃべり終えると、彼は少し考えて、言った。
「わかった。じゃあジュースを買って」
 僕は近くの売店に行き、彼が「これ」と指さしたマンゴージュースを買って彼に渡した。

 宿に戻って休憩したのち、再び外に出て夜の町を歩き回った。
 夜のバラナシは暗く、路地は増々迷路のようだった。
 僕とコジマ君は河沿いにあるシータ・ゲストハウスという4階建てのホテルの屋上レストランで夕食を食べ、また宿に戻った。